解決済みの質問
平家物語の中の「忠度の都落ち」を読んだことのある方、感想を聞かせてください。
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- 質問日時:
- 2012/2/13 20:52:14
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- 解決日時:
- 2012/2/28 06:11:35
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ベストアンサーに選ばれた回答
私は平家物語の中では大原御幸のこの箇所が大好きです。
「遠山にかかる白雲は散りにし花の形見なり。青葉に見ゆる梢には、春の名残ぞ惜しまるる。
頃は卯月廿日余りの事なれば、夏草の茂みが末を分け入らせ給ふに、始めたる
御幸なれば御覧じなれたる方もなし。
人跡絶えたる程も、思し召し知られて哀れなり。
西の山のもとに一宇の御堂あり。即ち寂光院これなり。
古うつくりなせる山水木立、
由ある様の所なり。「甍破れて霧不斷の香を焼き、扉落ちては月常住の燈を挑ぐ」
とも、かやうの所をや申すべき。
次に好きなのが忠度の都落ちです。俊成が千載集の沙汰の時、
忠度の今生の願いに答えて「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」を収録してくれたこと。
俊成の功績により今も私は忠度を回顧することができます。大事なことは消えずに残ることなのです。
忠度が実際このような話し方をしたか知りませんが彼の頭の中は実に文学的です。
、「西海の波に沈まば沈め、山野に屍をさらさばさらせ。今は憂き世に思ひ置くことなし。さらば暇申して」とて、馬にうち乗り、甲(かぶと)の緒を締め、西をさいてぞ、歩ませ給ふ。三位うしろをはるかに見送つて立たれたれば、忠度の声とおぼしくて、
「前途(せんど)程(ほど)遠し、思ひを雁山(がんさん)の夕べの雲に馳(は)す」と高らかに口ずさみ給へば、俊成卿いとど名残り惜しうおぼえて、涙を押さへてぞ入りたまふ。
忠度は日暮れて道遠し、の思いでした。
雁山の夕べの雲が重く垂れこめ自分を闇夜に引きずりこんでゆく。真っ暗闇の前途しか見えてきません。
「さざなみや志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」
この歌を詠みながら忠度は壬申の乱に負けて自害していった大友皇子と自分を重ねていたと思われます。
大友皇子がたどった同じ運命を
自分も明日たどるであろう。
ゆきくれて 木(こ)の下陰(したかげ)を 宿とせば 花や今宵の 主ならまし.
この歌を忠度は箙に結び付けて出陣しました。忠度を討った岡部六弥太忠澄はその矢を都の藤原俊成に届けました。
忠度は花の季節に花の蔭で宿りながら花と散って行った武将でした。
↓藤原俊成邸跡 下京区烏丸通松原下る
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- 編集日時:2012/2/14 16:44:09
- 回答日時:2012/2/14 09:51:03
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