解決済みの質問
ルワンダ内戦での国連についてですが。。。
ルワンダ内戦での国連についてですが。。。
ホテルルワンダとルワンダの涙を見て思ったのですが、国連は本当に数箇所(映画では教会とホテル ミルコリン)に駐留していたのでしょうか?
二つの映画とも国連の兵士は十数人しかいないように見えたんですが・・・。
また、二つの映画とも司令官が『我々は平和維持軍だ。仲裁はしない』といっていますが同一人物なのでしょうか?
調べてもなかなか答えが見つかりませんでした・・・。どなたかわかる方がいたら教えてください。
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- 質問日時:
- 2008/10/19 23:28:15
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- 解決日時:
- 2008/11/3 03:28:23
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ベストアンサーに選ばれた回答
kusirosiさん
ルワンダでのジェノサイドに対して、ウガンダとルワンダ北部を拠点としたPRFは首都キガリに向けて進軍を開始した。RPFが占領した地域では、ツチ族に対するジェノサイドが収束し、ジェノサイドから逃れたツチ族20万人が北部に避難する一方、フツ族住民はRPFやツチ族住民からの報復を恐れて、4月29日、キブンゴ州のフツ族住民約25万人がタンザニア北部のンガラ(Ngara)地方に流入した 。
ルワンダでの人道危機の進行に対して、国連安全保障理事会を初めとする国際社会は、極めて消極的な対応しか取らなかった。1994年4月21日、国連安全保障理事会は、国連ルワンダ支援団に派遣されたベルギー兵が殺害されたことを受けて、決議912を採択し、維持するべき平和が存在しないことを理由として停戦監視のために派遣されていた国連ルワンダ支援団の兵員規模を270人に縮小させた 。国連ルワンダ支援団の任務は、紛争当事者間の停戦を引き続き尽力し、できる範囲での人道支援活動の再開を支援することに限定された。一方、国境なき医師団や赤十字国際委員会などの人道支援機関の活動も極めて制約された状況に置かれることになった。たとえば、国境なき医師団は、ブタレ(Butare)で医療プログラムを開始したが、職員の身に危険が及び、殺害事件も起きたので、ジェノサイドがブタレに及ぶ前に活動を停止したという 。
1994 年5月17日、国連安全保障理事会は、ルワンダでのジェノサイド状況に対する対応を迫られる形で、決議918を採択して、国連ルワンダ支援団の兵員を5,500人に拡大することを決定し、国際連合の保護下にあるルワンダ市民や人道支援機関に対して攻撃が加えられた場合、国連ルワンダ支援団が自衛権を行使することを容認することで、従来の国連ルワンダ支援団の権限を強化した 。しかし、アフリカ諸国主体で構成される国連ルワンダ支援団の派兵に時間がかかる一方で、ルワンダでのジェノサイドの状況がさらに深刻になった。
1994年6月17日、フランスは、国連安全保障理事会に対してルワンダに対する人道的介入の実施を表明し、国連憲章第7章下の強制的な軍事活動として展開することを要求した。しかし、フランスの提案は、アフリカに対する覇権を目的とした軍事行動であるとの疑念も理事国の間では見られた。フランスは、1975年の軍事協力協定に基づいてルワンダに軍事支援を提供し、1994年4月・5月、首都キガリから外国人を退去させる際にもルワンダ政府高官の出国に便宜を図り、1994年6月までルワンダ政府軍に武器を供与していた 。フランスは、軍事介入への批判に対して、ルワンダへの介入が1994年8月22日までの2ヶ月間の短期間の派兵であり、セネガル、チャド、コンゴ、ギニアビザウ、モーリタニア、ニジェールのアフリカのフランス語圏諸国との多国籍軍としての介入であり、フランス軍の退却以後、フランス語諸国軍が、国連ルワンダ支援団に合流することになるだけでなく、人道と中立の原則に立脚した軍隊の活動に限定されるとも主張した 。国連安全保障理事会は、進行中のジェノサイドを阻止する方法が存在しない状況の中で、フランスの提案を容認せざるを得なかった。
1994年6月22日、国連安全保障理事会は、決議929を採択し、国連憲章第7章に基づいた人道支援を目的とする多国籍軍の派兵を容認した 。同日、フランス軍主体の多国籍軍は、トルコ石作戦(Op屍ation Turquoise)を開始し、ザイールのゴマ(Goma)に兵站支援センターを設置し、活動の開始から1週間で2,500人の兵員と700台の輸送車両をフツ族の避難民が多く避難していたルワンダ南西部に進駐させた。7月7日、多国籍軍はルワンダ南西部に人道保護区(Zone humanitaire s柮e; ZHS)を設置し、この地方に避難したフツ族の避難民を保護することでルワンダ国外に難民として避難しないように人々の移動を制御した。トルコ石作戦の初日に、約8,000人のツチ族避難民を救済し、最終的に、11,500人から14,000人程度の市民を保護した 。また、多国籍軍は、人道支援機関による援助物資の人道保護区への搬送を警護し、人道支援機関の活動を可能とする安全な環境を確保することも実行した 。さらに、多国籍軍の医療部門は、ルワンダ避難民に対して外科手術などの医療処置を実践することで、人道支援の機能を担うことになった。以上のことから、ルワンダへの人道的介入は、フランスのルワンダに対する影響力の維持という目的よりも、人道支援を主要な目的とした活動であったと評価してよいであろう。
1994年7月4日、RPFは首都キガリを制圧し、5日、第二の都市ブタレを征服し、14日、ルヘンゲリを陥落させて、17日、ルワンダ全土を手中に収めることに成功した。7月18日、RPFは一方的停戦を宣言し、翌日、フツ族とツチ族の両民族から構成された新政権を樹立し、ルワンダ内戦は事実上終結した 。
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- 回答日時:2008/10/19 23:37:07
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ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
自分はホテル・ルワンダしか見ていないのですが
ルワンダには国連ルワンダ支援団(UNAMIR)が派遣されていて
最初は2500人規模(アメリカ・フランスは派兵していません)だったのですが
虐殺事件が勃発した時、安全保障理事会は「和平協定の枠組みが崩れた」という理由で
UNAMIRの非介入、縮小、そして撤退を決議しました。
ホテル・ルワンダでフランス軍、イタリ ア軍兵士がやってきて外国人の国外退去をしているシーンがあったと思うのですが(外国人カメラマンとかがバスに乗っていくシーンです)
あのときUNAMIRの人員も9割撤収してしまいました。
なので当時ルワンダに残ったUNAMIRの人員数は300程度しかいなかったとおもいます。
あと教会やホテル以外にも難民キャンプなどにも駐留していました。
『我々は平和維持軍だ。仲裁はしない』というシーンは
自分もあまり知らないのですが当時UNAMIRの司令だったオリバー大佐が
映画のシーンどおりテレビなどの取材でそう答え
全世界のニュースなどに流れて有名になった台詞ではないでしょうか?
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- 回答日時:2008/10/20 16:36:39

