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『学問』とは何か?

shikichan701さん

『学問』とは何か?

『学問』とは何ですか。『学問』について、明確にあるいは客観的に定義されているのでしょうか。

『学問』と『学問でないもの』との違いについて、どのような違いがあるかを示していただけないでしょうか。

個人的な見解でもかまいません。

よろしくお願いいたします。

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spokydoky98さん

学問とは何かについて答えるのに辞書的に答えるのはむずかしいですが敢えて1ことで済ますと
フッサールが言うように学問において知識と体系とは不可分ですか
学問とは、体系学でありつまり、①体系化された知識の集合体②知識の体系化
ということです。ですが、この定義には2つのあいまいな概念が含まれています。
つまりどんな知識なのか、どんな体系なのかということです。体系というのは結局方法論によって確かめられるものです。

例えばルーマンは、理論の淘汰は真理によって行われるとしていますが、これは学問についても同様だと考えられます。
つまり、学問であるかどうかはその知識が真理かどうかであって、
それを峻別している真理コード(客観性、実証性、論理性、反証可能性)が体系性のことです。
これについてもっとも、明確に回答しているのは、おそらくボルツァーノでしょう。
彼は『学問論』のなかで諸学の基礎を明らかにし、諸規則を解明する「学問論」を構想し、心理学を拒んで、
学問の基礎を客観的に確立しようと試みました。
「真理自体」「命題自体」「表象自体」という独立な実在を用意し
判断内容と判断作用の峻別し、
判断作用:この実際の思考の働きは、時間の中の実在的出来事であるとなされる。
判断内容:それが実際誰かによって思考されたかと否かにかかわらず、それ自体として永遠的に存立する。
と説明しました。このあまりの客観的な態度の是非はともかく、かなり一般性を持った説明だと
いえます。が、それ故正直学問固有のものを見出しづらい規定です
フッサールにおいては、体系性は非常に論理学的です。体系性とは
①純粋論理性②無矛盾性という真理へいたる必要条件であります。そして
これらの条件を満たし、さらに真理性の条件を持ったものが真である知識として体系化されると考えられます。
さらに、フッサールもその歴史性を求めているようにこうした条件を満たすサイクルには反復性が求められます

例えばカーは、学問において「ユートピア的」段階とその理想と現実の格差から反動として分析に力点を置く
「リアリズム」の段階があるとして、さらにリアリズムの不毛性にユートピアニズムが再び出現し、
ユートピアニズムの生き過ぎをリアリズムが再度発生するという、批判と創造のサイクル
蓄積が学問としての条件であると考えています。

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  • 編集日時:2007/1/29 01:02:54
  • 回答日時:2007/1/28 16:58:50

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elfinnalさん

条件と例で定義させてください。
1 文字と言葉によって継承、発展が可能であること
武術や音楽のように体験しなければ始まらないものは、アートであって学問ではない
先にあるものを批判し、新しい考えができていくプロセスが重要
絶対正しいものがあるという、前提がない探求的なもの
2 体系的な知識であって、開かれているも
宗教の教義は体系的だが、独立ソフトのようなもの、信者以外には意味がないし、その意見が取り入れられる余地もない
オタク的な知識には、すごいものがあるが、量が中心で、上下の厚みがなく体系的にまとまっていない

学問とは、
言葉によって体系づけられた開かれた知識の集合体であり、継承、発展していくもの

という定義でよいと思います。

skwtm385さん

僕たちが生まれる前には覚えていたことを
現実世界に於いて 時間軸に沿って想い帰してみることだと思ってます

johnkazulennonさん

専門分野の「方法論」を勉励する事ですね!

qwnph299さん

学問という言葉が嫌いです。
科学とは客観的な事実の体系です。
人文、社会のなかには、学問であって科学でない分野があります。なんとか学とかなんとか説とかいわれることが多く、体系化されていますが、客観的な証明ができません。
だから悪いのではなく、皆がそこのところを区別しないで認識しているため、話が混乱してしまうところが問題です。
科学屋は証明不可能なものををエセだと思い、文科屋は科学屋を血も涙もない理数人間だと感じます。
そこのところを明確に定義し、両者には違いがあることが誰にでもすぐに判断できる言葉が必要だと昔から思っています。
学問などというあいまいな言葉があるのが誤解のひとつの原因だと思います。

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  • 編集日時:2007/1/21 20:48:08
  • 回答日時:2007/1/21 20:38:50

apocalypse666survivalさん

たとえで答えていく。

現力を研究するのは『科学』である。

原子力の科学研究によって現爆弾を作るのは、『技術』である。

この原子爆弾を使ってよいかを判断するのが、学問である。

『学問』とは、『文学』といい、現在の哲学・歴史学・文学』をあわせたものを言う。
中身は、『人格の陶冶』であり、『人として生きる道』を説いている。

だから、原子爆弾を作って、日本に投下させた者は、『科学者』であって、『学者』ではない。

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  • 編集日時:2007/1/22 10:27:59
  • 回答日時:2007/1/21 19:17:44

nuclear_tipsさん

私見で申し訳ないのですが・・・
学問とは、ある事柄や事象等に関して、多方面からの問いを重ね、そして多くの答えを見つけて行くプロセスを学ぶ事だと考えております。
一つの事柄を取り上げても、その立場や価値観等で多くの考え方が存在し、また、解を得るためのアプローチを多岐に渡ると考えるからです。
中にはそれぞれの立場等から、相反するもの、完全にその考えを否定したいものも存在すると思います。
何故ならば、それらはそれぞれの方々にはその解や解を求めるアプローチが最善だからです。
ですから、それぞれの考え方やその考えに結びつくアプローチ等を共に考え合い、そして認め合う事、それが真の学問だと考えます。
質問者さんはそれらの考えを多くの方々に見せるため、そして考えて頂くために質問されたのではと考えます。
それぞれの価値観や考え方の共有こそが学問を極めたものの境地だと考えます。

tukiyomi_mikotoさん

明治の偉人「福沢諭吉」氏は、「学問のススメ」で「人間の間の格差の原因」は「学問」といっている。

「生まれながらに平等であるはずの人間の間に「貧富の差」等の格差が何ゆえ生じたか?

『学問』とは、すべての人間は生まれた時は実質的に平等であり、
人間各自が成長するに伴い、各自特有の多様性を身に付けていくが
その各自特有の多様性が開花する成長過程で「自己の人格の陶冶」に役立つものをいうと思う。

『学問でないもの』とは、人間各自特有の多様性の開花のための成長過程で「自己の人格の陶冶」に役立たないものをいうと思います

tomi2005flowerさん

先人の教えを学び、問う事です。

学ぶ事が無くなった時点で無学となり研究者となります

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