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解決済みの質問

独断と偏見で見るボランティア活動。

minaraiyuusyaさん

独断と偏見で見るボランティア活動。

ボランティア活動といえば、見返りの無い暖かい支援活動と頭に浮ぶ。しかし、本当に「支援された」側は満足しているのだろうか?
お腹が空いたらパンを食べ、パンを食べたら喉が渇き、空腹を満たしたら、今度は眠くなる。眠る為には、安全な場所やベッドが必要になる。そして人の欲は次から次へと肥大していく・・・。良い服が欲しい・・・お金が欲しい・・・と人の欲望は限りない。そして常に人は物を欲す。意見のすれ違いや、性格が合わないと言われるだけでケンカする者や、命を落とすものもいるだろう。さて、本当に人の命が大事だというボランティアをした人に聞きたい。
ボランティアをした人は飢えてるものに対し、「何かを与えてあげた」「可愛そうな人を助けてあげた」という気持ちに浸ってるのではないだろうか?本当に救われたのは自分の気持ちなのでは?絶対に違うのなら、回答してオレの考えを粉砕してもらいたい。

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justtaikastopforwardさん

ボランティアの方がたとえ「与えてやった」みたいな傲慢な見方をしていても
心の問題は別です。
ボランティアは心が大事といいます、それは本当です。
温かい言葉は何にも勝る活力となります。
でも、心が全てではありません。
生きるために、病気を治すために、必要な物的要素は数限りなくあります。
支援された側は満足か否かなどの余裕など無いはずです。
シェークスピアの「生きるべきか、死ぬべきか」
それにもじって言うなら、
「生きるために、死ぬべきではない」となります。
死ぬことは以外と簡単なこと。
些細なことで生命は終わりを迎えます。

だからこそ、消えそうな命を日本のぼくらでも
何かできるだろう!
人間はみなお互いさま、おかげさまです。
考えはともかく、行為にまずは意味があるんですよ!
まずは与えることです。
人間はつまるところ、
与えるか、奪うか、どちらかです。
それが仕事の本質でもあります。
でも、ボランティアは人間らしさを最も表明する行為です。
欲望は限りない、でも善意も限りない。
それこそ人類が他の生物と分割される「優しさ」という
人間独自のカテゴリーですから。
与えるのも、奪うのも人間。これが人類の歴史そのもの。
貴方は奢ることなく生きてください。
そのためには、楽しむことです。
何だ、そんなこと!と思うかも知れません。
でも、楽しむことで人生の新たな局面が見えてきます。
それは、「成功&失敗」から、「充足&絶望」へと基軸が変わっていくんです。
フランクル博士の言葉です。
(フランクル博士はアウシュビッツ強制収容所の生き残りで
名著「夜と霧」の著者でもあります。)

ボランティアをもし本気でしたいなら、
その団体を吟味する必要があります。
貴方がボランティアするなら、
「・・・してあげた」などと思うことは無いはずです。
目の前の体の不自由な子供が貴方に微笑んでくれたら、
自分の傲慢さと、今五体満足なことに感謝さえするはずです。

ボランティアは独断で決めるものですが、
偏見があっては勤まりません。
そう思います。
では!

質問した人からのコメント

  • 抱きしめるアンタ良い人だな。オレの考えを真っ向からぶつかって来るなんてスゴイよ。最初アンタの事見た時は、チョッとよく分からなかったがw今の回答で目が冷めた。
    頭で考えるのではなく「行為」か・・・行動する事に意味があり、理由は後から付いてくる・・・か。
  • コメント日時:2007/1/10 04:21:59

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ベストアンサー以外の回答

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nezuni1banさん

ボランティア活動は「困っている人のために無償で何かをしてあげること」と捉えがちですが、そうではなく、自分たちの街や暮らしを自分たちの手でつくって行こうというものであると言われています。よりよい地域社会をつくるために、社会の一員として自由意志に基づき、地域のさまざまな問題解決に向けた一人ひとりの主体的な取組が、ボランティア活動の根本なのです。
 ほんの少しの勇気と行動が「ボランティア活動」という形を通して、自分たち自身の暮らしをよりよくするための働きかけとなって行くのです。
 また、社会のためになると同時に、自分も元気になれる活動なのです。

勇者さんの言われるような傲慢な偽善者は少数派ですし、自分の活動に自己陶酔出来るほどの成果も上がられません。私はボランティア活動に日々悩み続けています。

robirobitiさん

多少は自己満足もあるでしょう
でもそれだけでは行動には移せないしたとえ自己満足でも死なずにすんだ命があるのならいいのでは?
誰かを救えるなんでできないけど手助けをするのがボランティアだと思います
だから一方的に与える行為ではないと思いますね
ちなみに私にはとてもできません

ojiipon2006さん

「自分探し」をしている人がそのような活動に多く参加されているようですので(知人にもいますが)、見習い勇者さんのお考えもあながち見当外れではないと思います。

nigakuriさん

「助けてあげた」という考えの人がいるか、いないかで言えば、いるというのが答だと思います。


ただ、その人がどう思っているのであれ、
「よい行いをしよう」と実際に行動しているのだから
ただただ何もしないよりは、よいのではないでしょうか。

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