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武田信玄の末娘の菊姫は上杉景勝の正室ですが、武田家滅亡後の姉妹たちと交流はあ...

milkycat222planeさん

2010/11/2523:54:15

武田信玄の末娘の菊姫は上杉景勝の正室ですが、武田家滅亡後の姉妹たちと交流はあったのでしょうか。

越後に嫁ぎ、後には人質として京都に上り、亡くなるまでその地で過ごした菊姫ですが、信玄の娘は菊姫の他に三人(穴山梅雪夫人、木曾義昌夫人、信松尼)が健在でした。兄の一人が上杉家に匿われていますが、菊姫は姉たちとはずっと音信不通だったのでしょうか。穴山梅雪夫人や信松尼は徳川家の庇護下にありましたから、姉妹を通じて徳川から上杉への働きかけなども可能だったと思うのですが、それとも他家に嫁いでしまった姉妹の仲はさほど良くはなかったのでしょうか。皆さんのご意見を伺わせてください。

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kalharosさん

2010/12/121:02:05

当時の女性の外交文書が残されることは非常に稀ですからね。
特に女性同士の書簡など殆ど残っておらず、信玄の娘たちの中で最も安定した地位にあった景勝正室の菊姫ですら書状はほぼ残ってませんから、姉妹仲を察することは不可能ではないでしょうか。
ただ、徳川家からは「武田家の兄弟姉妹である」という点だけで疑いをもたれた事があり、大久保長安事件の際、元武田家家臣であった長安が松姫や竜芳に援助をしていたことから、松姫の妹である菊姫(もうこの頃には亡くなっていますが)や武田信清にすら長安の不正に関わったのではないかと疑いの目が向けられたようです。
結局上杉家で養われていた菊姫と信清は、長安とは全くの無関係とされてなんのお咎めもありませんでしたが…。
もしかしたら、例え菊姫や信清が兄姉達となんらかの接点を持っていたとしても、このときに全て隠滅してしまったかもしれません。
もし「関わりがあった」と判断されたら上杉家にどんな類が及ぶかわかりませんから。

質問した人からのコメント

2010/12/2 23:20:03

成功 ありがとうございます。浅井三姉妹のように史料や記録が残っていないのが残念ですが、見性院(穴山梅雪夫人1622年没)と信松尼(1616年没)、菊姫(1604年没)の関ヶ原前後の動き。見性院と信松尼に養育された秀忠の隠し子-保科正之。彼は後に上杉景勝の孫・綱勝に娘を嫁がせ、上杉家の無嗣断絶を防ぐため奔走しましたが、それは養母と婿の義祖母という武田家の繋がりも考慮してか、と推測するのも歴史を学ぶ楽しみです。

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