解決済みの質問
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であ...
「池田大作の女性関係は凄まじい」のがこれほどであることは信じ難いが、真実であるようだ。宗教者としては完全に失格である。これではノーベル平和賞は絶対に貰えない。
昭和49年から翌年にかけて「月刊ペン」誌上で編集長である渡部大蔵氏が創価学会批判を行ったが、それは池田大作の女性関係にまで及んでいた。
この池田大作の女性関係は真実であり、創価学会側は笹川陽平氏(笹川良一氏の三男、船舶振興会理事長)に相談し、3000万円を渡部大蔵氏の弁護士に渡し買収に成功した。
しかし渡部大蔵氏はどのように金額を積んでも頑なに拒否した。
そして裁判は弁護士から裏切られた渡部大蔵氏の執行猶予付きの懲役刑となった。
渡部大蔵氏はこの裁判を不服として上訴中、病に倒れ死亡した。
しかし渡部大蔵氏の死後、藤原行正氏などの造反が起こり、彼らが証言台に立ち、池田大作の女性関係が真実であることが裁判に於いて立証された。
この女性関係は凄まじく、日本全国だけで200名を超えていたという(オットセイ池田)。
一部を書くと、公明党の参議院議員となった2人の女性は池田大作の愛人であった。
渡部一郎は自分の女房を愛人にされ、腑の煮えくりかえる思いであったと思われるが、耐えて公明党の参議院議員となることができた。
もちろん、夫婦仲は冷え切っていた。
全国各地にある学会施設には池田専用の極めて豪華な部屋へついて昭和52年、民社党の春日一幸氏から竹入義勝氏宛に一通の手紙が届いた。
このことを国会に於いて追求するという内容であった。
九州の霧島では国立公園の真ん中に法律を無視して施設を造っていた。
これは愛知県渥美半島、北海道、広島でも同じようであった。
広島では税務署が池田大作の豪華設備について「宗教と関係ないから課税する」と言ってきていた。
急遽、これら池田専用の極めて豪華な設備を解体する作業が行われた(この解体作業に費やした費用も莫大であった)。
結局、創価学会が「選挙で票をよこす(公民選挙協力)」と約束し、民社党は追及を行わなかった。
————————これをどう思いますか?
http://ccc998.hp.infoseek.co.jp/
創価学会内部改革派憂創同盟残党
お萩姫、命!!
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- 質問日時:
- 2010/8/17 08:37:20
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- 解決日時:
- 2010/8/23 09:40:03
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ベストアンサーに選ばれた回答
池田さんてこわい~~
口でしたか 手でしたか
四国総支部元婦人部長 寺田富子さんの告白
四国会館の風呂場でも
岡山・後楽園の後、池田会長とどうなったかというと、四国本部は高松市松島というところにあるんですが、ある日、池田会長がそこに来られて、風呂に入られた。そのとき、誰もいなかったんで、私が浴衣と下着を持って行きました。今でも、その浴衣の色を覚えてるんですが、紺と白の鎖模様でした。それで、風呂場に入っていって、『背中、流しましょう』といって流しました。その場は何もありませんでした。で、風呂場から出てゴロッと横になられて、その後、私が手でしたか口でしたか……。これが二度目の『奉仕』でした。
相手は身内だと思って、裸を見せても平気だ、という気持ちが向こうにはあるんです。あるとき、岡山の山○○子さんから電話がかかってきて、『会長が来るから、いらっしゃい』という。夜の夜中に出かけるわけにもいかず、電話でボソボソいってると、主人が、『おまえ、会長や二〇〇造と出歩いてばかりいるが、いったい、どういうことだ』といって、家庭的にも面白くなくなってきたんです。主人がダメだと言ってる、と山〇〇子さんに伝えると、その翌日ですよ、主人に副総支部長の辞令が届いたんです。そればかりではありませんでした。次は主人を衆議院選に出馬させる、とまで約束してくれました。
写真はヤングな池田先生。
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- 回答日時:2010/8/18 03:09:42
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ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
本来一権力を監視し、市民の権利を守るのが「言論の自由」の本義である。それを週刊誌の一部などは「何を書いてもいい自由」と勝手に歪めている。そうした「言論の暴力」に対して、社会は一段と厳しくなってきた。名誉毀損の損害賠償額も高額化している。
だが、マスコミの人権侵害が刑事事件になったケースは、日本の裁判史上、多くはない。そのなかでも記事を執筆した編集長本人が逮捕され、有罪判決が下された希有な事例が、あの「月刊ペン」事件である。
すでに廃刊になった「月刊ペン」という総会屋がらみの雑誌が、昭和51年に学会を狙った卑劣なデマを書きなぐった事件である。編集長の隈部大蔵は逮捕され、刑事裁判で当時の最高額の罰金刑に処された。
その悪辣さについて判決は、こう断じている。
「十分な根拠を持たないまま結論のみを先行」「情報等の確度を検討する上で必要な詰めを欠き、一方的なものを余りにも容易に受け容れた」等と厳しく糾弾している。
つまり事実も根拠も一切なく“はじめに学会攻撃ありき”で仕組まれた謀略だったことは明確である。
◆狙いは「選挙」
この事件の背景には、創価学会の世界的発展と公明党の大躍進に対する、嫉妬があった。
公明党は、昭和42年に衆議院に初進出して一挙に25議席を獲得。昭和50年代前半には、議員総数三千数百人を擁する政党に発展した。「月刊ペン」がデマ記事を出した昭和51年は、年内に衆議院の総選挙が予定されていた。その時期を狙って、同誌は公明党の二人の女性候補に事寄せ、下劣なデマをデッチ上げたのである。この二人は昭和44年の総選挙で、東京1区、3区で初当選。当時、女性議員は珍しく、当選したのは全国で、わずか8人にすぎない。それだけに公明の躍進を快く思わない勢力は激しく反発した。隈部もその一人であったことから、二人の女性候補を狙ってデマを仕掛けたわけである。
そして何よりも「大発展する学会への妬み」である。
池田名誉会長は当時、世界を結ぶ民間外交を本格的に開始。昭和年49年3月から翌年5月までに、実に中国を3度、ソ連を2度、米国を2度にわたって訪問。
周恩来総理やコスイギン首相、キッシンジャー国務長官らと会見し、米中ソの関係を緩和させる民間外交を展開した。
これは今なお世界の識者が称賛する歴史的事実である。また、学会が文明史意義から共産党と「創共協定」を結んだのも、この時期であった。
◆全裁判で勝利
「月刊ペン」事件が決着した後も、嫉妬の輩は学会を狙い、狂ったようにデマを捏造してきた。
それ自体、法華経に「猶多怨嫉」「悪口罵詈」等と説かれる通りの難であり、学会が正法流布の団体である何よりの証拠である。
しかも学会は全ての裁判で完全勝利し、隆々と発展。かたや、デマを流した輩のほうこそが厳しく断罪されている。まさに「正邪」は天下に明らかなのである。
(聖教新聞より引用)
質問者さん、「渡部大蔵」ではなく、「隈部大蔵」ですよ。連日の猛暑で頭がクラクラしているんでしょうけど、創価学会や池田名誉会長をデマ文で中傷したいのなら、もっとしっかりしてくださいよ。
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- 編集日時:2010/8/17 09:29:51
- 回答日時:2010/8/17 09:22:40


質問した人からのコメント
お萩さまの思い出は永遠に僕の胸の中で生き続けるでしょう。理想の女性像として。
ありがとうございました。