解決済みの質問
沖縄の集団自決について
沖縄の集団自決について
沖縄の集団自決で、「軍の関与があった」「なかった」で話し合いが進められていますが・・・
みなさんはどのように考えられていますか???
私の考えは・・・
決戦があった沖縄は米兵に地形が変わる程の爆撃を受け・・・
日本人が隠れている洞窟を火炎放射器で焼き尽くしたりしていました。。。(NHKの記録映画で見ました。)
「世界戦争犯罪事典」に沖縄戦における米軍のレイプという項目もある。。。
これらの事から・・・
軍の関与は少しばかりはあったとは思いますが、この状況下において、
自ら命をたとうとした人が多くいたのではないか?と思います。。。
偏った意見が出ない為に
ベストアンサーは投票で決めさせて頂きます。。。
- 補足
- 皆様、ご回答頂きありがとうございました。
ベストアンサーは投票で決めさせて頂きますね。
本心としては、荒れることなく丁寧にお答えいただいた皆様ひとりひとりにチップをお渡ししたいのですが。
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- 質問日時:
- 2008/3/10 02:10:45
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- 解決日時:
- 2008/3/24 04:49:46
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- 回答数:
- 8
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ベストアンサーに選ばれた回答
伊平屋島では、日本軍がいると思った米軍の激しい攻撃で住民に死傷者が出ましたが、集団自決はなく住民はすすんで投降しました。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/79-04-3...
動画-偵察では念のために爆薬で洞窟を封印しました。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/streaming/227_33.html
藪地島の子供たちは、上陸したアメリカ人を鬼畜と思わず恐れていません。 本土でも同様でした。 今も昔も子供たちはテストに出ないことまで覚えていません。 「鬼畜米英と恐怖心を刻み付けたのは教育で軍ではない」は、事実と異なります。
沖縄戦での日本軍部隊は、かつての南京攻略部隊でした。
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap00/sec00/cont00/docu010.htm
自らが民間人に行なったことを米軍がすると住民に思い込ませていました。その結果は『もう死んだ方がまし、アメリカー(米兵)にやられたら、強かんされるか、耳、鼻、みんな切られてしまうから、自分で『自決』した方がいい』となりました。
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/okinawa/war/war2/war2f.html
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/79-09-2...
個人の犯罪以外の組織的な強姦はされませんでした。
ほとんどの壕で、民間人になりすました日本軍の工作員や軍人よる拘束、自決誘導がされました。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper83.htm
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/78-27-4...
捕虜になるのは軍人で民間人は「難民」として収容されるのですが、日本軍は民間人に捕虜になるのを禁止していました。 米軍は軍人軍属と民間人を分けて収容しました。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper82.htm
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/76-33-3...
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/78-24-2...
沖縄戦においては、法が無視される形で、幼女と老婆を除いて保護者に強制的に同意させて、少年や高齢者もみな、鉄血勤皇隊、護郷隊、義勇隊、特志看護隊、救護隊など軍属として根こそぎ動員されました。 拒否するものは「非国民」、「スパイ」や「精神異常者」としてしばしば処刑されました。
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap01/sec00/cont00/docu018.htm
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/13-06-2...
動員されると軍属となり、少年でも「生きて虜囚の辱めを受けず」として捕虜になる前に自決することを強制されました。 沖縄戦で自らの意思で命を絶とうとした人はほとんどいませんでした。
一部の米兵は日本人は初めてだったので、この写真のように強制動員された少年を日本兵と誤解し、戦場で報復攻撃対象にしてしまいました。
昭和19年の牛島司令官の7項目の訓示の7番目は「厳ニ防諜ニ注意スヘシ」でした。住民は日本軍のすぐ近くにいた存在でしたから、一人も米軍に投降させてはならないということになり、負け戦で唯一の生き延びる道だった投降を阻止され死を強制されました。(軍命による強制死)
日本軍では上官の命令は天皇陛下の命令とされ、異議を唱えたりすることも不可能でした。 住民に親しまれた少数の「兵隊さん」も、戦闘開始後の上官の指揮監督下では「鬼」に変わりました。
日本軍は居場所などの秘密保持のため、投降する住民や米軍の保護下に入った村を襲撃したりしました。米軍は避難民を戦車で護衛しました。
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/HTML/USA/U06/81-27-4...
http://www.archives.pref.okinawa.jp/hpdata/DPA/image/USA/78-17-1.jp...
