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地図を見ていたら、有名な門前町でもない住宅地の中に 神社と寺が同じ敷地、もしく...

ID非公開さん

地図を見ていたら、有名な門前町でもない住宅地の中に
神社と寺が同じ敷地、もしくはすぐ近く・向かいにある場合(小さい寺社に多い)があるのに気づきました。

例えば、

(東京都)

 大田区
羽田神社と自性院・正蔵院
地図
http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.32.38.589&el=139.44.36.509&la=1&sc=...
今泉神社と花光院

 世田谷区
稚児大師堂・弁天堂と等々カ不動尊


(神奈川県)
横浜市
 緑区
八幡神社と・弘聖寺
杉山神社と長泉寺
白山神社と宝塔院
 旭区
今宿神明社と本立寺

etc…


それは何か歴史・宗教・地理的理由があるのですか?
教えてください。


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ベストアンサーに選ばれた回答

ID非公開さん

江戸時代のお寺は今の市役所の様に人別帳に届ける制度がありました
神社は、自然(海、山、太陽等)神で、農民や町民等に
崇拝されていましたので、今よりもっと多くのお寺や神社、
祠(ほこら)がありました。

その状態を神仏習合と言っていましたが、
明治元年神仏分離令により神社とお寺をハッキリと分離させ
寺院や仏像を破壊する廃仏毀釈運動を招いたため
本来は同じ敷地にあった物も分離してしまったところも有るようです。

細かく言ったら武蔵新田にある新田神社と十寄(ととり)神社と
密接な関係が有るのに離れている理由が判りませんよ!

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ID非公開さん

宗教は時の権力者の意思と都合でいろいろな事があったわけです。
で、近いところの明治初期の「神仏分離令」で神社仏閣が同居していた所の多くは分離してしまった訳ですが、
お金もない、小さくてあまり目立たないお寺と神社はそのままになったようです。

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ID非公開さん

平安時代いらい、日本では仏教の仏と神社の神の関係を「本地垂迹」(日本では仏は神という形で現れた)という考え方で整理しました、
そこで神社の付属としてお寺があったり(別当寺)、お寺に守護神の祠があったりします、これを神仏混合として、明治維新後分離令がでました、これは廃仏希釈運動に発展し仏教の衰退に繋がりました。
また、最近では復活して七福神参りなど盛んになっていますが・・・
この歴史的な背景でいまでも神社と寺が隣接してあることが多いのです、質問の例示の中にある横浜の所在の近くに住んでいるので立地はわかりますがこのようなケースばかりでなく地理的には少し離なれている場合もあります。

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ID非公開さん

江戸時代以前は神仏混合の権現が多くありました。
上記の方のおっしゃるとおり、元の神仏に分離したのでは
ないでしょうか

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ID非公開さん

明治初期の「神仏分離令」で分離してしまったお寺と神社なんだとおもいます。

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