解決済みの質問
新撰組の沖田総司はかなりの剣術の使い手だったと有名ですが、実際どうだったので...
新撰組の沖田総司はかなりの剣術の使い手だったと有名ですが、実際どうだったのでしょう?本当に何人もの敵を倒して実績を上げたのか。それともただ新撰組の道場のようなところで他の新撰組の人より強いとされただけ
なのでしょうか。また沖田総司がこれほどまでに腕があると有名ならばアニメみたいに五人くらいの敵に囲まれても一人で倒してしまうといった非現実的なことも可能だったのでしょうか。さらに何人くらい殺害してきたと考えられますか?それともう一つ。剣の世界じゃなく銃の世界にもソリッドスネークのような数々の戦争を生き抜き貢献した英雄などはいると思いますか?
-
- 質問日時:
- 2007/10/1 19:03:15
-
- 解決日時:
- 2007/10/16 03:06:27
-
- 回答数:
- 2
-
- お礼:
- 知恵コイン
- 100枚
-
- 閲覧数:
- 9,297
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
まず、幕末であっても、道場で竹刀を使った練習は、あくまでも剣道、つまりスポーツであり、竹刀剣術で強かった人物が、実戦でも強いとは限りません。これは、当時の新選組隊士を始め、多くの武士が証言していて、この説は、現代の剣道の達人たちも日本刀を扱わせれば素人同然である、ということで証明されています。
そこで、沖田ですが、記録を見ると、「沖田は、道場では天才的で、彼よりも年長で、他流の免許皆伝の者達が、竹刀剣術では子供扱いされた」そうです。ここで、沖田は竹刀剣術では抜群に強かったと言えます。
次に、彼の実戦の実力を探ってみましょう。意外なことに、天才剣士として有名な沖田ですが、実戦で活躍したのは、新選組時代の初期でしかなく、中期以降は、持病の労咳のため、剣術家としてはほとんど活動していません。
しかし、少ない実戦記録をみると、やはり、敵をいとも簡単に斬り捨てています。さらには、斬り合いでケガを負った、という記録も、まったくと言って良いほどありません。有名な池田屋事件の記録を見ると、先頭を切って切り込んだ近藤は、沖田を従えています。練習ばかり強くて実戦に弱い人物を、近藤はパートナーとして選びますか?
その池田屋では、沖田は早々に労咳の発作により血を吐き、昏倒しています。が、槍で向ってきた吉田稔麿を、一刀で斬り伏せています。
以上の記録を見ると、実戦でも強かった、と考えて良いのではないでしょうか?
また、沖田は、超実戦派である新選組の剣術教授を務めています。この役職、他には、永倉新八、斉藤一、服部武雄などといった、実戦で大活躍した人物が務めていますので、沖田だけが実戦に通用しない道場剣客だった、というのも不自然です。
「多人数相手に、どこまで戦えたか」ですが、これは昔の侍達の記録や、現代の格闘家たちの喧嘩のエピソードを見れば、ある程度予測がつきます。結論は、「多人数相手でも戦える」です。
多人数相手に戦う、と聞くと、いっぺんに4、5人を相手にする、と思いがちですが、喧嘩に強い人物は、そんな事はしません。常に動き回りながら、己に有利な場所を選び、1人づつ相手にするのです。これは、剣客たちの記録でも、格闘家の喧嘩のエピソードでも、同じく見られる行動です。ただし、完全に周囲を囲まれてしまうと、さすがに不利です。ですので、そもそも実戦に強い者は「囲まれないようにする」のです。
ちなみに、私自身も、3人を相手に喧嘩し、勝った経験がありますが、やはり、最初の1人を殴り倒し、直ぐに走って距離を稼ぎ、追ってきた1人を倒し、最後に残った1人と、じっくりと勝負しました。
- 違反報告
- 編集日時:2007/10/1 20:22:36
- 回答日時:2007/10/1 20:18:09
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
16人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
沖田総司は、天然理心流免許皆伝者です。当時同流派の皆伝者は他に佐藤彦五郎(土方歳三の義兄)と四代目宗家の近藤勇だけでしょう。(三代目の周助先生がご存命なので)
同流の井上源三郎さん(六番隊長)で中級位目録です。
同流では、当時塾頭で、四代目宗家近藤勇と対したら三本のうち二本は沖田が取るかも知れない。というのが通説です。四代目宗家近藤勇も、もし自分に何かがあった時は天然理心流の五代目は総司が継げ。と名言した位です。(天然理心流宗家は、宗家が実子に恵まれず、養子養子で継続 四代目近藤勇=本名宮川勝五郎→養子となって島崎勝太→四代目襲名で近藤勇)
それほどの剣の名手でありましたが、新撰組隊中では、沖田に匹敵する使い手が斉藤一(三番隊長)、永倉新八(二番隊長)であったと言われます。沖田はご存知の通り池田屋事件以降肺患のため大きな戦闘に参加していませんが、同役の永倉新八は生涯に九十余名斬ったとされています。
アニメ、、、みたいな話は、天然理心流は実戦本意の剣術なので現実!集団戦、集団の囲まれた場合の術もあります。事実として、池田屋事件では実際に二十人以上の相手に対して池田屋の中に踏み込んだのは近藤、沖田、永倉、藤堂平助(八番隊長)の四人。しかも、二階に上がって行ったのは近藤、沖田の二人だけです。近藤は途中で一階に下り、沖田が一人で十数人を相手~永倉、藤堂は一階で逃亡者を相手にした~
大坂での力士相手の乱闘事件を初め、相当斬っています。
沖田が江戸試衛館時代、日野に出稽古に行った(十二回記録あり)際、日野の佐藤彦五郎道場で一番恐れられていた先生が沖田で、その理由は一切手加減しない。そして門人が数人かかりで挑んでも一本も取れなかった。とされますし、同役の斉藤一は明治以降警察の檄剣師範となりましたが、晩年に二十人以上の弟子に同時にかからせても一本も取られなかった。という事実が残っていますから、相当な腕前だったのでしょう。
- 違反報告
- 回答日時:2007/10/1 20:43:47

