解決済みの質問
大平洋戦争の日本
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- 質問日時:
- 2012/2/13 20:21:03
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- 解決日時:
- 2012/2/28 04:22:18
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ベストアンサーに選ばれた回答
「京都にいれば安全」というのは、勝ち馬を知ってから、あの馬に賭けとけばよかった、と言うようなもので、結果を知っている人間の感想でしかありません。
むしろ米軍の中には、日本の歴史的都市だからこそ、抗戦意識を削ぐために京都を爆撃せよ、と主張する人もいた訳だし、その京都だって計画にない爆弾の投下や銃撃により死者も出ていますから、安全と言えるかどうかですね。
米軍の爆撃計画は、人口、軍事・軍需施設のあるなし、爆撃のし易さ(遠すぎないか、わかりやすいか、など)によって左右されていますが、最終的に全体が理論的計画で組まれて爆撃された訳でもありません。
特に中小都市爆撃は、行き当たりばったりとまでは言わないまでも、なぜ青森や堺などがあれほどの攻撃を受けなければならなかったのか、などは、その時にちょうどいいと思われたから、ぐらいにしか言えません。
特に不幸なのは原爆で、気の毒ながら、「広島」は、どうあがいても逃れようがない状況とも言えますが、「長崎」、特に、実際に投下されたのは市の中心ではなく、山一つ越えた「浦上地区」であり、しかもその決定は投下のわずか1時間前くらいに決定され、しかも、本来の作戦が順調ならば投下されたかわからない、といった不幸な出来事でした。
そう考えると、「京都は安全」とはとても言えません。
実際、「○○は安全」という神話は、世界的にあったもので、住民にとっては自分を安心させる「危険なお伽話」であることは、昨年の津波でも被害を大きくした原因となったことを皆さんも見ているはずです。
そういう話は、「爆撃前」には、東京や大坂、広島や長崎にもあったようです、ヨーロッパでも、初期にはイギリスで、「ヒトラーがお気に入りなので」爆撃を受けなかったと噂された都市があったし、ドイツ爆撃でも、人や内容が変わればどこにでもありましたが、所詮、最初の爆撃を受けるまでの神話にすぎません。
結局、爆撃を避けるには、軍事目標、大都市から離れるのが一番です。
それでさえ、疎開先で爆弾が当たって亡くなる方も出るのが世の中というものです。
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- 回答日時:2012/2/14 12:07:11
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アメリカの物量がいかに凄かろうと半年で日本の全都市を焦土にするのは不可能でした。
取りこぼした都市がいくつかありそれが広島・新潟・京都・小倉です。
そこでアメリカはこれら都市を完成ま近の原子爆弾の実験に使おうと考え温存する事にしたんです。
つまり京都がさほど空襲を受けなかったのはこれが理由です。
一発目のウラニュム爆弾は広島で試され、二発目のプルトニウム爆弾は小倉上空に運ばれましたが天候不良で急遽長崎に投下されました。
確かに京都の文化財を守ろうと言う意見もあったのですが、欧州で最も美しいと言われた古都ドレスデンを米英は躊躇なく灰塵にした事実を忘れてはいけないでしょう。
8月15日にポツダム宣言を受諾して終戦となりましたが、さらに抵抗していれば次は京都にキノコ雲が立った可能性は否定出来ません。
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- 回答日時:2012/2/13 20:50:09

