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田沼時代について

riderxxxx1さん

田沼時代について

とかく賄賂のイメージのある田沼意次ですが、今日の視点から見るとかなり先進的な政策を採っているかと思うのですが、彼の今の評価はどうなっていますか?

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kotori672007さん

 昔から関心があり、いろいろ調べています。もはや「悪徳政治家」評は過去のものですが、「近代的商業政策を行った名政治家」論とともに、「それは過大評価しすぎ。田沼は税制改革を行ったにすぎない」という説もあります。

 代表的田沼論の辻善之助の「田沼時代」は、ハッキリいってまったく話にならない。田沼の政敵の言い分を無批判に取り入れているし、庶民の落首の解説が間違っていたりする。チチングがなぜ、その落首を取り上げたのかが分かっておらず、色眼鏡つきと言われても仕方が無い。

 そんなわけで、田沼の功績はにわかには評価しがたいんですけど、江戸300年間ずっと赤字だった「出島貿易」が黒字になったのは、田沼時代だけ・・・・と言う一事でも、「汚職政治家」と切ってよくはないと思います。
 田沼時代には、平賀源内・高山彦九郎・杉田玄白・前野良沢・最上徳内といった日本を代表する学者が出ています。
 後の「ゴロウニン事件」を見ても、「蝦夷防衛」の田沼の先見性は高かった。それを、松平定信は「田沼憎し」のあげく、蝦夷探検隊の青山らを罪もなく処刑している・・・田沼と定信、どっちがマシな政治家かは自明と思いますが。

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msa005_methussさん

Wikiよりコピペ
意次の没後から既に悪評が出ており、明治以降も引き継がれ、近代には、1917年に辻善之助著『田沼時代』が発表されると、田沼意次=「賄賂政治家[2]」とされ、田沼悪人説が流通していた。現在では大石慎三郎らによる実証的研究により、政策の進歩性などが開明的政治家として再評価されている[3]。また贈収賄は江戸時代通じての問題で、それ自体も近代以後に比べればかえって少なかったという説も唱えられている。

田沼悪人説の根拠となる史料も田沼失脚後に政敵たちにより口述されたもので、辻の著作においては信憑性が検証されていないと指摘している。また、仙台藩主伊達重村からの賄賂を田沼が拒絶したという記録の存在もあり、逆に田沼を非難していた松平定信さえも田沼に金品を贈っていたという説もある。

田沼失脚後に老中となった松平定信ら譜代・親藩による寛政の改革が始まり、意次の政策は否定される。11代将軍家斉の大御所時代に、水野忠友の子水野忠成と、田沼意次の四男田沼意正らによって重商主義に基づく政策は一時見直されるが、大御所家斉の浪費のためほとんど効果を上げることはできなかった。松平定信は庶民の着物の柄まで制限するほどの質素倹約な方針だったので「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき」と良くも悪くも世俗的な田沼意次の政治を懐かしむ声も見られた。

現在の田沼論はどちらかといえば「老中としての田沼」を論ずるのがメインとなっている感があるが、相良藩主としての田沼に関しては街道や港の拡張、防火対策(相良で起こった大火の後、藁葺きの家はことごとく瓦葺にするよう令を発している)、殖産興業などきわめて正統的で的を射た施政を行っている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E6%B2%BC%E6%84%8F%E6%AC%A1#....

(-o-)/

pannarumiさん

教科書での評価は、後任の筆頭老中となった松平定信との施策を比較され、相変わらず汚職政治家というレッテルが貼られていますね。
歴史番組では、今まで幕府や藩が人を雇い土木などにかり出させていた土木事業を、商人に任せて、その利益の一部を納めさせるいわば「公共事業」を本格的に初めて行なった人と紹介していますね。それで、賄賂が横行してしまったのは短所ですが、景気はよくなり、文化も発展し、幕府財政も持ち直したのは事実ですし、暗愚な将軍家治にまかせるよりはよかったのではないかと思います。

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