(以下は動画。「家屋炎上」、「住民の死体」はカットなのか再生されません。)
http://www.archives.pref.okinawa.jp/streaming/227_14.html
忍び込んできた日本軍が家族同士殺しあうことを強要したりしました。
住民だけでなく牛島司令官も「死に急ぐな」と命令されていました。首里撤退のとき八原高級参謀に語った内容です。
「余が命を受けて、東京を出発するに当たり陸軍大臣、参謀総長は軽々に玉砕してはならぬと申された。軍の主戦力は消耗してしまったが、なお残存する兵力と足腰の立つ島民とをもって、最後の一人まで、そして沖縄の島の南の涯、尺寸の土地の存する限り戦い続ける覚悟である」
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/chap01/sec00/cont00/docu020.htm
日本軍の「軍官民共生共死」方針とは、軍官民、すなわち沖縄にいる全ての人は、日本軍と共にできるだけ生きて戦ってから、投降は拒否して自決しなければならないという意味でした。
玉砕命令の文書はありえますが、作戦に関係のない自決命令の文書など存在しえません。
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- 編集日時:2008/3/16 20:49:11
- 回答日時:2008/3/16 20:21:18
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検定で日本軍の「直接関与」はないとされた、チビチリガマの集団自決の生存者の証言です。
この壕には、南京攻略のときの中国人民間人の惨状ばかり熱心に語る一方で、焼死や窒息死についてサイパンでの事例を挙げ着物や毛布などに火を付けた「南洋帰り」の人がいました。 退役軍人ではなく日本軍の秘密工作員だったという説があります。 また、あらかじめ毒薬の注射液を相当量持っていた看護婦もいました。
証言(引用)
http://www.yomitan.jp/sonsi/vol05a/index.htm
「四月一日にね、米軍が上陸したわけですよ。それで、朝の九時ごろだったかな、ガマの中にいた三人が竹槍を持って外の米兵に向かって行ったんですよ「ヤーッ」って言ってね。この三人は男の人が二人で彼らは兄弟、そして女の人が一人、この女の人は看護婦で飛び出した人のどちらかの娘にあたっていたようです。彼らが外に出た時には、ガマの外はアメリカ兵でいっぱいなんですよ」「この人たちはアメリカ兵に手榴弾を投げられて、そのうち二人が死んだようです。それでみんなワーワー大騒ぎになったわけです。」
「朝の八時半頃、壕の中に南洋帰りの人がいたんだけど、その人が壕の中で火を燃やしたら煙りで窒息できるから、そうしようと言った。」
「ジラーナーカのオバアーという人とね、フシミーウージャといったか、ある一人のおばさんがね、二人で火、消したんです。「待て!」って言って。あのままつけていたら、みんな死にましたよ。それから翌、四月二日。半ズボンを着た白人がね、ガマの中に入って来たんですよ。武器を持たないで、本グヮー持ってね。その本には、片一方日本語、片一方英語で「日本は戦争負けました」とか「殺しませんから、出なさい」とか書かれていました。入ってきた白人がその本をみんなに見せたんですよね。前日には斬り込みに出たようなガマなのにね、そんな殺気立ったところに入ってくるなんて普通の人じゃできないですよ。自殺をしようか、子どもも自分の手で殺そうかと、そういうところにですよ。敵がですよ、武器も持たないで入ってくるというのはね。その時に私、ああ、これは牧師じゃなかろうかと思ったんです。 しかし、この白人が持ってきた本を「ンジュナヨー」って、これ「見たらいかんよー」と、ボスみたいな役割の人が言うんです。「誰も見るな」とみんなのところをぐるりと回って、私の前にまで見回りと言うんですかね、来たんですよ。
それでもう「トーナー、チャーンナランサ」って言ってね。もう、これは終わりだと。」
「そういう中で、「火を燃やしたら窒息できる」と前に言っていた南洋帰りの人が、入口から一五メートルぐらい奥に入った所で、布団を山積みにして火を付けた。私たちはかなり奥に居たから前方から煙がどんどん流れてきた。また、すぐ近くでは看護婦だった人が「注射しても死ねるから」と、親戚に注射をドンナイしていた。注射を待つ人が長い列になってさー。注射した後で水を飲んだらポックリ死ねるから、とそういう話がまわってきていた。この看護婦のおばさんにあたる人が、一番に注射を打たれた。このおばさんは水飲んだらころっと死んで、「あらあんなにも早く死なれる人もいるね、羨ましいね」って思ったよ。」
