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日本にはなぜ盾はないのでしょうか?世界中、どこでも剣と盾がセットになっている...

seseragi_no3さん

2008/1/2718:26:25

日本にはなぜ盾はないのでしょうか?世界中、どこでも剣と盾がセットになっているように思えますが、日本には盾という防具はありませんよね?ご存知の方、是非教えてください。

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ljgd0987さん

2008/1/2816:30:37

置き盾なら日本でも広く用いられていました
手盾も飛鳥時代以前までは使われていたようです
質問文からすると当然手盾のことを仰っていると思いますが念のため確認しておきます

盾が無いことの「わかりやすい一番の理由」はありません
いくつかの理由が混在して手盾が淘汰されていきました
主要な理由をピックアップしましょう

【鎌倉時代以降、武士は長弓による射撃戦闘をメインにしていった】
弓は当然両手で扱います
そこで馬上の白兵戦では太刀のみを用いるようになりました
白兵戦では槍を使うはずだとおっしゃる方もいますが鎌倉時代、槍はありません
盾と同様、飛鳥時代までに廃れてしまっています
日本で槍が復活するのは室町時代以降のことになります
また薙刀は鎌倉時代も盛んに使われていましたが、主に歩兵の武器でした
騎乗する位の高い武士は弓を持つなら太刀を選択するしかありませんでした
最初から白兵のみの戦いを想定して薙刀を選択するものは全体からみればわずかでした
ならば弓を扱わなくなった戦国時代には盾が復活してもよさそうなものですが、まさに戦国時代には
槍が登場していましたのでこれまた両手で扱う武器の為、盾はもてませんでした

【「置き盾」をもって移動する専門の兵士がいた】
春日権現霊験記には背中に置き盾を背負った専門の雑兵が文字通り武士たちの盾になっている様子が描かれています。
彼らは一列に並び弓で攻撃する武士群にぴったりとくっついて彼らをガードしています。

【鎧に取り付けられた大袖を盾として使用した】
太平記には複数人の武士が密集しこの大袖を使って敵の攻撃を受け流しながら
間合いを詰めていく描写があります。
また大鎧などは弓を引き絞ったときは左の袖がちょうど上半身全体を覆うように計算されています。

【少なくとも日本が遭遇した範囲の手盾は非常に脆いものだった】
日本人同士ではありませんが鎌倉時代や戦国時代、日本は
朝鮮や明と正規不正規問わず戦をしたことがありますが、ここで盾とも戦っています。
たとえば倭寇と彼らに呼ばれた武装交易商人や豪族達はほとんどのものが日本刀を用いて戦っていたようですが、
盾と剣を持って戦う大陸の兵を圧倒していたと当の中国側の多数の文献に記されています。
こういった戦果から考えれば日本の武士が「なんだやっぱり手盾は使い物にならんな」と
判断しても不思議は無いといえます。

【鎧を着ている以上盾は必要なかった】
日本では非常に古くから全身鎧が用いられるようになりました。
大鎧(大鎧は板金に漆を塗った積層装甲である小冊を重層構造にしたもので一種のチョバムアーマーでした)
が用いられていた当初、例えばヨーロッパはまだ板金鎧を実用化出来ていません。
ちなみに当時の彼らが着ていたのは柔らかい鉄を延ばした針金で作った鎖帷子でした。
日本の鎖帷子の鎖は一個一個叩きだされた頑丈なものですが、彼らのそれはただ鉄を引き伸ばして作るため、
余り頑丈ではありませんでした。もちろん非常に高価なものは後から焼入れしたものもあったようですが一般的ではありません。
質問者様は「世界中、どこでも剣と盾がセットになっているように思えますが」
と、おっしゃっていますが実は鎧が発達すると盾は持たなくなるという現象は世界中でよくあることなのです。
ヨーロッパでも鎧が仰々しいものになると実際命がけの白兵戦では盾は使われなくなります。
馬上やり試合のようなセレモニーは別にして、戦場においては家柄と身分を誇示するための名札のようなものになっていきました。
【武器の扱いに長けることで盾の機能を補った】
西洋にも武器術というものは当然ありますが、日本は異様なほど武器の使用技術の昇華にこだわりました。
皆さん当たり前のように日本対世界とか日本対西洋といいますが、
これは日本一国のなかだけの戦闘技術と西洋全土を比較することに何の違和感も感じてないということです。
普通ならば日本対イギリスなどのように一国同士で比較するはずですがこれでは比較にもならないと皆わかっているからです。
さて本題に戻しますと
例えば現存する主要な兵法(剣術)では武器を防具としても兼用するための様々な工夫が伝わっています。
日本刀では鎬と呼ばれるものを使った受け流しというものに非常に深く広範囲な技術を伝えています。
槍においても巻き技や突き返しなど大半の武器においてはむしろ「どんどん攻撃してくれ。いくらでも返し技につなげて見せよう」
といわんばかりのものになっています。

補足事項
盾との関連は薄いが無関係でもない事項について
【外国人と日本人の体格差について】
ここではヨーロッパとの比較についてですが
結論から言いますと戦国以前の日本人と当時同時代のヨーロッパ人とでは

