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東京オリンピックの入場行進

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質問者

ikarugano_satoさん

2010/6/518:26:01

東京オリンピックの入場行進

急に古い映像を見たくなって、東京オリンピックの記録映画を観ました。自分が生まれる20年近く前の映像ですが、本当に感動です。特に日本選手団が行進している時は自分でもよくわかりませんが胸が熱くなりました。昭和独特のナレーション。整然とした行進。入場開始時と日本選手団行進時に使われていた音楽、本当に格好いいと思いました。
なぜか自分の頭の中ではあの入場行進の音楽と0系新幹線がセットで現れます。

当時、リアルタイムでテレビ等でご覧になられた方いらっしゃいましたら、ご感想をお聞きしたいです。変な質問ですみません。

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race1063さん

編集あり2010/6/1118:13:38

私のスポーツ好きの原点です。
当時小学校1年生でした。(年齢がわかりますね・・・)
開会式を家族で見ている頃は,特になんとも思いませんでした。
しかし,毎日毎日繰り返しテレビでいろいろな競技が放送されるに従い
食い入るように見ている自分がありました。

マラソンは学校で見ましたね。今みたいに各クラスにテレビがなく,
図書室かなんかで学校中で見てました。
円谷選手がゴール前のバックストレートでイギリスのヒートリー選手に
抜かれるシーンは,絶叫の嵐でした。
チャスラフスカ選手の演技は,今のアクロバチックな体操と違って
バレエのように優雅でした。
神永選手を寝技で押さえ込んだヘーシンク選手が,勝利を喜んで
畳に上がろうとしたコーチたちを制止したシーンもありました。
怪力ザボチンスキー選手の重量挙げ,
機関車のような走りの「褐色の弾丸」へイズ選手。
cazzlelonさんのおっしゃるセイロンのカルナナンダ選手も記憶に残っています。

あー,思い出してもきりがないほどいろんな選手が出てきます。
その後,家にあった毎日グラフだったかのオリンピック特集はボロボロになるほど
読み返しました。

古関裕而作曲のオリンピックマーチが,今も頭の中で鳴っています・・・・・

追伸
他の方々の話,とてもうれしいですねえ。
最近東京オリンピックの話をする機会がなかったですからね。
リアルタイムで見た世代にとっては特別な出来事でした。
もっといろいろな思い出話が出ないかなぁ。

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kfcph445さん

2010/6/1123:22:41

私は、小学校に入る前でした。
白黒のテレビで見た覚えがありますが、それが当日のものだったのか、後日の再放送のものだったのか、ちょっと定かではありません。
でも、当時の子供たちの遊びの中でも、オリンピックごっこみたいなことをした覚えがあります。
「○ちゃんは、ソ連の体操選手、○君は、アメリカ・・・」というように、役を決めて、平均台の上を歩いていました。

入場行進については、私の母が大好きで、今も言います。
「東京オリンピックの入場行進は、素晴らしかった!そろいのブレザー姿で、手足がぴったり合って、さすが、代表の選手たちだ!」
ところが、今のオリンピックは、ばらばらに歩いてきて、中には自分で写真を撮っている人もいます。
あんな入場行進は、見たくないそうです。
「東京オリンピックみたいに、なんで合わせないんだ!」
とがっくりしています。
時代が変わったんだといえば、それまでですが、やはり、あの行進は、私もよかったと思っています。
日本がこれから力をつけていく、という、みんなの期待がつまった行進だったと思います。
「国のため・日の丸をしょって参加する」という考えから「個人で楽しむ競技」になったのは、いいことです。
重荷に感じて自殺なんて、つらいことです。
でも、みんなで合わせる、という形は、あってもいいようにも思います。

とりとめのないことを書いてしまいました。
母の気持ちを書きたくなって、参入しました。
失礼しました。

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macchino2002さん

2010/6/922:41:05

当時8歳だった私の家は、千駄ヶ谷に近く、国立競技場の前を通る道に面していました。
オリンピックが近付くにつれ、道路は広くなり、草の生えてた都電の道は舗装され、ビルが建ち、首都高速が完成し、新幹線が開通し、まさにユーミンの歌にあるように東京の街が大きく変貌していきました。

そして迎えた1964年10月10日。国立競技場には行けませんでしたが、物干し台に上り、楽しみに上空を見上げていました。航空自衛隊ブルーインパルスのF-86Fが五輪の輪を上空に描くと聞いていたからです。「来たっ」と兄が叫び、目を凝らすと、5機のブルーインパルスとその上空にチェイスの機体がキラッと光っています。そして描かれた五色の美しいスモーク。もう大興奮でした。