「その時うちの母が「出よう」と言ったんです。「とにかく外にでよう。あんなに苦しい思いで死んだらいかん」と。それで私たちの家族が、一番最初に出ました。おじいさんはもう、中に置いて出ました。母が私たちを連れてガマを出たのには理由があった。実は出征していた父が「この戦は負けるから、私も、隙があったら逃げてくるからね。子供達を、一分でもいいから、長く生かしておいてくれよ」と母に言いつけてあったらしい。それで、もうみんなで死のうという時に母が父の言葉を思い出したというのだ。 ガマの外に出たらね、もう、アメリカ兵の歓迎ですよ。「ああ、いらっしゃい」ってなものですよね。現在の、チビチリガマへおりる階段があるでしょう、そこらへんに兵隊がいっぱいいましたよ」
「私が一番最後に外に出た。もう私の後ろから誰も来ない。 十一時ぐらいに壕を出たんだと思うけどね、その後、チョコレートやらチーズなんかをもらって、水も飲んで、腹ごしらえしてから、夕方に戦車に乗るように言われて、暗くもなるしみんな乗った。だけど浜に向かって走るから「もう海に連れて行って捨てる、海に投げ捨てるんだなぁ」とみんな心配したさー。でもそうじゃない、都屋に収容所が在ったわけさ。そこは人がいっぱいしていたよ。」
「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」と命名されたそのモニュメントは87年11月右翼によって破壊され、犠牲者たちにふたたび死ねと言うようなものだとの抗議の声があがった。8年後の95年3月修復。
沖縄戦の日本軍秘密工作員の存在確認例
http://kyoto-getto.hp.infoseek.co.jp/okinawa/war/war2/war2j.html
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- 編集日時:2008/3/16 06:06:37
- 回答日時:2008/3/15 13:53:32
『日本軍による強制があった』というのが戦後を通じて歴史学研究における通説です。今行われている裁判は、『日本軍による強制があった・あまつさえ日本軍による住民虐殺さえあった』という事実を糊塗したい連中が、戦後60年以上たって、いまさら蒸し返えして始めた茶番に過ぎません。はてなキーワード<集団自決>に詳しく説明されているので、引用しておきます。
==========以下引用=========
<日本軍の強制であるのかについて>
自決とは元来軍人が自ら責任をとって死ぬことであり、沖縄戦でいう「集団自決」では自分で判断できようもない14歳以下の子どもも多く死んでいる(注1)。当時、住民は米軍に捕まればむごたらしく殺されると、日本軍から教え込まれたが、実際に捕まった時にはまったくそのような事はなく、日本軍(友軍と呼んだ)に騙された、日本軍に死に追い込まれた、という認識がすぐに広まった。また玉砕せよと訓話をし、手榴弾を渡した当の日本軍指揮官が、実際には投降したことも、大きな怒りと認識の転換をもたらした(注2)。こうした事から戦後早くに編集された聞き取り記録(1950年「鉄の暴風」)でも、日本軍に命令されたという書き方になっており、その後も体験者の認識はそうした点で一致している。
戦後この点に関する専門家の研究では、(1)皇民化教育により住民が死ぬことに抵抗がなかった全体的な状況がまず重視された、しかしその後研究が進み(2)住民全員を死ぬまで戦闘に協力させる沖縄軍全体の方針(「軍官民共生共死の一体化」という言葉で表現されている)があり、日本軍が最後の瞬間まで住民を利用する方針だったこと、(3)米軍が迫ったら「死になさい」という具体的・直接的な日本軍による訓示が広く行われ、米軍に捕まれば女は陵辱された上で殺され、男は目や鼻を削ぐなど凄惨なやり方で全員殺されるというデマの教え込みがあったこと、(4)実際に米軍が上陸した時には日本軍管理下の手榴弾の手渡しなどを行っていること、などから段階的・具体的に軍による強制がなければおきなかった事態と考えられている。
