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尊王攘夷とはどういうことですか??
尊王攘夷とはどういうことですか??
新撰組にハマって以来よくこの手の本を読むのですが、どんなに読んでも未だに『尊王攘夷』という言葉の意味を正確に掴む事ができません。
また「尊王派」とか「攘夷派」って二つに分かれていますよね?
なのに「尊王攘夷」って…。
言葉がどういう意味なのかがわからないんです。
幕府は何を護るの?将軍?
攘夷志士は幕府と対抗していたということ?
つまり、幕府は将軍支持で攘夷志士は天皇支持ってこと?
新撰組はもともと攘夷賛成でしたよね?
なのになぜ攘夷志士という人達と対立しているの??
(新撰組は元々攘夷ではあるがしかし幕府側。幕府が開国したから攘夷ではあるが攘夷志士と対立するということですか?)
いろいろ調べてはみるもののますます分からなくなるばかり。
もうそろそろちゃんと理解したいです。
バカな私にも分かるように説明してくださいませんか。
教えてください。宜しくお願い致します。
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- 質問日時:
- 2011/3/12 23:16:22
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- 解決日時:
- 2011/3/27 10:28:35
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ベストアンサーに選ばれた回答
尊王とは「天皇を敬う」ということで、当時の殆んどの日本人に共通する基本的な思想であり、近藤を含む佐幕派の者も尊王です。
天皇を頂点とする中で、政治を実施するのが幕府か薩長か公家かということです。
攘夷というのは外国人を排斥する思想で、外国人と仲良くしたいと思っている人はごく少数でした。
外国に対する正しい認識が欠如していたからです。
そんな日本にアメリカが、武力行使も辞さない構えで開国を求めてきました。
幕府は圧倒的な軍事力の差があることを分かっていたので開国します。
また、開国推進派には長期的なビジョンを持った人もいて、まずは外国の進んだ知識や技術を吸収し、その上で対等に渡り合っていこう(富国強兵策)と考えていました。
ところが薩長らは世界の実状を知らなかったので、幕府を弱腰だと非難します。
そして武力によって外国を排除し、鎖国を維持しようと考えていました。
また、幕府が朝廷の許可無しに開国を決めたことに反発しました
しかし、鎖国を決めたのも幕府なので、開国するのも幕府の自由なのです。
その後、薩英戦争や下関戦争での敗北によって、薩長もようやく武力攘夷が不可能であることを知ります。
反幕勢力は尊王を掲げて活動しますが、京都炎上と天皇拉致のテロ計画、禁門の変での御所への攻撃など、尊王とはまるで反対の行動を取ります。
尊王はあくまで名目で、幕府以外に日本を統治する正統性があるのは朝廷だけだったからです。
ここに到って、薩長は倒幕及び自分たちに従わない者の一掃に突き進みます。
近藤の思想は「天皇から委任を受けた幕府が、天皇と国を守り政治を行う」という尊王佐幕です。
そして新選組は尊攘思想の者を弾圧していたのではなく、尊攘を掲げて殺人や恐喝などを為す犯罪者やテロリストの取り締まりを行っていたのです。
- ケータイからの投稿
- 回答日時:2011/3/19 22:51:41
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ベストアンサー以外の回答
(7件中1〜7件)
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s71c183yさん
簡単に言えば、尊王は天皇の尊厳を護ることで、攘夷は異国を撃退するという意味です。尊王攘夷は天皇を中心とし、異国の脅威を打ち払うという運動です。
幕府は徳川家を護りたく、攘夷志士は異国と条約を結んだことに不満を持っていました。新撰組は元々14代将軍の家茂を護るために組織されたので幕府に忠実ですし、異国と条約を結んだことには賛成だったと思います。そこで亀裂が入ったのです。幕府は後手の政策ばかりでこのままでは異国に飲み込まれてしまいます。幕府の中でも攘夷派と開国派など分かれていました。これに脅威を感じた攘夷志士たちは行動を起こしますが逆に異国の力の差にがく然とします。これに気付いたのが薩摩と長州です。それから尊王開国へと手綱を切りました。新撰組はずっと攘夷なので開国派とそりが合うわけがありません。そこでどんどん対立してしまったのです。
- ケータイからの投稿
- 回答日時:2011/3/17 23:04:51
「尊王攘夷」という言葉は、元々中国で生まれた言葉です。
周の時代に王室を守り、異民族を撃退したことを4文字で表しました。
幕末に水戸学などの思想が下級藩士などの間で流行し、その中でこの言葉が使われるようになりました。
ペリー来航後、開国を迫る諸外国を周の時代の異民族の侵略に例えて、挙国一致で諸外国を追い払おうとの思想で使ったのが始まりかと思います。
