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日本のモルトケと呼ばれたのは誰でしょうか?40年程前まだ新入社員だった頃友人...

kokkodaiさん

日本のモルトケと呼ばれたのは誰でしょうか?40年程前まだ新入社員だった頃友人の部屋で議論をしたのですが決着がつきませんでした。今度、その友人と久しぶりに会いますので酒の肴に。定説をおしえてください。

私は川上操六説、友人は児玉源太郎説。私の主張はもう古い話しで詳しい内容は忘れてしまいましたが
①確か誰かの本で読んだ記憶がある。(徳富蘇峰のものは多分まだ読んでいなかったと思うので伊藤正徳の軍閥興亡史あたりかと。)
②軍令一筋という事で児玉源太郎は守備範囲が広すぎる。 というような内容だったかと。

補足
川上操六は日清戦争時参謀次長、陸奥宗光らとともに日清戦争を主導。後に参謀総長。
児玉源太郎は日露戦争時満州軍総参謀長、小村寿太郎、山本権兵衛らとともに日露戦争を主導。やはり後に参謀総長。
結局は日清戦争と日露戦争、ふおう戦争とふふつ戦争の世界史的意義というすさまじい話しになり、大の大人でもきついかと。結局は”誰かの本”を持ち出すしかないかと思いますが。

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ベストアンサーに選ばれた回答

kotori672007さん

う~ん・・・私も聞いた事あります。でも、思い出せない・・・大山巌?山田顕義?すくなくとも、山縣や児玉ではないと思いますが・・・。

川上ではたぶん、ないです。
なぜなら川上は海軍の人、「日本の~」と軍人で言う場合、海なら海の人、陸なら陸の人が普通ですから。東郷を「日本のネルソン」といいますが、英提督ホーレイショ・ネルソンはまったくの海軍軍人ですから・・・。
大モルトケはプロシア(ドイツ)陸軍参謀本部を設立した、陸軍軍人ですから、比較する場合相手は陸軍軍人でしょう。
もっとも、西郷従道みたいな「陸の人?海の人??」と言う人もいますが・・・。

児玉はどっちかというと軍政畑の人ですから、おっしゃるとおりだと思います。
でも、こういうのはキッチリした決まりがあるわけじゃなし、全然関係なかったりして。

ぱっと「田村怡与造」だ!と思ったけど、調べたらあだ名は「今信玄」でした(山梨出身なんで・・・)。

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  • 編集日時:2008/2/21 19:21:58
  • 回答日時:2008/2/19 19:22:26

質問した人からのコメント

  • 驚く丁寧に答えてくださって有難うございます。でも残念なことにあなたの答えはそもそも正確ではないと思います。感謝の意味で補足しておきましたのでご一読を。
    結構難しい質問で、50枚では枚数が少なすぎました。
  • コメント日時:2008/2/22 08:39:22

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