東京オリンピックは、今の時代だったら何に例えられるんだろう、と考えましたが、例えようが無いほど大きなイベントでした。1970年の大阪万博も、2002年のワールドカップも大きなイベントでしたが、比較にならないくらい、皆が興奮していました。世界中から人が来て、世界中から注目されるイベントは日本では初めての事でしたから。それと、現在ならメディアやネットで必ずと言っていいほどこうしたイベントに批判的な意見や記事が出ますが、当時は無かった。皆、オリンピックに勇気付けられていたのだと思います。

体操女子チャスラフスカの優美な演技、マラソン・アベベのゴール後の疲れを知らない屈伸運動、重量挙げ・三宅の気合、ヘーシンクに負けてしまった柔道無制限級、全てが懐かしく思い出されます。市川昆監督の記録映画は、当時の常識を打ち破るカメラの数、選手の筋肉の動きや息遣いまで克明に収めた芸術作品として、海外では高い評価を得ています。日本では当初は「難しすぎる」と言われたと記憶していますが、オリンピックマーチは今でも自然と口ずさんでいます。

最後に、「東京オリンピックをリアルタイムで経験出来たことは本当に幸せだったなあ」と46年前を思い出しました。素敵な質問、ありがとうございます。

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hiroshikozouさん

編集あり2010/6/911:50:04

私は、東京オリンピックの時、まだ、これから幼稚園でしたが、渋谷区に住んでいましたので、記憶しています。

開会式は、TVを観ていて外に出て空を見上げると、自衛隊のジェット機が、排気で五輪のワッカを描いたことが、幼少の子供にとって衝撃的でした。
千駄ヶ谷の国立競技場と自宅の上空は、同じ空の下でした。ヒコーキ雲を夕方になるまで、眺めていました。

父が運転する「スズライト」という小さな車に乗って、代々木の体育館を訪れました。
幼少の私は、父に連れられ、ブリキのオモチャを小脇に抱えていました。

体育館の前を歩いていると、、外国人のプレスらしき人物が、写真を撮らせて欲しいと、言ってきました。
父が「OK!」と言うと、外国人は、喜んで、体育館をバックに私達親子を撮影しました。
「サンキュー」お礼に、ガムを貰いました。
今でも、どこかの国のアルバムに1964年高度成長著しい東京の親子として残されてるんだろうな。と思います。


私はとにかく、まだ、小さかったので、スポーツのことは、単純な競争しか、わかりませんでした。
ですが、毎日、「オリンピックごっこ」と言っては、近所のこども達と、路地裏で、かけっこして、水泳競技を真似て、他所の塀にタッチして、トンボ帰りでUターンしてました。が、あとから、考えるとそんな陸上競技は、ありませんでしたね。

オリンピックの前からエチオピアのアベベ選手は、日本でも人気でした。
ある日、家でボーっとしていると、父がいきなり、「よーし、マラソン観にいくぞ!」
ちょうど、生中継で、国立競技場を出たところ。

私は、先ほどの「スズライト」に乗り込み、母と三人でした。(私には、姉がいますが、学校で応援していました。)
私達三人は、マラソンの先頭集団を追い越して、甲州街道(国道20号)を先回りして、歩道橋の下辺りに陣取ったつもりが、レースのペースは、父の予想を上回り、すでにそこ、沿道の歩道上は、黒山の人だかり。日本の小旗を振ってる人もいたと思います。
私は、その人の合間をぬって、観ることがやっとできたんだけど、確か、アベベの影武者みたいな人物を観た記憶があったのです。
それは、ず~っと、後になり、同じエチオピアの「マモ」選手だとわかり、彼は、メキシコで覇者になりますが、この時点で、私は知りません。アベベみたいな人を見た。
そんな感じだったんですね。

そして、家に帰ると、モノクロTVの映像が、府中の折り返し地点を映し出していました。
やたらと、白バイが目に付いたけど。

そして、劇的な忘れもしない、国立競技場でのデッドヒート。エチオピアのアベベ選手が、独走でゴールして、余裕かましたことに皆驚いて、その後に、日本の円谷選手が入ってきて、どっと沸いた直後、後ろに、英国のヒートリー選手が入ってきて、ぐんぐん追いつかれて、ついにトラックの中で、抜かれてしまう。観客もお茶の間も、悲鳴に近い応援をしたんですが。
私も、くやしくて、涙が出てしまいました。
姉が、帰って来て、再映像を観ました。姉が「ヒートリーは、抜いたあとで、後ろ振り返るなんて、ひきょう。」とまで言ってました。
まあ、私としては、ヒートリーというオジサンが、若いのか、年寄りなのかが、疑問でしたが、頭はげていたので。

