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終戦の玉音放送ってよく聞きますが、戦前戦中に日本にラジオとか無線機とかあった...

estydeff_aさん

2016/2/1223:49:45

終戦の玉音放送ってよく聞きますが、戦前戦中に日本にラジオとか無線機とかあったんですか?

戦争の映画とかドキュメントとか見ると、終戦で天皇陛下がレコードに入れたものをラジオ放送で流

したとありますが、

そもそも日本にラジオとか無線機ってあったんですか?

高校の時の先生が、日本は電気機器が全くなくてアメリカに負けたと言っていたんですが、
ラジオとか聞けてたんでしょうか。

また、日本に電気はあったんでしょうか?

補足ありがとうございます。

あったのですね、、何となく無いような感じの歴史感でいました。

よく、竹槍で戦うとか、自転車で兵隊さんが戦地に行くとか、風船でアメリカを爆撃するみたいな写真集が学校にあったような気がしたんで、

全く電気とか無いイメージでした。

父と見た戦争映画でも、
軍艦の上で手旗や提灯で合図を送っていたような、、

だから、音声や音楽などを出す無線機とかラジオは、
天皇陛下と中枢の特権階級みたいな人だけもっていて、一般国民はその存在すら知らなかったのかもと思っていた

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ベストアンサーに選ばれた回答

2016/2/1717:35:49

大正生まれの親父は砲兵隊に所属、写真のような地4号無線機が42kgもあるので馬で運んだhttp://www.geocities.jp/kyo_oomiya/ti4.html

別に無線機の電源としてガソリンエンジンの発電機があった

但し金属資源不足でガラス製光る真空管の性能が悪く無線機の故障が多く、、その時はリレー式手旗信号で戦況報告をした

数は少ないが「トン・ツー》のモールス信号で送る無線機があった

戸建の家庭では国民ラジオと言われる真空管4本を使った並四ラジオが普及していた、これで世の中のニュースをリアルタイムで情報源であった、電灯線は国鉄の線路ができると線路沿いの家庭にも供給された
確かに貧しくてものがない時代でしたが、我が家でも床下の防空壕で真空管ラジオが受信できるように長いアンテナ線、と白熱電球がついた電灯線、漬物、非常食、七輪、薪、布団があった

小学校では毎朝、真空管ラジオでラジオ体操放送を受信して体操をした

戦時中は金属資源不足、情報統制で、電子技術が欧米より遅れ,レーダ装置が作れなかった

その経験が戦後、軍用真空管を製造していた東京通信工業,現在のソニーが渡米して真空管とは違い電池で動作するノーベル賞の発明品のトランジスタの特許を900万円で購入して、国産トランジスタラヂオを開発、米国に輸出して花形企業となった

台風の上陸で停電時の時は防空壕でろうそくの灯りと、トランジスタラジオで台風情報を聞いた

大正生まれの親父は砲兵隊に所属、写真のような地4号無線機が42kgもあるので馬で運んだhttp://www.geo...

  • 2016/02/1717:44:03

    戦時中は戦争映画で米軍兵士は片手で持てる電池で動作する真空管式ハンディートーキーで、無線電話連絡をしていた、その、無線機の通話するビデオhttp://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n225803
    米軍の戦争テレビドラマ「コンバット」でサンダース軍曹が「こちらチェックメイトキング2、ホワイトロックどうぞ」と無線通話していた
    現物を米軍占領軍の放出品で見たが、日本の真空管に比べて小さくて電池で動作するほど性能がよかったが、ベトナム戦争では日本製トランジスタ無線機がベトコン兵に愛用された

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質問した人からのコメント

2016/2/17 19:16:17

ありがとうございます❗
よく分かりました。

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/21件中

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2016/2/1719:13:49

他の方が回答寄せてるから追記だけ。手旗信号は元々無線傍受を防ぐ時あるいはそれが疑われる時に、または通信機器が故障ないし破損した時の伝達手段であり、現代でも継承されてます。あらゆる伝達手段がある現代でも、ですよ。

探照灯のシャッター開閉による信号もまだ通信手段として活用されてます。モールス信号もね。声や文字、映像による信号だけでは万一の時に困るからです。

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si728664さん

2016/2/1316:39:03

ありましたよ。

テレビが実用化されていなかったため、ラジオが貴重なメディア
だったのです。

ただし、ラジオの性能はピンキリでした。
ちなみにやろうと思えばラジオ受信機はパーツを調達できれば自分で
組み立てることもできます。

蛇足をひとつ書いておくと、当時は情報の統制が厳しかったため
一般人が短波ラジオの受信機(外国の放送が聴ける)を作ったり
持ったりすることは犯罪行為でした。
(スパイとみなされても仕方がないことだったのです。)
しかし、当時の政府の報道は「大本営発表」といって、悪い
意味で「当てにならないいい加減な報道」でしたので、一部の
わかっている人は短波ラジオを作ったり持ったりして外国の放送を
聴いていました。
実は私の大学の先輩(卒業年次が私と50年近く離れています)も
機械いじりは朝飯前ということもあって短波ラジオ受信機を
自作して、VOA(アメリカの放送)やBBC(イギリスの放送。日本で
言えばNHKに相当)を聴いておられたそうです。

http://alumni-tohochem.sakura.ne.jp/15/kaihou.html

上記サイト↑の「昭和19年卒クラス会」中に、戦争中のことが
書かれた文がありますので、よく読むと短波ラジオの話が
出てきます。

もちろん電気もありました。
暖簾の古い電機メーカーは明治時代に既に創業していましたよ。

2016/2/1316:24:21

ラジオは当然ありました。

戦争開始直前には、TVの放送も予定されていましたが、残念ながら戦争により中止になってしまいました。

2016/2/1315:17:59

電気ぐらいあるよ、日本は近代化した先進国で、都会では電灯や 電話が普及していた。 先生の話を 聞き間違えています。

ecomaboさん

2016/2/1313:47:04

此の先生歴史を知らなすぎよくそんな事で教師免許が取れたか?太平洋戦争の「ニイタカヤマノボレ」終戦の玉音放送は無線、ラジオがなければ不可能と思います

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