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戦前の日本共産党は大東亜戦争開戦に賛成していたってホンマでっか???

keiko_180さん

戦前の日本共産党は大東亜戦争開戦に賛成していたってホンマでっか???







日露戦争は、反対派が多かった。

しかし、太平洋戦争は賛成者が多かった。

対アメリカ戦争を熱望したのは、マスコミであり、日本国民である


日本共産党でさえ、太平洋戦争の開戦には賛成していたんだ。

資本主義国が戦争で共倒れになれば、社会主義の祖国ソ連の勝利だからねえ。

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silkyeasyriderさん

1)モスクワの指導を受けたコミンテルン(共産主義インターナショナル)の一九三二年のテーゼにのっとり、満州事変からはじまるこの戦争を、天皇制のファシズムの指導者とその追随者、つまり大資本家と大地主による「帝国主義侵略戦争」とする立場。
政治思想としてのマルクス主義の是非については、現在でこそ「勝負あった」だが、
戦前・戦後を通じて、この思想は日本の知識層、とくに革新的ないし理想主義的傾向の人々に大きな影響力を持っていた。

日本共産党は、戦前すでに非合法化されていたが、社会科学やジャーナリズムの場にその思想はかなり根強く残り、その同調者も少なくなかった。

帝国主義戦争によって、国内に内乱を起こして革命に転化させようとしたのが、日本共産党及びそのシンパである。


2)日露戦争当時の文学雑誌でも読みなさい。

森鴎外の娘、森茉莉のエッセイには『日露戦争の出征』の様子が、太平洋戦争のそれと比較して書かれている。

日露戦争は日本が勝てるはずがないと、多くの国民は思っていたのである。


『なんじら、悔いあらためよ』(爾曹悔改めよ)というトルストイのこの非戦論は、明治三十七年六月二十七日「ロンドンタイムス」に掲載されたものを孝徳秋水と堺利彦が翻訳し、『平民新聞』八月七日の第三十九号に「日露戦争論」として紹介したものである。


大塚楠緒子が詠んだ「お百度詣」(明治三十八年一月一日『太陽』)。
お百度詣 大塚楠緒子
ひとあし踏みて夫思ひ
ふたあし国を思へども
三足ふたたび夫思ふ
女心に咎ありや

朝日に匂ふ日の本の
国は世界に只一つ
妻と呼ばれて契りてし
人も此世に只一人

かくて御国と我夫と
いづれ重しととはれなば
たゞ答へずに泣かんのみ
お百度詣あゝ咎ありや

楠緒子は、同年五月にも詩の中で戦争に言及している。
太郎よそなたは
太郎よそなたは幾際になりやる
ことし六つで未だ背が低い
晝は婆様が飴買ふてくれて
夜は爺様に抱かれて寝れど
何故に往た往たわしよ置去りに
母は野原のお墓の中へ
父はいくさに満州へ


女性による厭戦歌は、『太陽』明治三十八年一月には、戦十首のなかに、三首女性の歌が採られている。
潔きいくその血汐流しつつ日の旗たてぬあたの壘に (高木鑅子)
若きこの血潮流るゝ夏野原剣なき世ととくなしたまへ (松井友子)
軍神さけび狂へる野の夕べ空には星のひかり冷たき (井関照子)

さらに、日露戦争中の、『明星』の明治三十七年から明治三十八年にかけて、女性が詠んだ短歌。

① 明治三十七年三月一日(辰年第三号)
山川とみ子の「夢」と題する八首のうちに
みいくさの艦の帆綱に錨綱に召せや千すぢの魔も搦む髪
この三月号の作品の原稿締め切りも他の号と同じとするとおそらく二月十八、九日あたりなので、二月十日の宣戦布告との兼ね合いで考えると、少なくとも、『明星』での最も早い、女性の日露戦争歌ということになろう。

② 明治三十七年四月一日(辰年第四号)には
桂はな子
御軍にたけき名得つときこえなば千とせつつみし恋もゆるさむ

③ 明治三十七年六月一日(辰年第六号)
白百合(山川登美子)の五首のうち
祝ぎ酒にをのこは酔ひぬかちいくさ長白おろし興ひろげ吹け

④ 明治三十七年七月一日(辰年第七号)
ゆふちどり(石上露子)の五首のうち
みいくさにこよひ誰が死ぬさびしみと髪ふく風の行方見まもる
この歌に関しては、 平出露花(修)が、「最近の短歌」で、


他に、石上露子の厭戦歌や反戦小説『兵士』などがある。


「反戦思想」をいうならば、戦地に赴く夫に、後に残される自分と子供の生活に絶望し、夫に子を受け取れと迫る女を「狂ひて」「あさましき」と「狂女」にしたてた点や、兵士が子を川に投げ捨てるこの話を自分の「夜半の夢」とする点に、声高に「反戦」といえない女性ゆえの韜晦をみるのであるが。

⑤ 明治三十七年九月一日(辰年第九号)
蔵田のぶ子 九首のうち
みいくさに兄は召されぬ年くれぬわれとなぐさめいつを待たまし
この号に晶子の「君死にたまふこと勿れ」が掲載される。

そして、晶子自身の厭戦歌が、一年後、明治三十八年九月の『明星』に載る。




つまらん歴史本を読んでいるだけでは、当時の世相を感じ取ることは、できないのだよ。文芸雑誌にこうした厭戦詩や短歌が掲載されると言うのは、数千倍、数万倍の共感する読者がいるからだ。

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  • 編集日時:2008/9/23 06:54:50
  • 回答日時:2008/9/23 06:47:36

質問した人からのコメント

  • 成功先生!!ありがとうございました!!
  • コメント日時:2008/9/23 19:58:09

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of_mice_and_men_836さん

オマエの正体は高血圧のダエモンだったってホンマでっか???





http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1117209291
たまに、私の心の中に居られる「ダエモン神」が発動することがある。

ダエモン神が発動すると、私の血圧が上がります。

どーしたらいいのでしょーか????助けてぇ

gendogiさん

ホンマじゃないよ。
開戦当時、日本共産党は消滅してた。
それでもって、日露戦争に反対派が多かったというのは、
何をさして言ってるんだ?
少数だが反戦論があったというのを言ってるのか?
それとくらべて太平洋戦争の賛成が多かっただなんて、
妙な歴史認識もあったもんだ。
それを言うなら、真珠湾攻撃の大成功に、
官民・マスコミ、文化人など多くが「快哉」を叫んだということだね。
資本主義の共倒れになってソ連に有利か。
言えてそうだが、冒頭言ったように、もう党はなかったんだから、
賛成も何もないだろう。

kusirosiさん

してません

つーか、

野坂参三は、延安に亡命、
他の徳田球一、志賀義雄、宮本賢治、袴田里実など
中央幹部は、1935年までに全員逮捕され、
転向するか、敗戦まで獄中にあり、
開戦当時、日本共産党(コミンテルン日本支部)の組織は
日本国内に存在しなかった。
※ソ連の影響下にある共産主義者は、存在したが・・・・・(ゾルゲ事件)

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