解決済みの質問
昔の戦国武将などは 囲碁や将棋が強かったというのは本当でしょうか?
zah65111さん
昔の戦国武将などは 囲碁や将棋が強かったというのは本当でしょうか?
むしろ、囲碁や将棋のようにルールにとらわれるのではなく、ルールをぶち壊して信長のように人をあっと言わせるような人が戦国武将の中では強かったのではないでしょうか? ナポレオンはチェスが好きですが結構弱かったらしく 癇癪を起すとチェス台をひっくり返していたらしいです (本当かどうかはわかりませんが、その姿がフランスでは切手になっているらしいです)
将棋や囲碁、チェスなどが好きな人には不愉快な質問かもしれませんが、自由にご意見を頂ければと思います。
ちなみに私は将棋、囲碁、チェス、すべて苦手です。じっとしているのが嫌いで、パチンコもできません。マージャンもできません。
-
- 質問日時:
- 2009/2/1 21:46:07
-
- 解決日時:
- 2009/2/16 03:58:32
-
- 回答数:
- 4
-
- お礼:
- 知恵コイン
- 25枚
-
- 閲覧数:
- 651
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
gtaxaxさん
案外本当なんじゃないでしょうか。
武士は、商人と違い、朝から晩まで忙しい職業ではありませんから、暇な時間には暇つぶしをします。それが囲碁や将棋だったのではないでしょうか。
以前、美術館で、厩図とかいう室町後期の屏風を見たことがあるのですが、それは馬の世話をしている者が囲碁、将棋、バックギャモンをしているのが描かれていました。
ということは、娯楽としてきわめて一般的であったということを示しているのではないでしょうか。
現代でも、職人とか、待ち時間の多い、男ばかりの職業では、けっこう将棋が流行しています。男の世界では、こういうゲームは恰好の暇つぶしなのでしょう。
まあ、だからといって、囲碁や将棋が、武術に通じるか、応用できるか、というと、そういうものではないと思いますけどね。暇つぶしの言い訳、あるいは、武将に対する箔付け、あるいは囲碁将棋の根拠のない宣伝ではないでしょうか。
- 違反報告
- 回答日時:2009/2/1 22:11:30
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
1人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
(3件中1〜3件)
- 並べ替え:回答日時の
- 新しい順
- |
- 古い順
将棋や囲碁、チェスなど昔はギャンブル、遊びと言うより教養の部類に入っいました。囲碁は平安時代の貴族の嗜みの一つで、将棋はどちらかと言うと武士に好まれたようです。もともと、どちらも上流階級のもので一般に広がっのは江戸中期ぐらいだったと思います。政治家、軍人は頭の中で策を練る訓練にしていたようです。信長も本能寺で死ぬ前に僧侶と囲碁打ってたそうですよ。今の3段ぐらいの実力があったとか…。
相手もいろいろ、考えかたも実力違う相手と刻々と変わる状況に対しながら勝ちをとる。下手なゲ-ムより楽しいです。
- 違反報告
- ケータイからの投稿
- 編集日時:2009/2/5 20:11:24
- 回答日時:2009/2/5 15:47:15
名将の名高い真田昌幸(幸村の父)が関ヶ原に向かって中山道を行く徳川秀忠の大軍を上田城に引き付けて翻弄し、関ヶ原の戦いに間に合わないようにさせた(5日遅れ)話は有名ですが、真田昌幸は上田城のすぐ傍に敵軍が迫るまで碁を打っていたのだそうです。また、彼は日頃から碁を通して戦術の研究も行なっていたそうです。
それで彼の棋力が気になって棋譜を探してみたところ
http://members.at.infoseek.co.jp/igosennin/sanadamasayuki_nobuyuki....
がありました。
碁盤全土を見据えて手段して行くのではなく、また布石はほとんど無く、部分戦が発展して競り合いになり、順番に碁盤を流れて移動するだけの一本調子の碁ではありますが(少々やり過ぎに見えるところも見損じもある^^;)、個々の戦いは立派。現代の5段には達しているように見えました。甘い碁会所の6段では彼に勝てないと思います。現代の布石・定石の知識があったら、すごい打ち手になっていたかもしれません。
囲碁に関しては上記の例の他、本因坊家の始祖算砂が織田信長・豊臣秀吉・徳川家康に重んじられた等、一般的に戦国武将の嗜みであったという話は聞きますが、越前国大名の朝倉氏の居城跡地から多数の将棋の駒が出土したという話を除いては、将棋については聞いたことはありません。確かに江戸幕府は囲碁・将棋ともに抱えの御所を持ちましたが、同時代に碁は武士の教養として、将棋は町人の遊びとして定着したということから見ても、一般的に戦国大名も将棋にはあまり関心を払っていなかったのでは、と推測します。
因みに、真田氏を侮って関わり(無視して大垣に向けて急ぐという方針もとれた)「関ヶ原の戦いに遅れたことによって軍事面に於いてその無能振りを全国に示した秀忠及び自分の死後の徳川家の将来を悲観した家康が、もともとは秀吉の遺言に従い、徳川・豊臣両家共存の意向だったのを取り止めて、後顧の憂いを絶つべく豊臣家廃絶の道を選んだのではないか」という説が学者間に浮上しているらしいです(wikipediaより引用)。確かに中山道行軍の別働隊が間に合っていれば、小早川秀秋の裏切りなんてなくても余裕で徳川が勝っていたでしょう。
しかし、豊臣氏の天下を願って秀忠軍を寄せ付けて奮戦した真田昌幸・幸村父子が結果として豊臣氏を滅亡に追いやったとしたら・・皮肉なものですね・・。
- 違反報告
- 編集日時:2009/2/2 20:19:24
- 回答日時:2009/2/2 19:12:23

