解決済みの質問
討ち入後の赤穂浪士の切腹の順番はどのように決められたのですか?
討ち入後の赤穂浪士の切腹の順番はどのように決められたのですか?
- 補足
- 自分の順番が近づくにつれて死への恐怖はなかったのかな?
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- 質問日時:
- 2012/2/13 20:20:27
- ケータイからの投稿
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- 解決日時:
- 2012/2/20 12:33:41
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- 回答数:
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ベストアンサーに選ばれた回答
赤穂浪士の切腹の順番ですが、細川家と松平家は大将格が最初になっています。ただ、切腹の順番をどのような基準で決定ししたかはわかりませんが、必ずしも石高の高い者、地位が高かったものから順番にとはないようです。水野家で最初に切腹した間十次郎は無役の部屋住ですが、吉良上野介に最初に槍をつけた第一の殊勲者だったことを考慮されたのかもしれません。
お預け先の四家での最初と最後の切腹者は
細川家
最初は大石内蔵助、二番目は吉田忠左衛門、最後は大石瀬左衛門
松平家
最初は大石主税、二番目は堀部安兵衛、最後は大高源伍
水野家
最初は間十次郎、最後は神崎与五郎
毛利家
最初は岡島八十右衛門、最後は小野寺幸右衛門
松平家の場合、切腹を言い渡されたあと、大石主税一人がまず残され、残りの9名は一旦奥に引っ込められ、一人づつ順番に呼び出されて切腹していきました。なお午後5時頃から切腹が始まり、午後6時頃に終了しました。
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- 回答日時:2012/2/13 21:49:05
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ベストアンサー以外の回答
(1件中1〜1件)
偉い人順ではないでしょうか?
この頃の武士は 死ぬ事を恐れたり恐がったりはしません!
現代人のそれとは 比較になりません
(笑)
武士の本懐をやり遂げた 辞世の句に
その時の浪士達の心境が如実にでていますよ
我一族の遠縁にあたる
大石内蔵助の辞世の句をご紹介します
あら楽し、思いは晴るる、身は捨つる、浮き世の月に、かかる雲なし
死を恐れた人間の句とは思えません
因に
堀部安兵衛の句は
梓弓、ためしにも引け、武士の
道は迷わぬ、あとと思わば
筋金入りの武士は喜んで笑顔で
死んでいったと思いますよ!
(笑)
御覧あれ
↓
http://www009.upp.so-net.ne.jp/newt/ako474.html
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- 編集日時:2012/2/13 22:35:47
- 回答日時:2012/2/13 20:49:10

