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『南無阿弥陀仏』と『南無妙法蓮華経』の違いは何ですか? 宗派の違いですか?

amethyst_and_pinktopaz_929さん

2012/5/922:10:05

『南無阿弥陀仏』と『南無妙法蓮華経』の違いは何ですか?
宗派の違いですか?

宗派が違うと何が違うんですか?
仏教の事について全く無知な私に簡単に優しく教えてください。
また、その二つの言葉の意味も教えてください。

補足質問の追加です。
その二つの宗派でのお葬式の時のマナー(作法)など違うんですよね確か・・・
昔子供の頃にテレビで見たことがあるのですが、もう覚えていません。
両方の親の実家の方の宗派が違うので、気になったので聞いてみました。
それと、私の実家の方では「南無阿弥陀仏」と唱えます。
仏壇がキンキラなんですが、これもこの宗派の特徴と聞いたのですが
各宗派によって仏壇の様式も違うんですか?

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sgi_515_2109さん

編集あり2012/5/1104:04:33

仏教の様式とか儀式の違いとしてお考えになるというのはごく普通の宗教へのお考えかと思います。

法事のときに、あら、この家に来ているお坊さんは南無阿弥陀仏って唱えている、仏壇、金ぴかだね、とか分かります。ここの家は仏壇は真っ黒けの板で作られていて、お坊さんが南無妙法蓮華経と唱えているじゃない、とか。

その違いが作法の違いになり、お布施の出し方だとか、在家に要求されるものも変わってきます。
そういう質問なんですよね。


まず、阿弥陀を仏として祈る(南無する)信仰というのは、念仏と言います。念仏という場合は全部、阿弥陀仏への帰依(南無)する信仰だと思ってください。阿弥陀という『仏』への信仰です。ホトケ様、がいて僕がいて~みたいな。
これを「念仏」と言います。念仏というのは、つまり「阿弥陀」信仰です。

死んだときに道案内をしてくれて、死んだら浄土という国に連れて行ってくれるという仏。京都にある西本願寺だとか東本願寺だとか知恩院だとかがそれですね。京都に遊びに行くとよくそういうお寺の名前聞くと思います。もうひとつ有名なのは、硬貨に描かれている宇治の平等院鳳凰堂というのも阿弥陀がまつられているお寺です。ぜんぶ、南無阿弥陀仏の信心です。

死んだら阿弥陀が迎えに来てくれる宗教と覚えておけばいいと思います。
死なない人には関係がありません。
あ、いや、人間は誰でも死にますか・・・・・スマソ


ではその阿弥陀仏と比較して南無妙法蓮華経という信仰を考えてみます。

さきほど私は念仏と言うのは「仏」への信仰と書きました。ホトケへの信仰というのは、つまりホトケという「人格的な面」を尊敬すると言う意味があるのです。すばらしい人格の人だから、この方は私を救ってくださるに違いない、というのが信仰の根っこにある主な理由ですね。

南無妙法蓮華経は、仏は仏なのですが、それとはちょっと違ったホトケなんです。この仏は救ってくださる仏ではなくて、この世の中に良いことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、人生に関わるあらゆる物事を全部提供してくれる、その大元締めになる命の吹き出し口になっている存在のようなものです。立派な人間も生み出したり、多種多様な人間を生み出します。
そうすると私たちはこんなふうに思うでしょう。

どうして私はこんな人間に生まれてきたのだろう、私は生まれてきて良かったのかな、生まれてこなければよかったんじゃないのかな、と。でも仏様はそうは言いません。

どんな生まれ方をしても生まれ出てきたことに良い悪いの差別はないのだよ、自分を他人と比較するのではなく、自分として生きていくことが大事なんです。この世の中にはいろんなものが一緒に生きている、しかし、あなたという存在はあなた一人しかいないんだ。あなたがいなければこの世の中は成り立たないのです。それくらいあなたという存在はとても大事な存在なのですよ、と。

こんなふうに、すべてを生み出し、その一つ一つの命に生まれてきた意味を教える「法」、それが南無妙法蓮華経という仏です。

この仏は、人間の人格的な面を信仰させるのではなくて、この世に生きとし生ける人に備わっている法を大事にし、その法に従って生きていくことを教えてくれる法をもとにした仏です。ですから、自分が生きていくのに必要なすべての条件をみな提供してくれている仏でもあります。そしてその提供されるものをもとにして人生を生きれば、必ず満足のいく生き方ができると教えます。これはどちらかというと「法をよりどころにして生きていけ」と言われた釈迦の仏教と同じものと考えても良いと思います。つまり釈迦の時代に先祖帰りした仏教とも言えそうです。

こちらは死ぬということを、「死ぬものでもなければ死なないものでもない」ものに変化すると考えます。この状態を「空」と言います。空の思想を人間が唱えるとき、それが南無妙法蓮華経となるのです。お釈迦様はこれを悟って仏になり、亡くなっていかれました。これを解脱と言います。

