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戦前、日本は満州台湾などから食料を輸入していたのですか?

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質問者

rittle8さん

2013/9/423:08:50

戦前、日本は満州台湾などから食料を輸入していたのですか?

主にコメですが、日本は輸入に頼っていたのですか。
コメに限れば、今よりも状況は悪かったのですか(自給できていなかった。)
満州や台湾、その他タイとかそういうところから輸入していたのですか?
その輸送が止まって、食糧難になったのですか?
戦後に関して言えば、外国から日本に引き上げてきた人がいますので、その分で更に食糧事情は悪化したのでしょうか?

補足高値を狙って、出し渋っていたのですね。
政府が強権発動できなかった?しなかったのですね。

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ベストアンサーに選ばれた回答

momonnga2114さん

2013/9/503:18:12

1939年に政府が米を管理するようになり、中国からの米は精白米を輸入し
日本の米と混ぜて売るように指示しました。
米を炊くと聞く筈ですか、インディカ米は煮る物であり一般庶民が口にする事は無いです
当時の政府が白米を7分粥(かゆ)で、食するように通達があり
「煮る」と思う方が多いようです。
食糧難は都心部に多く見られましたが、過疎地や農村地では食うに困る生活は
していませんでした。
空襲で米蔵が焼け、備蓄米も被害を受けたからです。
そもそも日本が戦争を起こしたのは、石油や鉱物資源が手に入らなくなり
戦争する前から、市内を走るバスすら薪ストーブを後ろに積んで
蒸気で走らせたり、鉄くずが無い為民家の鍋の果てまで集めていました。
農地で米を作って汽車で運びますが、空襲で線路は遮断され
輸送もままならない状況で、輸送船も日本近海に敵潜水艦が貼り付いて
出向すら出来ない状態でした。
戦後、旧日本領からの引き揚げ者数およそ660万人とされ
引き揚げ船での移動は一回に2万5千人程度が限界で
仕方なく現地に子供を預けた親や、港に着くまでに離れた子供が
残留孤児と称されていきました
引き揚げは何年にも続き、人口増加に寄る食糧難とはあまり関係ないです。
やはり兵隊で出兵した男性が多く、生産力の低下があらわれた結果です。
戦時中は、馬や牛をトラクター代わりに使っていたが馬は軍馬、
牛は食糧にとられ、生産力はさらに落ち込んで行きました。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

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