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なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。

naritoku2003さん

2007/1/309:55:27

なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。

なぜ人間には人権があるのにくじらにはくじら権がないのですか。

人権が認められる根拠を人間の知性に置くのであれば、知的障害者は人権がないことになり、
知的生物であるくじらにはくじら権が認められることになりませんか。

また、人権を人が人であることにより認められる権利と解釈するにしても、21世紀ではその権利の保護の対象をくじらにまで拡げ、人類が絶滅した後の文明の担い手としてのくじらを守ることが要請されているような気がするのです。

この思想をみなさんはどのように思いますか。

補足> e_tischbeinさん
浅学非才の身で
知的障害者の人権が制限されている具体例を思いつきません。
また、貴方の主張はくじらとコミュニケーションが取れる範囲で、また将来科学が発展し、くじらとのコミュニケーションが取れるようになる可能性がある範囲で「制限されたくじら権」を認める論拠になりませんか。(見当はずれの反論だったら大変申し訳ないです。)

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ベストアンサーに選ばれた回答

e_tischbeinさん

編集あり2007/1/313:31:34

人権とは、天与の権利として降りてくるものではなく、相互の承認によって成り立つものです。
昔、王にのみ権利があり、家来に権利はありませんでしたが、家来なしでは王の権利が行使できないので、契約により相互に権利を認め合いました。
昔、奴隷と主人の間には、主人にしか権利がありませんでしたが、同様に相互に認め合う事で奴隷の権利が認められました。
今、過去の積み重ねより人には生まれながらに権利を認め合う世の中になりましたが、それも基本は、相手に何をしてやって自分に何をする事が認められるか、という契約が基本になる事は変わっていません。

そこでくじら権の問題は、鯨と人間の間の相互のコミュニケーションがあるか、それによってお互いの利益の交換があるか、という問題になります。
利益の交換がない所には相互に権利を承認する契約は成り立ちません。
「知的障害者に人権がないことになり」と、あたかも知的障害者に現在人権が認められてるかのように質問者はおっしゃいますが、現実には制限が加えられ平等な人権は認められていません。この現象は知的障害者と利益の交換ができない事が基になっています。

人でないものに権利を与える事は可能です。
会社などの法人がその例です。
その根拠は法人が自然人と利益の交換ができるからです。
鯨が人間と人権に相当する権利を持つためには鯨が知的であるだけではだめで、ヒト-くじら間のコミュニケーションを達成し、鯨から人間への利益の提供、人間から鯨への利益の提供が可能になる必要があります。

もう一つ、知能を持たない非人格でも、特定の個人が所有権を主張できないようにするため、仮に法的人格を与えるという方法もあります。
自然権がそれで、ヒトの生息環境を保持するために、自然資源を特定の個人の専有物にできないようにするため、多くの人があたかも自然が権利を持っているように振る舞う事で、資源を私利による収奪から護る考え方です。
くじら権も人権と対等なものでなく、鯨がどんな人間にも所有されない権利として認めていく考え方があると思います。
この場合は人間からの一方的承認になりますが、実効力があります。
鯨が資源なのか、地球の知的種族の一つなのか、という議論に踏み込まずに彼らの生存を確保する姑息な手段と言えなくもないですが。

追記
知的障害者に平等な人権が認められていない実例は、就労、恋愛、性交、結婚の自由が実質奪われている事で十分ではないでしょうか。他者が暗黙裏に否定しているのなら、法律で制限していなくても権利が認められていないとみなして良いでしょう。法律で障害を理由に差別してはならないと定めても、作業環境を整えられないから雇わない、気持ち悪いからあっち行け、が現実です。「相互に」認め合う事がないのですから、人権が認められていないと断言すべき事態だと思います。

「制限されたくじら権」については、私は認めても良いという立場です。
人類後の文明の担い手として鯨類を考えるのは十分受け入れられる思想です。
問題なのは、今現在の彼らの種の保存を目的として人間との契約を結ぶには可能性だけではだめで、「今ここにある交換可能な利益」がないと現人類は契約には応じないだろうと推察されるという点なのです。

質問した人からのコメント

2007/1/8 16:10:17

成功 いやはや・・・ここまで多くの回答が寄せられるとは思っても見ませんでした。
皆さんの回答を踏まえさらにこの考え方を深化させていきたいと思います。
皆さん、御回答有難うございました。

ベストアンサー以外の回答

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mo908eさん

2007/1/615:10:54

権利はそれを主張する者にあるからだと思います。
しかし傲慢な人間はクジラがクジラ権を主張し始めても難癖つけて認めないでしょう。
文書として示されてないとかって。

2007/1/507:35:50

それは法律が人間の作ったものだからです。みんなで集まって決めたからです。みんなが必要性のもと、人権を規定したから人権が存在し、みんなが必要性を感じなかったから鯨権がないのだと思います。なぜ鯨権がないかといわれればそう答えざる得ないですが、鯨権を将来認められるか否かと問われれば、必要だと思う人が増えれば、(そしてその人達が国会にいけば)鯨権は規定されるかもしれません。このように、法律とはかなり弱い存在なのです。私達は普段法律に縛られているため、法律に絶対性と普遍性を感じ、このような疑問をもってしまいがちですが、法律などはなんのことはない単なるルールでしかないのです。よ

snowman9712さん

2007/1/504:15:04

私の考えでは、くじら権はあります。
ただし人間には関係ありません。
人権がくじらには関係ないのと一緒です。
人権が人間間でしか行使しえないのと一緒で、
くじら権はくじら間でしか行使しえません。
あるかどうか分かりませんが、縄張り争いや生殖活動での争いなどでしょうか。

地球上でいろいろな動物や植物の保護などされていますが、
保護されているのはむしろ、それらをおいしく頂く人間や、
それらが減少・消滅することで起こる問題で影響を受ける人間、
それらを保護しろと叫ぶ人の気持ちが保護されているのではないでしょうか。

全く質問の趣旨と違っていて、
質問者さまの言いたいことに対する回答になっていないような気がしますが、
私が思ったことはこんな感じです。

2007/1/419:48:30

くじらはおいしく食べられちゃうから。

chebi03さん

2007/1/407:07:38

綱吉のお犬様じゃあるまいし・・・ご乱心ではありませんか?
チェビ (-◆-)

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