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大鏡の「最後の除目」の現代語訳が分かりません。どなたか教えてもらえないでしょ...

earth9420さん

大鏡の「最後の除目」の現代語訳が分かりません。どなたか教えてもらえないでしょうか

「〇〇という本の何ページに訳が載っている」という回答ではなくて、実際にここに書き込んでください。お願いします。

補足
「この殿たちの兄弟の御仲、年ごろの官位の劣り勝りのほどに、御仲悪しくて過ぎさせ給ひし間に、・・・」
からです。

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ベストアンサーに選ばれた回答

frogman03544さん

【最後の除目行ひに参り給へるなり】
『大鏡』兼通伝
[一〇〇] 兼通と兼家の不和 最後の除目強行

(前段省略)
この殿たちの兄弟の御中、
年頃の官位の劣り優りのほどに、
御中あしくて過ぎさせたまひし間に、
堀河殿御病重くならせたまひて、
今はかぎりにておはしまししほどに、
東の方に、先追ふ音のすれば、
御前にさぶらふ人たち、「誰ぞ」などいふほどに、
「東三条殿の大将殿まゐらせたまふ」と人の申しければ、
殿聞かせたまひて、年頃なからひよからずして過ぎつるに、
今はかぎりになりたると聞きて、とぶらひにおはするにこそはとて
御前なる苦しきもの取り遣り、
大殿籠りたる所ひきつくろひなどして、
入れたてまつらむとて、待ちたまふに、
「早く過ぎて、内へまゐらせたまひぬ」と人の申すに、
いとあさましく心憂(こころう)くて、
御前にさぶらふ人々も、をこがましく思ふらむ。
おはしたらば、関白など譲ることなど申さむとこそ思ひつるに。
かかればこそ、年頃なからひよからで過ぎつれ。
(途中略)
大将はうち見るままに、立ちて鬼の間の方におはしましぬ。
関白殿御前につい居たまひて、御けしきいとあしくて、
「最後の除目行ひにまゐりたまふるなり」とて、
蔵人頭召して、
関白には頼忠の大臣、東三条殿の大将を取りて、
小一条の済時の中納言を大将になしきこゆる宣旨下して、
東三条殿をば治部卿になしきこえて、
出でさせたまひて、ほどなくうせたまひしぞかし。
心意地にておはせし殿にて、さばかりかぎりにおはせしに、
ねたさに内にまゐりて申させたまひしほど、こと人すべうもなかりことぞかし。
(以降略)

【現代語訳】
時は平安中期のことです。
藤原兼通は、弟の藤原兼家が
すでに中納言であったにもかかわらず、自分はまだ参議だったので
非常に辛い思いをし、仲もたいそう悪い状態でした。

そんな時、
兄の一条摂政藤原伊尹が亡くなりました。
兼通は、この御文を持って参内し、円融天皇に訴えました。
「御奏上申すべき事がございます。」
そして、この御文を差し出したのです。
円融天皇が手に取って見てみると、
母安子の筆跡で次のように書かれていました
「関白職を兄弟の順に従って、御任じなさいますように。
ゆめゆめ違えませんように。」
天皇は「亡き母の筆跡だな」と言うと、
その御文を持って奥へ入ってしまいました。
その結果、兼通はあっというまに関白に任じられたのです。
天皇が母の遺言に背くまいとしてのことでした。

兼通が関白になってから数年後のことです。
兼通は病気が重くなり、危篤の状態になりました。
そんな時、
兼通の邸の目と鼻の先にある兼家の邸の方で先払いの声がしました

兼通の病床に付き添っている人たちが「誰だろう」と話していると
誰かが知らせました。
「東三条の大将殿(兼家)が、お出ましでいらっしゃいます。」
兼通は思いました。
「仲の悪いまま長年過ごしてきたが、私が危篤になったと聞いて
見舞いに来るのだろう。」
そして兼通が、身の回りにある見苦しい物を片付けさせていると、
また知らせがありました。
「もうすでに門前を通り過ぎて、内裏へ参られました。」

兼通は危篤でありながらも、怒り狂いそうになりました。
「私の傍に控えている人たちも、私を間抜けだと思っていることだろう。
もし見舞いに来たら、関白職を譲ろうと申そうなどと思っていたのに。
いつもこんな態度だから、長年仲たがいのまま過ごしてきたのだ。
私の邸を素通りして、参内するなど許せないことだ。」

兼通は叫びました。
「かき起こせ。」
「車の支度をせよ。御前駆の者たちを集めよ。」
まわりの人々は、気でも狂ったのだろうかと驚いていたのですが、
兼通は冠を持ってこさせ、装束に着がえ、子息たちの肩にもたれて
参内して行きました。

昇殿すると、天皇が清涼殿の昼の御座におり
その御前に兼家が伺候していました。
兼家は、兼通がすでに亡くなったと聞いて、
関白のことを秦請しているところでした。
そこへ兼通が目をかっと見開いて現れたので
天皇も兼家も大変驚きました。
兼家は立ち上がると、西隣の部屋の方へ行きました。

一方、兼通は天皇の御前に膝をついて、
とても機嫌の悪い顔つきをして言いました。
「最後の除目を行いに参内いたしました。」
そして兼通は蔵人頭を召して、関白には藤原頼忠を任じ、
兼家からは大将職を取り上げ、
大将職には藤原済時を任ずる宣旨を下し、
さらに兼家を治部卿に貶しました。
それだけの事をやり終えると、兼通は退出し
まもなく亡くなりました。

兼通は無理にでも我意を通す性格だったので
危篤の状態であったにもかかわらず、
除目のことを秦請するなど、他人には真似もできないことでしょう

《earth9420さん》
余計なことを訳すなってことですね。修正いたしました。
ついでに本文も書いてみました(略あります)これも余計でしたね
長文失礼しました。

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  • 編集日時:2009/1/1 21:45:32
  • 回答日時:2008/12/31 15:54:44

質問した人からのコメント

  • 成功ここまで長い文章を書いてくださり本当にありがとうございました
  • コメント日時:2009/1/2 10:12:59

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