解決済みの質問

奴隷解放宣言
honmakainausodesseさん
奴隷解放宣言
リンカーンが奴隷解放宣言を発したのは南北戦争のさなかだった様ですが、
当時、奴隷解放運動が起こっていたという記録もありません(それどころではなかったでしょう)
この唐突とも思える奴隷解放宣言は、どういった理由でなされたものなのでしょうか?
違反報告
ベストアンサーに選ばれた回答
general_hocheさん
奴隷解放の理由は、南部の奴隷に”反乱を起こさせる”ためです。
これは奴隷解放宣言(1863年)の内容を見れば明らかなのですが、
奴隷解放宣言はすべての黒人を解放するものではなく、
南部諸州に限定され、さらに武装蜂起などを言葉の上でも支援するものです。
この意図が南北戦争を有利に働かせようという考えなのは当然ですね。
シャーマン将軍が悪名高い”海への進軍”作戦を始めてジョージアを横断すると
南部諸州では奴隷の蜂起が現実のものとなって大混乱に陥ります。
また南北戦争では兵器の進歩と、戦術の停滞から
戦場で大量の死傷者が発生したために、もっと兵力が必要だったわけで
黒人兵が登場するのは戦争末期ですが、兵力的差はますます歴然とします。
しかし宣言後も、北部諸州の奴隷は、奴隷のままで、
かつ南部から北部に逃亡した奴隷も奴隷のままでした。
奴隷制度が全州で廃止されるのは宣言の二年後の1865年のことでした。
ただし「アンクル・トムの小屋」などでも有名なように
奴隷解放運動は南北戦争前から知識人や産業界を中心に盛んでした。
奴隷解放問題が、南北戦争の原因では”ない”のですが、
争点の一つだったことは確かで、自由な賃金労働者を必要としていた北部では
奴隷は必要なく、アメリカ以外、特にイギリスでは早くから奴隷制度を廃止していて、
国際的圧力も高まっていました。
しかしこれは人道主義という観点だけでなく、経済的利益という面も大きくて、
世界の趨勢が、身分的・人種的奴隷から、経済的奴隷へと変化したものです。
低賃金労働者は、資本主義社会における自由な奴隷ということができます。
以下:奴隷解放宣言の内容
アメリカ合衆国に対して反乱を起こしている州と
その州の一部として指定されている地域に住む人々で、
奴隷という身分にあるすべての個人は、
西暦1863年の1月1日の時点から、永遠に自由である。
陸海軍当局を含むアメリカ合衆国の行政府は、
彼ら個人の自由を承認かつ保護し、彼ら個人やその権利を抑制するような
如何なる行為も決定も行わないし、
彼らが実際に自由を手にするために行うであろうあらゆる努力を妨げない。
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- はい
- いいえ
お役立ち度:
4人中 1人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
- (3件中1〜3件)
pirrip_pirrip_pirripさん
回答には,ほど遠いですが,南北戦争で北軍が勝ったために,
白人による黒人差別は,より陰湿になったという意見があります。
南部は黒人を奴隷として使役しているとはいえ,一方では,
メイドやサーバントとして,白人の子どもたちの世話もしています。
白人の子どもたちは,幼い頃から黒人に慣れ親しんでいますから,
一緒に生活しても,そんなに違和感もないし,過激な虐待もしない。
ところが,北部では理念的には奴隷解放を唱えても,
実生活では,黒人と接する機会が少ないわけで,
実際に黒くて大きな人間が傍に来ると,偏見と恐怖で一杯になる。
だから,黒人へのいじめは裏に隠れて陰湿なものとなるいうことです。
あの悪名高きKKKも,結成されたのは南北戦争後の南部ですが,
現在では,黒人を知らない北部の人たちが中心だそうです。
lunas_terraさん
言葉のあやです。北部は工業が発達して奴隷が必要ではありませんでしたが、南部は綿花農家などが多く、奴隷が必要でした。北軍のリンカーンはこれを利用して南部の奴隷を味方につけようと考えます。奴隷解放宣言はこうした社会的背景から作られました。当然戦争が終われば奴隷境遇の黒人に摺り寄る必要などありませんので、黒人の地位は後の公民権運動までほとんど向上しません。
kusirosiさん
奴隷解放運動は
南北戦争以前から高まりを見せ、
国論を二分していました。
リンカーンは、穏健な解放派で、それまで即時解放派のつきあげに抗していましたが、
国民を団結させ国力を集中するため、タイミングをつかむや、
機敏に奴隷解放宣言を発しました。
※実は南部には即時解放をいいながら、
連邦内の奴隷制度残存州には準備しだい施行
というものですが
質問した人からのコメント