その後、いろいろな解釈を生み、尊王=天皇を尊ぶ(公武合体)、尊王=幕府を倒す(王政復古)、攘夷=外国を追い払う、
攘夷=幕府を倒す(皇室から見れば幕府も外敵)、などなど自分たちの行動を大義名分化するために勝手な解釈をしていたように思います。「攘夷!攘夷!」と叫んでも、叫んでる人たちの数だけ解釈があると言えます。質問者の方が正確に意味を掴めないと言われていることが正しいのです。
ですので、幕末に起こった様々な出来事の元となった様々な思想の総称を「日本の幕末における尊王攘夷思想」と考えればよいのではないでしょうか。
- 回答日時:2011/3/14 16:15:04
新撰組は過激派浪士による治安の乱れを取り締まる、京都守護職の会津藩の別動体みたいなものです。
彼らとて帝や朝廷を敬い、外国を排斥したいという思想はありますが、新撰組の核だった近藤勇や土方歳三は多摩(徳川の直轄地)の出身ですから徳川への忠誠心は下手な藩より高いんです。
新撰組にすれば攘夷を実行するのは幕府であり、自分達はその時には先駆けたいと思えばこそ、同じ攘夷思想の浪士と戦えたのではないかと。
長州や薩摩は自分達が幕府に代わり実権を握ってさら攘夷を実行したい、つまりは誰が権力を持っているかの違いだけが、彼らを分けたのだと思いますよ。
- ケータイからの投稿
- 回答日時:2011/3/13 22:17:18
また「尊王派」とか「攘夷派」って二つに分かれていますよね?なのに「尊王攘夷」って…。言葉がどういう意味なのかがわからないんです。>
尊王とは天皇を尊ぶことです。攘夷とは外国人、異人を日本から追い出すことです。で、その当時孝明天皇は攘夷派だったのです。そのため、尊王と攘夷が結びつき尊皇攘夷になりました。これが過激になると尊皇攘夷倒幕となります。
新撰組はもともと攘夷賛成でしたよね?
なのになぜ攘夷志士という人達と対立しているの??>
新撰組は攘夷派です。ですが、攘夷派は攘夷派でも尊王攘夷ではなく佐幕攘夷です。一般的に攘夷志士というのは攘夷ができない幕府なんて滅びてしまえ!という倒幕派のことを指します。そのため倒幕派の取り締まりをしていた新選組とは必然的に対立することになります。
- 回答日時:2011/3/13 22:05:51
尊皇攘夷とは申せ当時の人々によって攘夷の思想が違うので、当然活動も変わって来ます。
長州藩など異人達を日本から完全に追い払い、その為には異人達を斬り捨てる事も辞さない(過激派)思想が「大攘夷派」そのため、アメリカと不当な条約を結んだ幕府が許せず、倒幕の道を選びます。
次に勝海舟や坂本龍馬など、勝ち目のない異国との戦争を避けるため、異国の技術を吸収し、いづれ異国と対等な国にしようという富国主義が「中攘夷」です。
新撰組にスポットを当てますと、彼らは先述した、過激な攘夷派が倒幕を目論み京都での不定の行動(テロに近い)を戒めるため、
当時の幕府から京都守護職を賜った会津藩主松平容保が浪士達を募り結成された言わば治安維持隊です。
仕事のなかった浪士達からすれば、同じ攘夷派とは言え、幕府の権勢を脅かす過激な輩を一掃する大義名分を守る為に戦ったと言えます。
補足ですが、一番中途半端だったのは山内容堂を主とした土佐藩で彼は尊皇派についたり、攘夷派についたりで、戦況に応じて思想を変えた「半端攘夷」です。
坂本龍馬を輩出した様な事を述べてますが、彼は脱藩して維新活動したことをお忘れなく!
- ケータイからの投稿
- 回答日時:2011/3/13 05:31:29
rivoisuさん
分かりにくいですよね。私も悩んじゃいます。
1「尊王」 天皇がこの国を統べるべきだ!
2「攘夷」 夷狄(外国人)を追い払え!
ところがこれが「尊皇攘夷」とひとつになっちゃうと、どうも「江戸幕府の終焉と明治政府の成立」
と結びつきにくいのです
土佐も薩摩も長州もその他の藩もというか多くの「維新の志士」達は「尊皇攘夷」と言いながら「徳川幕府」を打ち倒し、「明治維新」を成した。
という大雑把な「明治維新」のイメージが有るのです。
ところが出来上がった「明治政府」はどうも「尊王」でもないし「攘夷」でも無い。
で私の解釈
「攘夷」という思想はあまりにも圧倒的なアメリカ、イギリスの軍事力に圧倒され、「その軍事力を手に入れなければこの国は成り立ちえない」と尊王攘夷の志士が気づいて「攘夷」が変化していった。
新選組はずっと「尊将軍(反尊王)」で「攘夷」に関しては全く関心がなかったと思います
そのように変化していく中でのいろいろな思想のズレみたいなものが「桜田門外の変」や「生麦事件」などが起きた。(細かく言えばいっぱいいろんな事件、事象があります)
細かくは私も説明でj着ないのですが、この時代は多くの偉人が出現しそれらの偉人の思想がはたから見れば変化しているように見えるのです。
>もうそろそろちゃんと理解したいです。
私もそう思いながらいろいろ読みながら勉強しています。
- 回答日時:2011/3/13 00:00:06
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