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中世ヨーロッパで行われた「十分の一税」について質問です。あれはなぜ教会が徴収...

kantada_mouhuさん

中世ヨーロッパで行われた「十分の一税」について質問です。あれはなぜ教会が徴収していたのですか。

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ベストアンサーに選ばれた回答

holding_onto_smokeさん

十分の一税という名称がついていますが、元々はローマ帝国時代に
キリスト教徒が献金として教会に納めていた習慣から始まりました
旧約聖書のシナイ山でのモーセの戒めに、農産物の十分の一は神の
ものであるという教えがあり、それが新約聖書での「持ち物を売り払い、
貧しい人々に施しなさい」という命令に置き換えられたもので、本来は
自発的な献金でした。但し、この習慣は西ローマでのみ行われてい
ようです。

やがて、ローマ帝国滅亡時に属州統治機構が崩壊したため、ガリア地方
などでは教会がこれに代わって暫定的統治を行う必要性が起こり、その
財源として十分の一税が必要になります。こうして民衆と教会の双方の
必要性から十分の一税が普及していきます。これが八世紀半ばまで
西ヨーロッパ全域での慣行となります。そして、フランク王国の時代にカール
大帝のヘルスタル勅令によって、十分の一税はフランク王国全住民が教会
に納めるべき税金とされました。カール大帝がこのような勅令を出したのは、
神権的政治体制を目指しており、神の代理としての王権の強化が目的で
あったとされます。これにより十分の一税は、キリスト教徒が司教区に義務
として支払う税として定着することになり、フランク王国分裂後も受け継がれ
ていくことになったのです。

質問した人からのコメント

  • 感謝それは知りませんでしたので大変勉強になりました。すばらしいご回答、本当にありがとうございました。
    他の皆様方にも慎んで御礼申し上げます。ありがとうございました
  • コメント日時:2009/3/24 06:52:47

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iwaiwaiwai8901さん

確か、聖書に「財産の十分の一を、貧しい人達に分け与えなさい。
って書いてあるのが根拠です。
まぁ教会が貧しい人達に配るっていうのが名目なんでしょう。

na_cochiさん

教会の運営のための税です。
中世ヨーロッパにおいては、教会が学校であり、医療機関であり、精神的支柱であり、公会堂でしたから、教会がないと生活できない状況にありました。
そのための税です。
当然一部は、教皇庁にわたります。
スペインが、新大陸やフィリピンで布教にやっきになったのは、その1/10税の一部をスペイン国庫に入れる事が教皇庁より認められたため、キリスト教の布教が、スペイン王室の財政を潤すことになったからです。

smile1124kさん

当時のヨーロッパでは教会が絶対的権限を持っていて王ですら教皇に太刀打ちできず(例 カノッサの屈辱)いた為かと

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