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解決済みの質問

学校でベルリン封鎖を習ったのですが、 いまいちわかりません。 どなたか中学生に...

kurono_spacy100さん

学校でベルリン封鎖を習ったのですが、
いまいちわかりません。
どなたか中学生にも分かるように説明お願いします。

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strauss722さん

まず当時のドイツは第2次世界大戦で負けたことによって,アメリカとイギリスとフランスとソ連の4つの国によって占領されることになりました。アメリカとイギリスとフランスが占領していた地域が西ドイツ,ソ連が占領していた地域が東ドイツと呼ばれていました。そして東ドイツの中にあったベルリン市もアメリカとイギリスとフランスが管理する西ベルリンとソ連が管理する東ベルリンに分けられていました。

あるとき,西ドイツと西ベルリンでは新しいお金がつくられ,古いお金と交換されることになりました。この新しいお金はお金持ちの国だったアメリカが協力してつくられたのでとても信頼されていてとても人気がありました。この新しいお金のおかげもあって西ドイツと西ベルリンはどんどん豊かになっていきました。なのでまだ古いお金を使っていた東ドイツと東ベルリンの人たちは大勢が西ベルリンに集まって,新しいお金と交換してもらったり,そこで働いたり,そこへ移り住んだりしました。

しかし東ドイツと東ベルリン,そしてそこを管理しているソ連にとっては,この状況をだまって見ているわけにはいきません。ダッテモノやお金や人間がどんどん西ベルリンを通じて流れ出てしまっているのですから。なのでおどしをかけることにしました。

ある日,西ベルリンと西ドイツをつないでいたすべての道路と運河が突然通行止めになり,ガスや水道や電気までも止められてしまいました。もちろんこれに対して西ドイツとアメリカとイギリスとフランスは猛反発しましたが,ソ連は「もし西ベルリンの人たちを助けたいのならば,西ベルリンをわれわれによこしなさい」と要求しました。

このあと政府の間で解決に向けて話し合いが行われたのですが,西ベルリンの人たちにとってはそんなの待っている時間はありません。だって食糧が送られてこないからみんな餓死してしまうかもしれないし,ガスや電気も止められているから冬になれば凍死してしまうかもしれないのです。

このような状況の西ベルリンの人たちを助けるために,アメリカとイギリスとフランスは,とくにアメリカが中心となって飛行機を使って食糧や燃料を西ベルリン上空からパラシュートで投下するという作戦を行いました。これによって西ベルリンの人たちは餓死や凍死の危険がなくなり,またそもそも西ベルリンを封鎖する意味がなくなったので,封鎖開始からおよそ1年後にようやく封鎖をやめることになりました。

しかしこの事件によってアメリカ・イギリス・フランスとソ連の対立はますますひどくなり,西ドイツと東ドイツは別々の国として独立することになりました。

質問した人からのコメント

  • 降参4名の方わかりやすい説明ありがとうございました。
    どの方を選ぼうか大変迷いましたが、
    私が特にわかりやすいと感じたstrauss722さんの
    回答をベストアンサーに選ばさせていただきます。

    有難うございました。

    私のほかの質問にもぜひ回答なさってください。

    お願いいたします。
  • コメント日時:2012/2/20 18:42:40

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ベストアンサー以外の回答

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limited_qaaさん

・ヒトラー自殺で第二次世界大戦終戦
・ドイツは連衡国で共同管理
・ドイツ東部はソ連が、西部は米英仏が管理
・首都ベルリンは東側だが、ベルリンの西部は米英仏の管理下
・つまりドイツ西部+ベルリン西部が米英仏、ドイツ東部-ベルリン西部がソ連の管理下に入った
・ソ連管理下の東ドイツは経済復興遅れる
・東ベルリンから西ベルリンに逃げる人が多数
・キレたソ連は西ベルリンへの交通等をストップ
・米英仏は空から物資を落として対抗
・結局ソ連が根負けし、ベルリン封鎖を解除

milky_way0088さん

ベルリン封鎖とは、1948年6月から49年5月までの期間第二次世界大戦後、ドイツの通貨統一問題などを契機に、ソ連がベルリンと西欧地区との交通を遮断した事件。


1945年5月8日 : ドイツ無条件降伏

連合国(アメリカ・イギリス・フランス・ソビエト)は、
・敗戦国ドイツを4つに分割し占領。←国を4分割
・ベルリンはソ連占領地区にあったが首都であるので四カ国共同管理とし、東側はソ連、西側は米・英・仏←ベルリンの東西分割

