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1930年、浜口内閣が金解禁した理由を教えて下さい。

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質問者

improve12345さん

2010/10/2314:50:56

1930年、浜口内閣が金解禁した理由を教えて下さい。

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jdwss779さん

編集あり2010/10/2321:40:43

1920年以来の慢性的な不況を乗り切るために、もともと三井・三菱などの大企業や産業界から強く要求されていたからです。

1927年の日本の金融恐慌の結果として、中小銀行が倒産する不況の中で大銀行は中小銀行を吸収し、預金を集中させることが出来ました。この抱え込んだ資金を、当時まだ好景気だったアメリカやヨーロッパに投資しようとし、金解禁を主張しました。

また、当時の円相場が輸出に有利な円安状態にあったため、産業界も国際競争力強化と輸出促進を図るために円相場安定化のねらいもあり、金解禁に同調したのです。

結果として、1929年アメリカ発の世界恐慌によって他国が景気対策として大幅な通貨安政策を取る中で、金解禁によって海外に比べて割高な円相場となり、かえって輸出不振を助長しました。また、世界恐慌によって当初の目的だった投資するような環境もなくなっており、結果的に金解禁は失敗に終っています。

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2010/10/2314:55:40

金解禁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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金解禁(きんかいきん)、あるいは、金輸出解禁(きんゆしゅつかいきん)とは、金(金貨及び金地金)の輸出入を解禁して金本位制に復帰すること。特に日本においては、1930年(昭和5年)に濱口内閣によって行われた金解禁(昭和4年大蔵省令27号)の措置を指し、翌年の犬養内閣によって行われた金輸出(再)禁止(昭和6年大蔵省令36号)までに至る一連の経済政策をまとめて呼称する場合もある。
井上準之助と金解禁断行 [編集]
新しく成立したのは立憲民政党の濱口雄幸内閣であった。新内閣の大蔵大臣には元日本銀行総裁である井上準之助が任命された。民政党は「金解禁の断行」と「放漫財政の整理」を公約に掲げていたが、日銀総裁・大蔵大臣を歴任した井上にはその旗振り役が期待されたのである。井上は直ちに「旧平価による金解禁の実施」を主張して、その準備のために緊縮財政を実施して財政支出を抑えて為替相場を回復させる事を表明したのである。

濱口や井上は、金解禁や財政再建とともに重要視していたのは、産業の構造改革であった。明治以来の政府(官僚・軍部)と政商・財閥のもたれ合いの上に発達を遂げた日本の産業の国際競争力は決して強いものとは言えなかった。特に第1次世界大戦後の不況の長期化はこうした日本経済の悪い体質にあると考えた濱口や井上は金解禁によるデフレと財政緊縮によって一時的に経済が悪化しても問題企業の整理と経営合理化による国際競争力の向上と金本位制が持つ通貨価値と為替相場の安定機能や国際収支の均衡機能によって景気は確実に回復するはずであると考えたのである。

まず、井上は前内閣が定めた昭和4年度当初予算の5%にあたる9,000万円のカット(16億8千万円)を行って続いて昭和5年度予算も緊縮型予算(16億1千万円)とした。また、公務員給与の1割カットを提唱した(ただし、実行されず)。また、津島寿一を再度アメリカ・イギリスに派遣してアメリカ・イギリスの銀行からの1億円相当のクレジットの約束を取り付け、更に日本銀行には公定歩合の引き上げを、横浜正金銀行には円為替への介入と外貨集積を指示した。これによって保有外貨が3億ドルに増加し、また為替相場が48ドルまで戻ったのを見た濱口内閣は11月21日に来年(1930年)1月11日をもって旧平価による金解禁を実施することを発表した。井上は金解禁の目的を「財界の安定」・「国民経済の根本的建直し」・「日本経済の世界経済への常道復帰」・「金本位制の擁護」・「日本の経済力の充実発展」の5点を掲げ、金解禁に伴う景気への悪影響を最小限に抑制するために国民に対して消費節約と国産品愛用を訴えた。

ところが、この少し前の10月24日ニューヨーク株式市場(ウォール街)の株価大暴落(「暗黒の木曜日」)が発生してアメリカ経済は大混乱に陥っていた。これが後の世界恐慌のきっかけになるが、当初日本国内ではその影響について意見がまちまちであった。これを見た「新平価論」を唱えていた石橋ら経済評論家やアメリカ経済の動向を危惧する三菱財閥の各務鎌吉らは旧平価での金解禁に強く反対した。一方、三井財閥の池田成彬を中心とした金融界はこれ以上の金解禁の遅延は許されないとして金解禁を支持、井上も工業国では、10年に1度のペースで恐慌が発生していたことから、今回の恐慌を通常経済の範囲内の出来事と考えたために方針変更を行わなかった。

そして、1930年1月11日に当初の予定通り「金2分=1円=0.49875ドル」の旧平価による金解禁が実施されたのである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%A7%A3%E7%A6%81参考

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