解決済みの質問
戦国時代の家系図を見ると、女の人の名前が書いていませんが、なぜなのでしょうか?
tatsukuuさん
戦国時代の家系図を見ると、女の人の名前が書いていませんが、なぜなのでしょうか?
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- 質問日時:
- 2012/2/7 22:45:30
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- 解決日時:
- 2012/2/14 17:20:44
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ベストアンサーに選ばれた回答
毛利元就の正室は妙玖(法号)、武田信玄の正室は三条夫人(三条公頼の娘として伝わっているので)、秀吉の正室・高台院も「おね」「ねね」「寧(ねい)」など諸説あり、どれが正しいのかはっきりしません。
このように女性の実名が殆ど伝わらない理由は、女性は十代半ば頃に他家に嫁ぐため、その家の家系には最初から関係ないとされていたからといいます(時代考証家・山田順子氏著「時代考証おもしろ事典」による)。
嫁ぎ先では、嫁いだ女性が死去したあとは過去帳や墓碑に戒名で記入されるため、実名は後の世に伝わらないということになります。
嫁がず、若くして死去した女性など、実名はおろか戒名すら不明になり、せいぜい○○○の女程度で、その存在すら記録されない場合もあります。
従って、史料等で女性の実名がきちんと後世に伝わるケースは少ないということになります。
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- 回答日時:2012/2/7 23:28:36
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okkzskさん
昔はよほど身分の高い家柄の女性でないと家系図に名前は書かれませんでした。当時の考えとして家を継ぐのは男子であり、家系図は当主の血筋が解ればよい。現在のような何等身かを明確に記して親戚、親類をしっかりと記載することは不必要だったようです。家柄が高い名家では古い家系図でも比較的しっかりと明記されているものもありますが稀です。女性は他家へ嫁いでしまいますし、妻として迎えても、だれだれの娘といった記載をされてる場合もあります。当時は、女性自身の名前よりも「どこの家の娘か」の方が重要で、当時の結婚は家と家との結びつきであり女性はその手段に使われていたんでしょうね。それが家系図には名前を書かない一因になっているようです。
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- ケータイからの投稿
- 編集日時:2012/2/8 00:31:21
- 回答日時:2012/2/7 23:30:09


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