ベルリン全体の支配方針の対立 :
米・英・仏 ←〔対立〕→ ソ連 (ソ連の思惑:ベルリン全体を自国の影響下)

ベルリン市議会議員選挙 :
「社会民主党」49%(反ソビエト) : 「社会主義統一党(実質は共産党)」20%(ソ連寄り)

「社会民主党」の市長が誕生 ← ソ連は認めず

ベルリン西部(米・英・仏管理地区)だけの市長に就任

戦後「ドイツ」の国を将来どうするかで、米・ソが対立
・ アメリカ : 混乱するドイツ経済の立て直し
・ ソビエト : ドイツとの戦争で出たソ連の損害をドイツから取れるものは何でも取る

米・ソ「最大の対立」 : 「通貨問題」
・ ソビエト : ドイツ紙幣の「原版」を入手 → 東地区で大量に印刷・発行 → ソ連の必要なものを手に入れる → インフレになる → ドイツの復興が遅れる
・ 米・英 : ソ連に対抗手段 → 新通貨の発行 → 通貨の発行量をコントロール → インフレを抑える → ドイツ経済の復興

ソ連の対抗手段 :ベルリンのソ連支配化 → ベルリン市内の独自通貨発行の計画

米・英の対抗手段 :1948年6月 「ドイツ」国、西ベルリン市内で通用する通貨発行

ソ連の対抗手段 :通貨発行阻止 → ベルリン西部(西ベルリン:米英仏管理地区)封鎖

西ベルリン : ソ連占領地区内にある「陸の孤島状態」

ソ連の封鎖手段 : 交通の封鎖、電力、石炭、食糧、原料の供給停止 →西ベルリンに対する兵糧攻め

西ベルリン市民225万人「飢餓の危機」に直面

ソ連の思惑 :封鎖に音を上げ、ソ連の言い分を聞く → 西ベルリン市民を人質にした脅迫

西側の反発・対抗手段 :「西ベルリンを救え」の大キャンペーンに発展 →市民の必要物資を空輸(延べ飛行回数:27万7千回)
→西ベルリン市民を見捨てないというメッセージ

結果 :1949年5月ソ連封鎖解除 →ソ連の脅迫の失敗 →西ベルリン市民、ドイツ西側占領地区人民の反ソ・反共産党感情の決定

granzootさん

ベルリン封鎖・・・・・1943年10月に戦後処理の分割統治の約束をアメリカ・ソ連・イギリスが行います(ドイツに関して)。
1945年に入ってフランスがドイツの支配から解放され分割統治にフランスが加わりますが、4月30日にヒトラーが自殺し5月2日にベルリンが陥落します。(この時制圧したのがソ連軍です)
元々ソ連は第二次世界大戦直前まで反共の中にあり世界の中で孤立状態でした。
何とか同盟国を模索する中で結んだのが1939年の独ソ不可侵条約です。
しかしドイツは元々反共の急先鋒の国だったのでヒトラーはソ連がドイツに対する戦争準備をしていると疑心暗鬼になっていて2年後の6月にバルバロッサ作戦でソ連軍を奇襲攻撃し戦争状態に突入します。
そうした経緯で多大な犠牲を払っているソ連は端ッから分割する気など無く取れるものは全部とる気でいたので約束道理に分割統治のために進駐してきたアメリカ・イギリス・フランスの連合国軍の進駐を邪魔します。
連合国側は何とかベルリンの西側だけ飛び地で分割に成功しますがこの状態でドイツの新政府樹立問題で米英仏とソ連が対立し結局フランスの拒否で頓挫しこの事がキッカケでアメリカの当時の国務長官のジョン・マーシャルが共産主義封じ込め政策のマーシャルプランを打ち出し、スターリンがこれに対抗する形でエスカレートして行きます。
1948年になって各国のエゴが爆発し何所がドイツの首都を統治するかでもめます。ソ連が全てを獲る方針に傾いたことから西側3国はなし崩しに団結し其処に至って4月1日ソ連が鉄道や道路を封鎖し輸送・電力などライフラインを全て封鎖に踏み切りました。
(これでも簡単に書いたんですが・・・・・)

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