解決済みの質問

昔南アフリカ共和国にあった「アパルトヘイト」について質問です。
ymaekawa2002さん
昔南アフリカ共和国にあった「アパルトヘイト」について質問です。
「アパルトヘイト」の内容はある程度分かりますが、
なぜ/どのようにこんな政策が推進されたのかの経緯がどうしてもよく分かりません。
歴史を絡めて簡単に説明いただけませんでしょうか?
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minimamurupiaさん
アパルトヘイトという政策が推進された理由は、簡単に言うと、少数の白人が政治的・経済的な権益を独占し、黒人を安い労働力として利用するためです。
南アフリカには、17世紀頃からオランダ系白人が流入し、その後イギリスの支配を経て1910年英連邦内の自治領として独立します。その後、白人たちが先ほど述べた理由から様々な人種隔離政策を推し進めました。
白人政府は、表向きは、「多くの民族・多くの文化それぞれが独自に発展するべきで、混ざりあうべきではない。アパルトヘイトは人種隔離ではなく、分離発展の政策だ」と述べていましたが、内実は人口の15%程度に過ぎない白人が、大多数の黒人や有色人種を支配するためのものでした。
1961年に、英連邦から脱退し、南アフリカ共和国として正式に独立したあたりで、アパルトヘイト政策は頂点に達します。その後、黒人解放運動の指導者だったネルソン・マンデラが逮捕され、黒人に対する虐殺事件も相次ぎます。
1970年代に入ると、国際連合やアメリカ合衆国が南アフリカ制裁を開始、世界がアパルトヘイト廃止を訴え始めます。
1980年代にはいくつかの差別法が廃止されるなど、国際社会からの圧力の成果が出始めます。
そんな中、日本は南アフリカに埋まるレアメタル欲しさに南アフリカの最大貿易相手国としての地位を確保し続け、「名誉白人」という地位まで与えられてしまいます。国連安保理では、「日本非難決議」まで採択されました。日本に対する非難決議が採択されたのはこのときだけです。日立、トヨタ、ソニーと言った南ア進出企業に対する不買運動も世界各地で起きました。
ちなみに、「日本南ア友好議員連盟」というアパルトヘイト政権支持の議員連盟があったのですが、その会長は当時国会議員だった今の東京都知事さんです。
1989年になると、黒人たちの激しい反対運動と世界からの圧力で、アパルトヘイト崩壊へ向けて一気に情勢が動き出します。
国民投票(白人のみ)で、「数年以内のアパルトヘイト廃止」を決定、後にマンデラと共にノーベル平和賞を受賞するデ・クラークが大統領となり、政治犯の釈放が始まります。
翌年2月には、ネルソン・マンデラが27年半ぶりに釈放され、黒人グループも武装闘争を停止します。
その後・・・
1991年 全てのアパルトヘイト関連法案が廃止
1993年 国連が南アフリカ制裁を解除、全人種合意で暫定憲法制定
1994年 全人種参加の大統領選挙でネルソン・マンデラが圧勝
という感じです。ざっくり簡単に言うとこんな感じでしょうか。
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nhktbsbs1さん
もともとこの地域を開発したのは数百年前オランダからの移民ボーア人です。黒人はそのあとに入植してきました。アフリカというイメージが黒人、また入植した黒人が多産の結果ボーア人を大きく上回りました。ネルソンマンデラが釈放され黒人主体の政権が出来ましたが、国家は完全に崩壊しました。今は昔の面影はまったくありません。黒人が統治してる国でまともな国はアフリカには存在しません。
日本もかって明治の初めは欧米から不平等条約を押し付けられ彼らの利益優先の外交でした。世界史とはそういう厳しい現実の元に発展してきました。アフリカが未だ発展から取り残されているのは国民の勤勉のなさ、産業振興などが大きく遅れているためです。神代の昔から今に至るまで世界は強いものが支配し続けるのです。
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