最後に仏壇のことですが、仏壇は、それぞれの宗派が思い思いの思想的な解釈をしていますので、その解釈の仕方によって、いろいろな様式の仏壇を作っています。仏壇をみるとその宗旨宗派の思想が見られて興味深いです。生きている人間を対象にして法を説く宗派ほど、仏壇は簡素になる傾向がありますね。

禅。天台、日蓮系統の仏壇はちょっと地味目ですね。派手なのは念仏、これは浄土三部経のなかの阿弥陀経が、極楽浄土を説いているので、その極楽浄土の豪華絢爛たる世界を表現しているのでキンキラキンになっています。

質問した人からのコメント

2012/5/11 05:12:21

驚く なるほどぉ・・
宗派が違うと言うよりも、考え方が違うから宗教が違うみたいに感じちゃいました。

この知恵袋はBAを必ず出さなければいけないし、しかも一人しか選べません。
ここは参加者同士で知恵を出し合って助け合う場所なのに、そういう制度がちょっと残念に思いました。
回答者全員にBAを差し上げたい気持ちです。
皆さま、回答ありがとうございました( ^^) _旦~~

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2012/5/1007:20:24

南無阿弥陀仏は、この世は苦しみの世界であるから、生きている間は幸せになることは不可能だけれども、阿弥陀仏のお名前を唱え続けたら、死後に西方極楽浄土という架空の世界に全員、連れて行ってくれますというお話に基づいています。

南無妙法蓮華経は、一生成仏といって、稲が品種によってワセ、オクテがあっても一年のうちには必ず収穫の時期があるように、人によって早い遅いはあるけれども、一生のうちに必ず幸福になれるという教えに基づいています。
===
仏壇がキンキラなのは、極楽浄土をイメージして作ってあると聞いたように思います。

2012/5/1005:18:16

何を「仏様」と思って礼拝するかの違いです。 「南無」と言うのは仏教用語で「~を信じて従います。」と言う意思を表す言葉です。

根拠にしているお経のセットが違います。 南無阿弥陀仏は浄土三部経と言われる三つのお経がセットになったもの、南無妙法蓮華経は「法華三部経」と言う三つのお経がセットになったものがそれぞれ根拠です。 だから宗旨も違います。 前者は浄土宗系、浄土真宗系の各宗派が唱えます、後者は日蓮宗系の各宗派です。

宗派が違うと最初に書いた、「何を信仰の対象とするか(何を仏様として礼拝するか)」の他に「その仏とは一体どんな存在か」「仏を礼拝する時に何と唱えるか」「誰の説いた教えに従うか」「そして修行には何をする事が必要か」などが細かく違います。

極簡単に言うと、「南無阿弥陀仏」は「阿弥陀仏(阿弥陀如来)」を仏様と考える人たちが唱える言葉で、「南無妙法蓮華経」は「法華経」を仏様と考える人たちが唱える言葉です。


あまりにそれぞれ違う仏を立てて違うお経や唱える仏の名が違いますし考え方もばらばらですが、仏教と呼ばれている以上は一応の共通点もあります。

2012/5/1004:45:00

南無は「信じる」という意味です。

弥陀の名号を唱える念仏と、妙法蓮華経の題号を唱える題目では、信じ敬う対象が違います。

阿弥陀仏は方便の教えとして説かれた譬喩表現の仏で、別の漢訳では無量光仏や無量寿仏ともいわれ、その身は六十萬億・那由他・恒河沙・由旬という大きさです。そして、妙法蓮華経は現実世界の人間の心を変革する真実の法です。

仏、つまりブッダとは「目が覚めた人」のことです。もともとはブッドゥという動詞からきている言葉であるといわれていますが、目が覚める、開花する、という意味です。

人と仏を分け隔てて、この世の人は目覚めることができないとするのが念仏です。逆に、自他の胸中にある可能性、人と人の絆を信じるという師弟不二の仏法が南無妙法蓮華経です。

fsfs2784さん

2012/5/1000:31:38

「南無」はまあ「帰依する」という意味ですね。

「心から尊敬する」というようなことですね。

で、「何を」とか「誰を」という部分が宗派によって違います。

「南無 釈迦牟尼仏」(おしゃか様、ですね)
「南無 觀世音菩薩」(観音様です)
「南無 阿弥陀仏」(阿弥陀様)
「南無 妙法蓮華経」(妙法蓮華経、究極の教えとして)

かなり大ざっぱな説明ですが、あえてそのままにします。

fyko211さん

2012/5/922:34:44

南無はサンスクリット語で「~に帰依する」と言う意味です。
それぞれ阿弥陀仏、法華経をひたすら信じ、敬うから救ってほしいー、って感じです。別に宗教学とってた訳じゃないけど、ふとした話から教授が「南無を感嘆詞と思えばいい」と言われたのを思いだしました。
ああ、ほとけさま~
ああ、法華経~
なんかすがってる感じでしょ。
宗派によって帰依する方法とか入り口が違うんですね。

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