解決済みの質問
赤穂浪士の討ち入後なぜ彼らの処分に幕府は時間が掛かったのですか?
赤穂浪士の討ち入後なぜ彼らの処分に幕府は時間が掛かったのですか?
-
- 質問日時:
- 2012/2/13 20:06:58
- ケータイからの投稿
-
- 解決日時:
- 2012/2/20 07:13:27
-
- 回答数:
- 1
-
- 閲覧数:
- 54
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
laica3fさん
彼らの行為を主君に対する忠義の顕われと見るか、将軍の執った処置(浅野長矩の切腹)に対する抗議と見るか、幕閣の意見が分かれたからです。しかし前者の意見を採って忠義の士として認めれば、将軍綱吉の誤りを認めることにもなってしまいます。一方で江戸市民は圧倒的に忠義の士として助命を求めていましたから、その世論はさすがに幕府も無視できないものがありました。林大学頭もこの意見でした。しかし幕府としては将軍の誤りを公式に認めることはできませんでした。そのため荻生徂徠の意見を入れて、刑罰としての処刑ではなく、切腹と云う名誉ある死を与えることで世論の鎮静化を図ったのです。また吉良義央の養子・義周を信州諏訪家に預ける形で御家断絶とし、浅野家処分とのつり合いも図っています。
- 違反報告
- 回答日時:2012/2/13 20:37:21
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
0人が役に立つと評価しています。

