ここから本文です

信長の岐阜城について続編です。 現在の金華山にある城は、織田信長が 建てた...

このエントリーをはてなブックマークに追加

質問者

dryfacevazzioさん

2011/4/2602:42:58

信長の岐阜城について続編です。

現在の金華山にある城は、織田信長が
建てた城と同じ形でしょうか。

逸話などもお願いします。

閲覧数:
331
回答数:
3
お礼:
50枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2011/4/2614:30:48

フロイス(キリスト教宣教師)の日記から、現在と同じ場所に天守閣があったことは間違いないですが、同じ形であったかどうかは戦国時代の写真がないので誰にもわかりませんね。
現在の天守閣は、昭和に建てられたものです。

この質問は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

このQ&Aで解決しましたか?質問する

閉じる

ベストアンサー以外の回答
1〜2件/2件中
並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

編集あり2011/4/2615:23:33

やあ!織田信長です!

この、うつけが!

違うに決まっておるだろ!

それに築城したのは二階堂行政じゃ。余は改築しただけじゃ。

今の天守閣は、後世のうつけどもが昭和31年に建てた『想像』の天守閣だがや。

そちはルイスフロイスという戦国時代に日本にいた宣教師を知っておるか?
この者が当時、イスパニア国王に送った書簡が現存しておる。

信長に岐阜城を案内されたフロイスは、岐阜城を詳細かつ克明に記録しておるぞ。

それによると
『ノブナガの居館は山麓(金華山の)に構えられている。』とか、『居館は四層の高楼がある。』とか、『驚くべき巨石の壁が宮殿(居館)を取り囲んでいる』とか、『内庭には劇場のような建物がある』とか、『山上の御殿には信長の妻子だけが住んでいる』とかだ。

フロイスは、岐阜城天守閣を指して妻子が住む御殿と表現してることから、現在の天守閣とはほど遠い御殿タイプのものであることが判明するのじゃ。

一方、信長の居館の方は妻子が住む御殿とは別で、『宮殿は四階建てで、一階には絵画と塗金した屏風で飾られた部屋ばかりで、その数は20部屋におよび、廊下の前には庭と池と泉があり、二階には一階よりもゴージャスな婦人部屋があり、三階と四階からは城下の町がすべて展望できた』と記しておる。

また、今のような天守閣ではなく高楼的だったと言われてることから、金閣寺のような楼閣建築物だったと考えられておる。

現在、この天主(天守ではない)となる信長居館跡や庭園が発掘調査中じゃ。
この場所こそが岐阜城の本当の中心であったわけじゃ。

信長の時代、今の天守閣の場所には御殿が建っていただけじゃ。

今のような天守閣が建ったのは、信忠に岐阜城を譲った以降だと思われる。

(註釈)
岐阜城には天守と天主が存在し、信長の時代の中心地は天主だったことが発掘調査で明らかになってきています。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

inayuka44さん

2011/4/2603:38:07

んな事は知らんし分からんのだ、信の性格はたぶんバラケていたと想う、だからだ好きに行動してたであろう、城の研究者はおらんのか、餅は餅屋というであろう、信の性格であるが細かな人間ではないと感じる、だが大ざつぱでもない繊細である、しかし好みまでは掴めない、(^^)v。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

ID/ニックネームを選択し、「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

ほかのID/ニックネームで利用登録する