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ロマノフ王朝 ロマノフ王朝で、エリザヴェータ~エカテリーナ2世までの間にあった...
ロマノフ王朝
ロマノフ王朝で、エリザヴェータ~エカテリーナ2世までの間にあった事件や改革、偉業などを教えてください。
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- 質問日時:
- 2007/11/4 13:44:33
- ケータイからの投稿
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- 解決日時:
- 2007/11/10 19:29:42
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ベストアンサーに選ばれた回答
エリザヴェータ・ピョートル3世・エカチェリーナ2世の三人ですね。
まずエリザヴェータですが、彼女は宮廷革命によってイヴァン6世を倒し政権を掌握しました。父・ピョートル1世の政治を継承しようとしましたが、実権はシュヴァーロフに握られました。彼の元で、1750年代には国内関税の廃止、保護貿易、国立銀行の設立などを行いました。さらに死刑も廃止され、モスクワ大学の設立とともにフランス文化の受容にも勤めました。
1962年には、七年戦争においてプロイセンの包囲網の一翼を担っていたロシアでしたが、ピョートル3世は即位してまもなくフリードリヒ2世崇拝のため、七年戦争での獲得地を返還しました。これにより、ロシアの支配層の反感を招き、エカチェリーナ2世と近衛連隊の宮廷革命により帝位を追われ、殺害されました。
エカチェリーナ2世はヴォルテールとも親交があり、啓蒙絶対君主として貴族の特権を擁護して協調体制を敷きました。都市にも自由権を与えましたが、農奴制には手をつけませんでした。そのため、1773年にはプガチョフの農民反乱が起こり、その鎮圧後は反動化して農奴制を強化。フランス革命後はその反動が顕著になり、自由主義弾圧の急先鋒となります。またアメリカ独立戦争では武装中立同盟を提唱し、オスマン帝国と2度戦い、黒海沿岸を奪いました。東方でもベーリング海峡からアラスカにかけて進出しました。ポーランド分割にも参加するなど領土拡大にも努めます。
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- 回答日時:2007/11/6 23:03:16
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ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
七年戦争への参戦と、突然の戦線離脱です。
ロシアは西部で勢力を伸ばしてきたプロイセンのフリードリヒ2 世を警戒、これがドイツ諸邦の盟主を自任するハプスブルク帝国、さらに外交革命でマリア・テレジアと同盟関係にあったフランスの提唱で宣戦しました。
ロシア軍は国境を破り、一時はベルリンを制圧しフリードリヒ2世を自殺寸前に追い詰めました。しかしエリザベ-タ女帝が急死し、かねてから親プロイセン派のピョートル3世が即位するやいなや和睦し戦線離脱。
皇帝は軍や組織をプロイセン風に変えようとして、反感を買い、妻エカテリーナのクーデタ-で暗殺されました。
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- ケータイからの投稿
- 回答日時:2007/11/5 02:01:04


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