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イエスの言葉の意味

mikuunef155さん

イエスの言葉の意味

イエスが「アブラハムの生まれる前から私は、いるのである」と言ったのを
キリスト教はどのように解釈していますか?

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isa4310_tさん

イエスが言おうとしておられた事柄を正確に知るためには前後の文脈から判断する必要があります。
ヨハネ8章57節で、ユダヤ人たちは、イエスがまだ50歳にもなっていないのに「アブラハムを見たことがある」と主張したことに対してイエスを殺そうと思いました。ですから、イエスの返答は,道理からいって、ご自分の年齢に関する真相を告げることです。この点を念頭に置くと、イエスが58節でご自身の「称号」を告げたとは考えられませんし文脈にも沿いません。

さらに、分かりやすくしましょう。
ユダヤ人は、「あなたは、まだ五十歳にもならないのに、アブラハムを見たのか」と言いました。
これに対するイエスの回答は下記①と②のどちらが文脈に沿っているでしょうか?
 ①アブラハムが生まれる前から、わたしは存在しているのです。
 ②アブラハムが生まれる前から、わたしはエホバなのです。
*わたしは、①の意味のほうが文脈に適しているように見えます。



また、ほかの聖書翻訳者もヨハネ8章58節のイエスの表現を、「称号」(もしくは「名」)としてではなく,ご自分が人間となる前に存在していたことを説明する手段として用いられたと理解しています。
■「アブラハムのありし先より,我はあるなり」。「新約聖書」,G・R・ノイズ訳(1869年)
■「我はアブラハムの生まれし先よりありき」。「聖書―アメリカ訳」,J・M・P・スミスとE・J・グッドスピード訳(1935年)
■ 「アブラハムが生まれる前に,わたしはすでにいる者であった」。「新約聖書」,イェルク・ツィンク訳(1965年)
■「わたしはアブラハムが生まれる前に生きていた!」「簡明な英語聖書」(1981年


したがって結論は、イエスは人間として地上に生まれる以前に、天で霊者として存在していた…それゆえに、アブラハムを見たことがあり、知っていた。
イエスはその点を言わんとされていたということです。

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  • 編集日時:2007/3/9 23:24:38
  • 回答日時:2007/3/5 18:46:39

質問した人からのコメント

  • そのとおり。
    霊としては常に存在していたということですね。
    イエスに限ったことではないですが。
  • コメント日時:2007/3/11 12:10:08

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chirinokoさん

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。
新約聖書コロサイ人への手紙1章15節

と書いてあります。

cioccolatonuovoさん

キリスト教では:
 「イエスは宇宙万物の歴史に先立って、父なる神から、創られることなく生まれた神であり、
 また、人間として約二千年前に聖霊によって母マリアのもとに受肉した神。
 神の子イエスは、人類を贖う(あがなう)受難・復活を経て天の高みに昇り、父なる神の右の座についている真の神」
と信仰されています。


従って、神であるイエスは、アブラハムはもとより、宇宙万物が出来る前から存在していると捉えられます。
ご質問の「私は、いるのである」という部分は、ユダヤ/キリスト教において神の名がヤーウェ(「私はある」)であるため、「私は神である」という意味に肉薄した表現でもあります。このヨハネ福音書の記述は「昔から存在している」という表現において、同時に「イエスは神である」という信仰をも透過的に表現しているように思います。


「三位一体」という言葉を聞かれたことがあるかも知れませんが、これは、「父なる神・御子イエス・聖霊」という神の三つの位格が、それぞれが互いに呼応し合う関係性を持ちながら、三つではなく一つの神であるという、人智を超えた奥義とされます。キリスト教において、三位は、歴史の始まる前から、常に、一体として働いていると捉えられています。

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  • 編集日時:2007/3/10 14:37:54
  • 回答日時:2007/3/9 21:09:07

syuushigakuさん

「私を見た者は神を見たのである」とイエス様は言っています。
神は創造主で、宇宙の栄え、地球の栄え、人の成長を立案し、建設の開始から完成まで(私はアルパでありオメガである=始であり終わりである)のブループリントを作ってから実践に入った方ですから、時間と空間を超越した方なのです。
私、イエスは創造の神そのものであると言えると明言されておりますから、アブラハムに例えた神の教えも抱合しているという意味です。

宗教を学ぶということは、物品と霊的なものの関係を知ることであり、如何に時間を超越することが出来るか、あるいわ、空間を自由に飛ぶことが出来るかが最大の課題となります。これが芸術的感覚の拡大であり、荊冠を外して柔らかい頭のおしゃれこうべにならなければならない、赤子(狭い産道を通る時のコーンヘッド)の如く成りてこそ天国は近づきぬ、石頭のコンコンチキの合理主義では宗教が判らない、魂のパンのカミを得ないのです。


真の我は魂です。霊界と現界を輪廻転生する繰り返しによって育てられているのです。宇宙の実相は過去現在と未来が同時進行をしている、1万2、3千年でゲームオーバーという期限があり、再び新ゲームが再開される、地球は崩壊し滅するも神の世界はなんら損傷を受けない、と「神との対話」にあります。

地球は1万3千年毎にフォトンベルト(2000年間)を通る、と天文学に通じる聖書の黙示録の大定義が読めました。この最初の千年が、火の洗礼(ハルマゲドン=2012年に入る)を肉体を持って通れるピュアーな魂の持ち主と、宗教に準じた人の救いの代であるという千年王国の意味を掴みました。つまり千年王国は輪廻の内の一齣であるということです。

「神との対話」は私には理解できませんが、本物であることは断言できます。著者自身も理解できないままで終わっているようです。
世界は聖書を理解できていません。それなのに、より高度な神真理を今卸されたのは、理解不能な世界が実相である、議論している時ではない、急ぎ宗教の実践に入るべしと促されているということに違いありません。

私達は確りした臨床感のある夢の中で育てられている。という、大変奇妙な結論となりますが、ゆえに面白い、人の悩みと選択が尊いということになります

霊的な奇跡を経験したことはありませんか?宗教には奇跡が付きものです。奇跡を通して、時間と空間と物と霊の人知科学的でない神の科学、神の合理主義を勉強することができるのです。ここから見れば、イエス様はアブラハムより前に存在したという言葉は重要で、何の不都合もありません。

《秀思學》

yapper_kさん

エホバは「わたしは在る」という意味があります。
キリスト教でも解釈が異なりますが、
「アブラハムの生まれる前から「わたしは在る」である。」つまり「わたしはエホバである」と
言っているものと解釈することができます。
しかし、エホバの証人は断固として違う解釈をします。
また、これが三位一体説が正しいものだという宗派もあれば、わたしのようにそれでいて三位一体説を否定している
宗派もあります。

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