体格差はありません。

ヨーロッパでは19世紀以前はゲルマンなど一部の地域を除き160センチあれば大男でした。
一方日本では東国部者などは170センチ台がごろごろいました。

ベストアンサー以外の回答

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gemba_kunさん

2008/1/3004:32:25

平安時代の中期に、日本刀が出現したのに伴い刀術が発展し、室町時代にはそれが剣術となります。
楯というのは、刀で突くという攻撃しかないですが、両手で刀を持つことによって、楯が必要なくなったのだと思います。

kiha120mineさん

2008/1/2921:44:27

日本刀は攻めも守りも出来る万能な武器だからです。

maruitamago3さん

2008/1/2900:18:27

盾ありますよ
海上自衛隊に配備されているイージスシステムを搭載した護衛艦いわゆるイージス艦が日本の盾です
イージス艦は艦隊防空から弾道ミサイルの迎撃まで様々な防衛が可能で鉄壁の守りを誇ります
と言っても潜水艦相手には少々弱いですが他の艦が弱点を担うので・・・・・


ちなみに古来より日本で盾と言う防具が無いのは刀が片手では扱いにくく実戦に不向きだからだと考察します

2008/1/2816:37:55

異端の歴史家、八切止夫によれば、日本の中の身分の低いものは、二刀流であったという。古い倭寇の絵から読み解いている。

左右両手に刀を持って、一方を攻撃に使い、他方をまたは両方を防御に使うのである。

scull4999さん

編集あり2008/1/3103:04:09

元を辿っていけば「日本と言う土地のせい」です。

世界中どこでも「馬」を使った戦闘は発達しました。それは日本でも同じです。ですが日本では「地形が騎馬戦向きではなかった」のです。

ヨーロッパでは騎馬を効果的に運用できる地形がありました。広い土地です。広い土地があると、騎士は騎馬によって移動し、戦闘に於いても騎馬の突撃力を利用した戦術がとれます。それが騎士が槍を構えて突撃する「ランスチャージ(騎槍突撃)」です。ランスは主に馬の突撃を利用しますから、保持にあたっては細かく操作する必要はありません。フックに引っ掛けて保持し、攻撃の瞬間だけ突ければいい。ですから、片手で十分操作可能なんですね。であれば、空いた左手は防御に使うのがいい。そこで歩兵同様に楯を持って防御しました。

日本では騎馬が効果的に運用できませんでした。馬体が小さい事もそうですが、狭隘な地形が多く、騎馬で十分突撃できなかったのです。その為に発達したのが「騎射」です。
※洋の東西を問わず、騎乗しての剣劇は戦闘の主力ではありませんでした。なんと言っても乱戦では討ち取られ易かったからです。
騎射を行う為には両手が必要です(左手を「弓手(ゆんで)」と言います。反対に右手は日本では「馬手」と言います)。その為に騎馬武者は楯を徒(かち)に任せ、自らは楯を持たずに戦闘しました。ただし、楯のように使える防具として鎧に「袖」をつけました。両肩からぶら下がる、大きな板状の防具です。これが騎馬武者にとって「外国での楯に相当する防具」なのです。
徒に持たせた楯は、その後「垣楯」等になり、地面に置いた状態で使用されるようになります。楯と言うよりも「バリケード」の様な装備になります。この頃(戦国時代)には、騎馬武者の戦は騎射ではなくなっていましたが、それまでに「楯を持たない戦闘」が十分発達していたので馬上で槍を揮うようになっても武士は楯を持とうとはしませんでした。何よりも「日本の槍は突くだけではなくなっていた」ので。

その頃ヨーロッパでは楯はまた別の進化をしていました。身体を守る防具から、戦場での戦果を確かな物にする「個人証明」の役割です(日本では馬印がその役をしました)。家系や個人を表すマークを書き込み、一定のルールの元で管理されたのです。武勲を挙げればそれはまた楯紋に書き加えられ、「楯はステータスになっていった」のです。
西洋では楯に比べて剣のステータスはやや低いと言えます。一つには主武器ではなかった事(洋の東西を問わず、戦での主役は槍です)。鉄砲の登場で、早々と騎士が戦場から消えていった事によります。

●「刀が両手で扱う物だったから楯が発達しなかったと言う勘違い」をされている方が多い様なので指摘させていただきます。日本では多くの騎馬武者は「片手で太刀を扱った」のです。なぜか?左手は「馬の手綱を取っていた」から。上記で「馬手は右手」と書いてありますが、太刀をとるのは矢が尽きてからなので、このときは左手で手綱を取ったのです。当然、太刀や打ち刀は「片手で扱うように作られて」い、諸手で刀を扱うのは「落馬した後の話」です。
江戸時代に入ってからは、武士の多くが騎乗しなくなった為に「両手で扱う刀が登場した」のですが、この時代は既に武士が戦場に出る事はなくなっていたので「刀を両手で扱うか否かは楯の発達とは無関係」です。
何よりも「楯の発達したヨーロッパには両手でしか扱えない剣(ツヴァイハンダーや、クレイモア、ツーハンドソード等)」が存在するのですから!

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