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民主主義の本質はマイノリティーの排除でしょうか。

mrchildresoさん

民主主義の本質はマイノリティーの排除でしょうか。

例えば静かな図書館で電話をしている人(A)がいるとします。その人の話し声はうるさいですし、周りの人も迷惑がっていたので、電話をやめてくれ、と注意をし、Aはそれに従って図書館内での電話をやめたとします。

このとき、マジョリティの「うるさいから、電話をやめろ」と言う意思は、Aの「電話をしたい」という意思を排除する形になりました。そしてその排除に正当性を付与しているのは、「うるさいから、電話をやめろ」と言う意見が多数であったから、というところにあると思われます。換言すれば、もし図書館で電話をする人がとても多いのであれば、それがマジョリティ=多数意見となり、Aは電話をやめさせられることはなかったでしょう

ここでこの例を国家のレヴェルで考えます。法の支配と民主主義に基づく国家では、法律とは国民の中のマジョリティの意見によって制定されるものです(直接民主制に於いても間接民主制に於いても原理的にはそうです)。今回の例を国家レベルに敷衍し、図書館を「ひとつのある国家(B国)」と考えてみますと、B国では「静かにすること」が国民のマジョリティの意見なので、それが法律として制定されています。そしてそれを破った人、つまり「B国の中で電話をする人」を、マジョリティの意見であるというところに正当性の立脚点を置く「法律」によって罰することが可能になります。

以上のことから民主主義の本質はマイノリティーの排除であるように思われるのですが、そうなのでしょうか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

askwkgrさん

図書館室内の外に電話をする場所があれば、マイノリティーの排除にはならないと思います。
電話を禁止している訳ではありません。

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know_your_and_my_enemyさん

まず、仮定されているB国は、根本的に国家とは異質ですので、ここでは論じません。
「本を読む」目的があって構成されている図書館のひとびとと、
「(目的はどうあれ)特定の地域に定住している」人々で構成されている国家では、条件が全く異なるからです
目的があれば、その目的に反する行為を罰することは正当化されえますが、
国家の場合、共通の目的を定めることすら論争的であったりするのです。


さて、おっしゃられていることは、政治学では、功利主義とそれに対する批判が当てはまります。
功利主義は、「最大多数の最大幸福」が達成されている社会を理想状態とします。
そこに向かうために、マイノリティーの権利、意見を結果的に無視します。
それは、一部の効用を上げるために全体の効用を大きく押し下げることになるからです。
(100人いたと仮定して、電話することによるAの効用を10、他の人の効用を-1とすると、
電話を許容する 10+(-1*99)=-89
電話を許容しない =0(変化しないため) となります。)
そのため、Aさんが排除されることが正当化されるわけです。

この論に対する典型的反論を以下に記しておきます。


民主主義の本質は、結果ではなくプロセスに求められる。

民主主義を実現するいち手段として多数決があり、
それが結果としてマイノリティーの排除となる可能性をはらんでいるのであって、
民主主義が直ちに多数決、マイノリティーの排除につながるものではない。

「(地域共同体から国、EUレベルまで含む
ある共同体が民主主義的であるか否か」の判断基準は
「その共同体の成員がどれだけ意思決定プロセスに参加できているか」である。

プロセスへの参加といっても、単純に投票できればいいというものではなく、
ある論点に対しての意見を表明する自由や、反対意見を述べる自由
有権者が賛否双方の意見に触れることの出来る自由などの諸自由が保障されていることが必要条件となる。
また、賛成側と反対側が言論を戦わせることによって、最終的に合意に至ることが最も好ましい解決といえる。
合意に至れば、意見の相違自体が解消されるため、マイノリティもマジョリティもなくなるからだ。
(これを「討議デモクラシー」と呼ぶ場合もあります。)

・・・
この観点から見ると、「Aさんが納得していたのか否か」が最も重要な論点となります。
Aさんが納得して電話をやめたのであれば、それは民主主義的であり、
納得していないのであれば、それは民主主義的とはいえないと言えるのです。
・・・

本来は、このように、言論によって最終合意へたどり着くことがデモクラシーの理想型といえるが、
時間的制約もあり、なかなか実現することは困難である。
そこで、その意見に対しての決をとる手段として、多数決型の投票が考え出された。
それまでに、意見が集約されていればいるほど望ましい。
そして、争点に対する両者の意見の乖離が、少なければ少ないほど民主主義的であるといえる。
(これはダールのポリアーキー論にも敷衍できます)

以上のことにより、「民主主義の本質=マイノリティーの排除」は当たっておらず、
むしろ、「民主主義の本質=マイノリティーの包摂」が正当である


長くなりましたが、以上のような論争は、政治理論の世界では未だにされています。
民主主義の本質って、難しいですよね。
個人的にはマイノリティーの排除よりも、マイノリティーの包摂のほうが好きです。

P.S.
他の回答を見せていただいたのですが、どうやら同じ学部の一年生のようですね。
2年から受講可能な「社会思想史」や、
3年から受講可能な「現代政治理論」っていう講義があるのですが、それを受講してみることをお勧めします。

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  • 編集日時:2009/11/4 06:38:32
  • 回答日時:2009/11/4 05:57:42

hatha06さん

民主主義の意思決定は多数決なんだから、
少数派の排除?といわれれば、間違ってないと思いますよ。

ただ多数派の意見も、少数派の意見も永遠に固定化されるわけではないので、
いずれ電話してもいいと考える人間が、多数派になれば、それが社会のルールに
なるでしょう。

特段、難しい話ではありません。

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