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解決済みのQ&A

江戸時代 百姓は半分自分で半分年貢 でしたが これはキツイ、重い、苦しい、ひもじ...

bdn3309さん

江戸時代
百姓は半分自分で半分年貢
でしたが
これはキツイ、重い、苦しい、ひもじい。
と先生は言います。
えっ、半分も自分がもらっていいの???
食いきれないよ。太っちゃうよ。十分贅沢じゃん。
って思いますけど・・・。
私の考えのどこがおかしいのか教えてください。

  • 質問日時:
    2005/11/9 13:22:52
  • 解決日時:
    2005/11/15 23:39:44
  • 閲覧数:
    3,795
    回答数:
    10

ベストアンサーに選ばれた回答

biyakusian8972さん

概論で米1石が一人の人間が年間に食べる米の量といわれます。
江戸期の資料が無く江戸期に最も近い明治5年の資料ですが、米生産高は3、155万石です。
人口は3、480万人でした。
ほぼ1石で一人の割合です。江戸期の農家人口は全体の8割として人口は2、784万人です。
米の農家の手元に残る全量は1,577万石でしょう、この米を農家人口で割ると米0,56石が農民一人当たりの米です。
年1石食べるのに現実にはその半分の米しか無く農民は空き地や庭先で雑穀を作り、ひえ・あわ・サツマイモ・栗などを食して生活します。
(米を「銀シャリ」と言って、祝日しか食べられなかったのは戦前まで続きました)
武士・町民・僧侶・神官・医師などの700万人の階層に、1,570石からの米が行き渡るのに、農民は約四分の一の米しか得られなかった。
また富裕層の農家には多くの米が残り、耕作土地を持たない水呑み百姓は、さらに悲惨であったと思います。

ベストアンサー以外の回答

(9件中1〜5件)

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kanariakajinさん

一般に江戸時代の農民は年貢が高くて悲惨な生活を送っていたと思われがちですが決してそうではありません。あれは水戸のご老公の世界です。
江戸幕府の年貢収入は綱吉の頃から三公七民さえ下回っているのです。
江戸時代は制度上は田地では年貢米と来年の種籾(たねもみ)を、畑地では農民の食料を生産していました。この畑地での生産の種類が増し、大麦・小麦・粟・大豆・野菜以外に小豆・綿・麻・藍・茶・桑・漆・菜種・煙草・紅花などが作られるようになり貧農というイメージが払拭されていったのです。
百姓切捨て御免などはあり得ぬことで、武士に対しては農民を理由なく殺すことを禁じているし、「百姓は生かさぬよう、殺さぬよう」も同様でありました。

kyojin00kyojinさん

全部自分で消費するわけではありません。
それを売って他の生活必需品を手に入れます。
今の農家の人も全部自分で食べるわけではないのと同じです。
そうすると、収入の半分ももっていかれるというのは、かなりの高税率です。
ただし、実際には取れた米を全量計量して半分を持っていったわけではなく、
土地の広さなどを基準にして徴収していました。
江戸中期以降は実際の生産量があがったことや、米以外の作物が発達したことなどで、
実際の税率はもっと低かったようです。

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  • 編集日時:2005/11/10 16:29:15
  • 回答日時:2005/11/10 16:28:05

sayama7ageさん

江戸時代の百姓といっても、上は庄屋から下は小作人まで階層がありました。

本来百姓は全員自前の田畑を持っていましたが、事情があって田畑を手放し、小作人になってしまう百姓がでてきました。これらの小作人が水呑み百姓といってひもじい生活をしていましたが、自前の田畑を持っている百姓は下っ端の武士より良い生活をしていたようです。

ある研究では、江戸中期の百姓の平均的な年収は47両にもなったそうです。武士の最下層がサンピン侍といって年収三両一分です。47両は江戸中期で米120石程度になり、下級旗本ぐらいの収入がありました。家臣を抱えることのない百姓には十分な年収だと思われます。

度々「百姓は贅沢するな」、「茶は飲んではいけない」、「麻や木綿の着物しか認めない」といったお触れが出ています。虐げられているとも考えられますが、逆に考えると、絹の着物を着て、茶を飲み、贅沢する百姓が沢山いたということでしょう。

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  • 編集日時:2005/11/10 17:14:30
  • 回答日時:2005/11/9 21:58:53

amanoamiitoさん

現代日本の行政の年間総支出額は約300兆円。GDPは約500兆円です。
これは国民全員(国全体)の収入の6割が、一旦行政の懐に入っていることを意味します。

つまり現代日本人は江戸時代の農民以上の6割も取られているのです。

取られっぱなしではなく、国の事業を民間が請け負えば、その分は還流されます。健康保険も病気になって病院にいけば還元されます。
それは江戸時代も同じです。農民より人口が圧倒的に少ない役人こそ全体の半分の米を食べきれるはずがありませんから、それを換金して公共事業などの費用に充てていたわけです。そして農閑期の農民がその労働を請け負っていましたから、年貢の一部はやはり現代と同様に還元されていたのです。

それは別にして、先生に自分がいくら税金や保険金を納めているか聞いてみてください。
天引き分以外に、消費税など各種税金、各種公共料金を加えたら、自分も江戸時代の農民とあまり変わらないことに驚くでしょう。

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  • 編集日時:2005/11/9 15:31:45
  • 回答日時:2005/11/9 15:28:46

mymrtksさん

今とその頃では農業技術が違います。たとえば米。今の半分も取れなかったでしょう。トラクターもありません。コンバインもありません。化学肥料だってありませんでした。寒さに弱い、雨に弱い。
また、年貢として半分もっていかれた後、残りの作物がすべて食べる分ではないのです。いくらかはそのまま、あるいはお金に換えて蓄えておかなければいけません。次の年にまたちゃんと収穫できるとは限らないのですから。
凶作が2年続けばもう地獄でしょう。地主によっては年貢は例年の五割分、自動的に持っていかれるので、例年の半年しか収穫できなければ、ありったけ持っていかれちゃいます。さらに少なければ、残った財産は子供…です。容赦なく売ります。
まあそんな感じです。少なくとも私は絶対いやです。

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