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大慶油田の発見の時期

fastech72さん

2009/11/1714:30:22

大慶油田の発見の時期

戦後大慶油田が発見されます。もしこれが戦前の満州国時代に発見されていたら、その後日本はどうなっていたと思いますか?

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coolkazuchanさん

編集あり2009/11/2011:49:47

★発見できなかったことに歴史的必然性あり
本腰を入れた探査が行われなかった・・・・
戦前の石油生成に関しては大正11年に発表された東北帝大の高橋純一助教授(当時)の海底腐泥起源説が有力でした。そのため、「石油とはかつて海だった底に泥とともに堆積した藻類やプランクトンの遺骸中の有機物が重合して形成された油母と呼ばれる複雑な高分子が、地熱の作用を受けて分解してできたものであり、油母は地殻変動で地層が波状にたわんで出来た背斜とよばれる波状の頂部にたまる」(石井正紀著、陸軍燃料廠 より)と考えられ、そこから理論的に導かれる結論は、「石油は沿岸部・海底等の第三紀背斜構造にしか存在せず、中国大陸には存在しない」というものになり、これは当時の地質学関係者の一般常識になっていた。
石油が帝国の死命を制するものは当然の前提として、かつ油田の存在が学説として有力であったなら、満州全土を掘りつくす決意を持ってすれば発見された可能性が在ったかもしれません。

★発見できても、掘削・精製など戦前の日本の技術力・国力からして利用は不可能
大慶油田について
仮に大慶油田を発見したとしても、大慶油田の原油は重油質気味で硫黄分が多く質が悪く、常温で固まってしまう特殊なオイルのため当時の日本の技術では大規模な開発は難しかったと思われます。大慶から日本までの、パイプライン、タンカー、貯蔵タンク、製油所施設を、全て24時間加熱しておかねばならないからです。(出光オイルアンドガス開発株式会社 取締役副社長 美谷島氏)
遼河石油について
遼河石油は戦前、日本が集中的な石油探鉱を行った阜新地域より東に山一つ超えた位置と非常に近かった。 遼河石油の高流動点原油の貯留層深度が6000メートルである事を考えると当時の石油開発技術では遼河石油の真上地点を探索したとしても検知できなかった可能性も大きい。
技術的後進性
石油精製プロセス技術は米国で発展したもので、戦前・戦後を通じ基本技術は米国から買っていた。陸軍の燃料研究が海軍に約20年遅れ支那事変の結果燃料消費が急増し(まさに泥縄式に)着手されたが為に、海軍以上に民間技術者や若手研究者を重用し、理論より実際の生産増大に結びつくプラントエンジニアリングを重視することになり、さらに当時最先端であったパレンバンの精油所を復旧・運営するとともにその技術資料を入手したことが、戦後の日本の石油化学工業ならびにプラントエンジニアリングの急成長に貢献する多くの若手技術者を養成することにつながった。陸軍燃料廠の成果を戦中ではなくむしろ戦後に大きな影響があった。

★もし、満州から石油が採掘されれば
日本の外交的立場は、特に対米外交において、飛躍的に強化され、対米開戦も回避されていた可能性もあったでしょう。あらゆる産業の発展に大きく寄与したことだろうし、外貨の国外流出は大幅に抑えられ、慢性的な輸入超過・外貨不足は解消していた可能性が高い。

補足
>大慶油田の油が埋まってる真上で地質調査を行いましたが、当時の日本の油田調査の技術では見つけられなかったようです。
不正確です。
満州石油が昭和9年から19年にかけて、満州各地で石油探鉱を実施した中で、大慶油田周辺でも掘削を行いました。実際に掘削した深度は1000m。その井戸で若干の油を発見したようです。油の流動性が悪く、上記にあるように、商業的採掘を諦めたとのことのようです。

★当時の日本の掘削技術レベルについて
秋田の八橋油田では(昭和8年発見、戦前日本最大の油田)・・・昭和16年に既に1300mの油層を掘削
台湾「錦水ガス田」では、昭和10年に帝国石油により3500mまで掘削
その他、小規模油田でも、昭和15年ごろにはいずれも1000mを越えて掘削

★戦前の満州の油田調査はかなりの規模で実施はされていた。
昭和7年6月、関東軍は石油・鉄鉱石・アルミニウム原鉱石の資源調査を実施していた。この調査では満州全土にわたって文献や口碑に伝えられた油徴地、油頁岩などが調べられたが、発見はできなかった。
当時の満州の治安の悪さのためか、徹底した調査ができなかったことも発見できなかった理由の一つであろう。
軍の調査と平行して、満鉄や日本石油の手で石油探査が進められていた。陸軍の技術より進んだ深度1800m程度までの掘削が可能だったが、それでも欧米の探鉱技術よりかなり遅れていた。

質問した人からのコメント

2009/11/24 13:08:22

降参 興味深い内容を頂きました方を選ばさせて貰います。日本単独での採掘は難しそうですね。皆様ありがとうございました。

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tekinisioさん

2009/11/1818:59:32

米軍には原子爆弾という武器があったので、当時発見されても米軍には勝てなかったでしょう。

米国が中立から連合国に参戦した理由は、米国と同じアングロサクソン民族の英国を日本が攻撃したこと。仮に米国を味方に引き寄せようと油田の利権を与えたとしても、英軍とも同盟を結ばなければ意味がありません。

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lime009jppさん

編集あり2009/11/1811:08:30

大慶油田には当時の日本の需要を満たすのに十分な埋蔵量がありましたが、日本の製油技術が低いため、もし見つかったとしても米国からの技術供与が必要。米国が快く技術供与してくれるはずはなく、「これは良いものをみつけてくれた、ご苦労」とアメリカが日本にあの手この手で圧力をかけ、史実より早く日米開戦。
もしくは、「ソ連は、満洲を日本帝国主義勢力の支配から解放するために協力を惜しまない(日露戦争で失った満洲の権益と油田をもらうよん)。」としてソ連・モンゴル・国民党・中共vs日本で戦争

ちなみに、当時満州で油田の試掘調査が行われ、大慶油田の油が埋まってる真上で地質調査を行いましたが、当時の日本の油田調査の技術では見つけられなかったようです。

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編集あり2009/11/1715:43:07

当時の帝国日本の掘削技術では掘るのが無理何で大して変わりません。
まぁ、北進論勢力が強まったのは確かでしょう。
日米開戦はなく、日ソ開戦でしょうかね。東西から攻められソヴィエトは崩壊寸前、米国は参戦口実を喪失。英国は米国の支援なく孤立。

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ayre_k1xさん

2009/11/1714:56:47

油田欲しさから米軍の軍事圧力が高まり、史実より早く敗戦したかと思います。

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