解決済みの質問
江戸時代初期の大奥で、本当に春日局は「御年寄」職に就いていたのですか?
江戸時代初期の大奥で、本当に春日局は「御年寄」職に就いていたのですか?
TVドラマ等の扱いやノベライズの解説を見る限り、春日局は御年寄だったという印象を受けます。しかしながら、その他の大奥研究本でも書かれていたことではあるのですが、女中の職制が完全に整っていなかった江戸時代初期であるにも関わらず、本当に春日局は「御年寄」職に就いていたのでしょうか?
- 補足
- 春日局が御年寄職に就いていなかったとすれば、実際の呼称はどうあれ「大奥総取締」に類する立場にあった事になりますが、五代将軍綱吉時代の右衛門佐の立場もこれに類するものを考えてよいのでしょうか?
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- 質問日時:
- 2007/5/19 14:43:07
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- 解決日時:
- 2007/5/19 21:10:54
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ベストアンサーに選ばれた回答
人間というものは何か確固たるものがないと理解しにくいということの例証となるのが、この春日局の立場です。
大奥総取締役といった役職名があり、それに春日局が充当されれば、納得できるということになりますが、
幕政初期には、幕制が整っていないし、職名の記録も覚束ないところからさまざまな論議がでてくる素地となります。
少なくとも春日局は、大奥の女中たちの中で首座の地位に相当する立場であったと考えるのが至当でしょう。役職名に拘らず。
さらに、その首座の地位に相応しいものとして春日局は、従三位の位階に叙せられ、後年、従二位まで昇叙しているところは、位階からみても将軍御台所の匹敵する地位であるということは紛れもない事実です。
あとにもさきにも、将軍御台所以外の大奥女中で、従三位や従二位に叙せられた女中は、春日局お福だけです。
右衛門佐についても権勢を振るったということから鑑みて、職名に拘らず、大奥の中では幹部であったとのみとらえておけばよいと思量します。
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- 回答日時:2007/5/19 20:56:13
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ベストアンサー以外の回答
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「大奥の職制」は、「春日局」が「創作」しました。
「公式」なものではありませんでしたが、時代が進むに従って「公儀の表職」との比較で考えられるようになりました。
したがって、「御年寄」職を創作した春日局がその「職」に就いてはいなかった、と思われます。
やはり、それより上位の職、「大奥総取締役」=「御台所と同格」だった、と思われます。
実際、家光の厚情で「女性の身では最高の位の従一位の官位」を賜っており、晩年には「御年寄」以上の格式であったと思われます。
注)本来、大奥の上下関係は将軍の母親、正妻の御台所、次に大奥取締りたる御年寄でありましたが。
公儀の表の要職に「老中」「若年寄」のほかに非常勤の職として「大老」がおかれることがあります。
春日局の「大奥総取締役」はこの「大老」に匹敵するもので、
以後は「御年寄」の上に「大奥取締役」がおかれることはありましたが、(総)はつきませんでした。
したがって、右衛門佐の立場は「大奥取締役」ではありましたが、「総取締役」ではありませんでした。
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- 編集日時:2007/5/19 18:12:54
- 回答日時:2007/5/19 15:49:29


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