解決済みの質問
立憲政友会は、初代総裁が伊藤博文で、伊藤が枢密院議長に退いた後、二代目総裁に...
rokkdedさん
立憲政友会は、初代総裁が伊藤博文で、伊藤が枢密院議長に退いた後、二代目総裁には西園寺公望が就任しました。
大日本帝国憲法の起草に関わった井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治の3人が次の総裁になる可能性は無かったのでしょうか?
伊藤の次は西園寺というのが、既定路線だったのでしょうか?
-
- 質問日時:
- 2008/3/10 15:41:57
-
- 解決日時:
- 2008/3/15 16:06:09
-
- 回答数:
- 2
-
- お礼:
- 知恵コイン
- 50枚
-
- 閲覧数:
- 310
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
http://www.geocities.jp/since7903/seitou_hoka/seiyuukaishi.htm
こちらのサイト様を読まれると伊藤の政友会内での地位、伊藤が総裁を降りた経緯、
また何故西園寺が次期総裁となったかが解ると思います。
- 違反報告
- 回答日時:2008/3/10 20:37:39
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
1人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
西園寺公望 は公家の出身で 父は右大臣・公爵であり、明治新政府では 重要な家系の人物でした。
井上馨(武家出身)や そのほかの人では、対抗勢力もあり 抑えが利かなかったと思います。
西欧に行くにしても、 西園寺公望は 日本の女性を連れて歩くなどの 社交的な動きが 若い頃から 見られたようです。
当時では 天皇制になって すぐでしたので、 武士は 軽んじられることが多かったと聞きおよんでいます。
- 違反報告
- 回答日時:2008/3/10 17:35:05

