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江戸時代、お公家さんの内何割が貴族だったのですか?

質問者

akimorosさん

2011/5/300:09:50

江戸時代、お公家さんの内何割が貴族だったのですか?

補足ありがとうございます。それで堂上は「どうじょう」でなく「とうしょう」なんですか。

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masamiinさん

編集あり2011/5/303:19:28

100%ではありません。地下公家というものがあります。

公家は大きく分けて堂上公家(とうしょうくげ)と地下公家(じげくげ)があります。早死にしたり罰せられたりしない限りほぼ確実に公卿に昇れる家柄が堂上公家、どんなに頑張っても滅多な事では公卿には登れないのが地下公家です。堂上公家と地下公家では地下公家のほうが圧倒的に多いです。また地下公家の人でまれに公卿に昇った人が出ても、その地下公家の公卿の人は昇殿は許されませんでした。

なお、「貴族」の定義は五位以上の官位を持つことです。従って、「貴族」の数は毎年変わります。例えば江戸時代ではないですが、藤原道長は公家の家に生まれましたが、生まれた時から貴族だったわけではありません。『公卿補任』によると道長は15歳で従五位下に叙されたことになっているので、それまでは公家ではあっても貴族ではなかったわけです。また豊臣秀吉は47歳の時に従五位下に叙されました。したがってそれまでは貴族ではありませんでしたが、それ以降は貴族になったわけです。ただしご存じのとおり秀吉は公家ではありません。貴族=公家とは限らないことを示すいい例ですね。なお秀吉は従五位下に叙されてからわずか1か月後に権大納言に任じられています。

で、地下公家の官位ですが、確かに三位以上に昇ることはごくまれでしたが、最終的に五位以上に昇ったという人はかなり多いです。ただし人によっては正六位上どまりでぎりぎり貴族になれなかった地下公家の人もいますし、もっと下で終わった地下公家の人もいます。このように貴族になるかどうかは家によって、人によって異なるので、一概に何割が貴族、と言うことはできません。割合は毎年、極端な例だと一日で変わることだってあるんですから。昨日までは正六位上の人がたくさんいたが、今日の叙位でその多くが叙爵した、なんてことになると当然貴族の数の割合は前日と当日で違いますよね。

特に六位以下の人の場合は記録が残りにくい、という難点もあります。したがって毎日毎日の六位以下の正確な人数を把握するのはほとんど不可能です。

そういうわけで、公家のうちの貴族の割合を出すことは不可能に近いことです。ただ言えることは、六位以下が一人もいないなんてことは絶対ないため、公家のうち貴族の割合が100%になるということはありえない、ということです。

長くなってすみません。。。(´・ω・`)

追加
そうですね。「どうじょう」と読んでも間違いではないのかもしれませんが、「とうしょう」と読むのが一般的です。ちなみに『日葡辞書』には「Toxo(タウシャウ)」または「Doxo(ダウシャウ)」とあります。また幕末~明治初期に成立した『漢語便覧』には「堂上 トウシャウ ヲンクゲガタ」とあります。

質問した人からのコメント

2011/5/5 22:56:49

降参 ありがとうございました。参考にします。

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ベストアンサー以外の回答

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yamajou1958さん

2011/5/300:32:56

「堂上貴族」というヤツですね。
そうじゃないとお公家さんと呼ばれないので、100%と言って良いでしょう。

ちょい足しを取り消しますが
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