日本の円谷選手は、惜しくも、3位になりましたが、堂々の銅メダル。日本人では、君原選手は、期待されたものの7位だったかな。
しかし、
私自身、幼少であり、メダルというものは、すべてが、「金メダル」だと思っていたのです。
隣に住む小学生のお兄ちゃんに教えに行きました。
「つぶらや、金メダルとったんだよー」
ところが、小学生の彼は、「銅だろ!」
私は家に帰って、父に聞きました。「どうって、何?」
そこで、初めて、金銀銅のことがわかった次第。
オリンピックは、各国国旗など、色んなものを覚えたイベントで、遊びの内容まで変えてしまったよ。

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cazzlelonさん

2010/6/700:54:33

この質問を見たときから早く回答がこないか楽しみにしていましたが、spiritofさんの回答を見て感動いたしました。
私は38年生まれで現在47歳なので東京オリンピックの記憶はないので、実際にそういう体験をされた方の話を聞けてよかったです。

私が初めてオリンピックを身近に感じたのは小3の冬の札幌オリンピックです。
開会式は今考えると大きめの運動会のようで非常に素朴なものでしたが、やはり入場行進には感動しました。解説の方は各国の紹介とともにユニフォームにもお国柄が出ているというようなことを言っており、「そうなんだあ、、、」と思いながら見ていました。
聖火の最終点火者が地元の中学生という、今では考えられないものでしたが、中学生になったらああなりたいと思ったものです。

初めて東京オリンピックに接したのはその少し後で、小学4年の国語の教科書です。「ゼッケン67」という題の話で、東京オリンピックの陸上10000mでビリになったセイロン(当時)の選手の話を読んだときでした。この話はとても感動すると同時に、諦めない気持ち・頑張る人を応援する気持ち・礼儀・譲ることの大切さなどが心に深く残ったことを覚えています。
また、当時の先生の話から「参加することに意義がある」こととかアマチュアリズムについて聞かされ、オリンピックがより意義深いものに感じられました。
前後して行われたミュンヘンオリンピックでも当然釘付けで、それからずっとオリンピックファンです。

つい自分の思い出話を書いてしまいすみません。 spiritofさんの話に感動してつい、回答でないのに書きこんでしまいました。

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編集あり2010/6/906:28:55

私が中学1年生のとき、東京オリンピックがありました。
東京オリンピックの開会式は、1964年の10月10日の午後2時からでした。土曜日でした。

まっすぐ家に帰って、必ずテレビで東京オリンピックの開会式を見るようにと学校から言われました。
家にテレビがない人は、学校に残ってテレビを見るようにと。

しかし、当時の私は野球少年で、野球以外のスポーツには興味がありませんでした。東京オリンピックにも関心を持っていませんでした。

ところがです。
午後2時、オリンピック発祥の地ギリシャを先頭に入場行進が始まると、私は画面を食い入るように見入っていました。
各国の選手団の整然とした堂々の入場行進に感動しました。

知らない国々から日本に集まった選手の行進に、完全に心を奪われました。
それとともに、アナウンサーが紹介するその国の場所、山や川の名前、特産品、首都名、などに引きつけられました。

私は、外国の人々と友達になりたいと強く思いました。
また、外国のことにとても関心を持ちました。
当時は、私が住む大阪には外国人は少なかったです。

開会式が終わるとすぐ、中学1年の世界地理で使っていた教科書を読みました。
もっと外国のことを知りたいと思いました。気がつけば高校の世界地理の参考書を勉強していました。中学1年生で。
私の外国の人々と友達になりたいという願望は、ますます強くなって行きました。

1年間英語を勉強して中学2年生の夏休みから、海外文通を始めました。
最初はアメリカの中学生でした。
高校生になっても、大学生になっても、社会人になっても海外文通を続けました。

いま私は58歳です。
国際交流団体の会長をしていて、主に中国、韓国の大学へ、毎年6~7回学生を引率して交流旅行に行っています。

また、マラソンのアベベ選手や円谷選手の走りに感動して長距離走を始めました。
いま、大阪の某大学の陸上競技部の監督もしています。

私のIDを見てもらっても分かるように、1964年の東京オリンピックの感動が、その後の私の人生を決定したと言えます。

いまも何かで落ち込んだときには、何度も何度も、あの東京オリンピックマーチを聞いて自分を勇気づけています。



>cazzlelonさん
感想を読ませていただきました。ありがとうございます。

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