ここから本文です

解決済みの質問

知恵コレに追加する

立憲政友会は、初代総裁が伊藤博文で、伊藤が枢密院議長に退いた後、二代目総裁に...

rokkdedさん

立憲政友会は、初代総裁が伊藤博文で、伊藤が枢密院議長に退いた後、二代目総裁には西園寺公望が就任しました。

大日本帝国憲法の起草に関わった井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治の3人が次の総裁になる可能性は無かったのでしょうか?
伊藤の次は西園寺というのが、既定路線だったのでしょうか?

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

home_0626さん

http://www.geocities.jp/since7903/seitou_hoka/seiyuukaishi.htm
こちらのサイト様を読まれると伊藤の政友会内での地位、伊藤が総裁を降りた経緯、
また何故西園寺が次期総裁となったかが解ると思います。

この質問・回答は役に立ちましたか?
役に立った!

お役立ち度:お役立ち度 1点(5点満点中)1人が役に立つと評価しています。

ベストアンサー以外の回答

(1件中1〜1件)

 

mucai_reefさん

西園寺公望 は公家の出身で 父は右大臣・公爵であり、明治新政府では 重要な家系の人物でした。
井上馨(武家出身)や そのほかの人では、対抗勢力もあり 抑えが利かなかったと思います。
西欧に行くにしても、 西園寺公望は 日本の女性を連れて歩くなどの 社交的な動きが 若い頃から 見られたようです。
当時では 天皇制になって すぐでしたので、 武士は 軽んじられることが多かったと聞きおよんでいます。

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。

お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。

ただいまの回答者

13時19分現在

3538
人が回答!!

1時間以内に6,178件の回答が寄せられています。

>>回答ひろばに行く