また軍による強制であることは、軍が同居していない場合は住民は死んでいないケースとの比較などからも具体的に指摘されている。石原昌家氏や林博史氏などが指摘するのは、本島の「チビチリガマ」では退役軍人(在郷軍人とよばれる高齢の軍隊経験者)と従軍看護婦経験者の先導で集団自決が行われ、逆にすぐ近くの「シムクガマ」では英語のできる住民の先導により集団自決は起こらなかったことからよく理解できると解説している。
文科省は、2006年の教科書検定において、教科書の沖縄戦の集団自決に関して「日本軍に強いられた」という趣旨を書いた教科書7点すべてを「誤った理解をする恐れがある」として修正意見をつけ、各社は「集団自決に追い込まれた」などと軍の強制を削除した。(沖縄タイムス2007年3月31日(土) 朝刊 27面 ほか)文科省は判断基準を変えた理由を(1)慶良間諸島で自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が05年、名誉棄損を訴えて訴訟を起こしている(2)近年の研究では、強制はなかったというのが主流である――などの状況からと説明している。
それに対し沖縄戦の専門家らは、(1)係争中の裁判での片方の主張のみを教科書の記述の参考にするのは間違っている(2)軍の強制を否定する学説はない、とその姿勢を厳しく批判している。、特に軍の強制を否定する学説については、研究者である林博史氏が「ない」と述べている。
またこうした「集団自決」という事件が沖縄戦における日本軍による住民殺害の一つの現れであり、久米島での虐殺事件などで知られている、スパイ容疑で住民を軍がなんの裁判もなく殺す、いわゆる沖縄戦での住民虐殺と同じ原因だと考えられている。
注記1 略
注記2
慶良間島では、米軍に捕まったら死になさいと訓示した梅沢隊長は、住民が集団自決した後1ヶ月以上も、その任務である特攻をすることもなく自陣に籠もり続け、ついに自決することもなく米軍に投降した。あまつさえ食料事情のよくない中、太った「慰安婦」を連れて投降した。かつて友軍と呼び自分たちを守ってくれると思っていた住民はその姿に石を投げつけた。つまり1945年8月の段階で住民には、本来玉砕する必要はなかったし、日本軍が嘘を教え裏切ったことは明らかだった。米軍が壕を包囲した時、それ以前に保護された住民が自決せず投降するよう呼びかける事が多く行われたが、日本軍はそれを「スパイだ」として殺害した。集団自決がおきる上で、日本軍による嘘の情報と、投降しようとすれば逆に日本軍に殺されかねないという状況があり、住民にとって体験的に日本軍により追い込まれたものであることははっきりしていた。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%bd%b8%c3%c4%bc%ab%b7%e8
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- 回答日時:2008/3/13 16:12:02
沖縄戦で犠牲となった民間人の全員が日本軍の関与で死に至ったわけではないことは自明。
集団自決に軍の関与があったと主張している方も、1人残らず軍の関与で自決したといっているわけではない。
一部の、右右の論客は、それを無視して、軍の関与なく自決した住民がいたことを根拠に、軍の関与を全て
否定する論文を書いておられる。まさに、内容が破綻している。
極限状態の中、また一般住民がうけていた教育(鬼畜米英に対する恐怖心と絶望感)の中、自ら死を選んだ
住民もいただろう。しかし、日本軍に壕を追い出されたり、沖縄の方言を使ったという理由でスパイ容疑をかけられ
無為に殺害された沖縄住民が存在したことを、消し去ることはできない。
「自虐的」という理由で、本当にあった出来事を、なかったと主張するほど、「自虐的な行為」はないということに
気がつかないのだろうか?
軍の関与があった集団自決もあれば、それがなかった自決もあったのだろう。
いずれにしても、沖縄本島では米軍の上陸後、小隊レベルでは指揮命令系統がグチャグチャに
なってしまっているので、部隊によって対応は異なったに違いない。
ようは、この問題は、どの程度の数の住民が軍の関与で自決に及んだのかという数字の論争ではなく
「数字とは関係なく、軍の関与によって自決に至った住民がいた」という事実を、認めないという
論客がいることによって、議論が停滞してしまった。
例えば死者1万人とされているが、実際には3000人だとする。
否定派が、実際には3000人程度だったので1万人は過大だと訂正を求める根拠のある主張すれば、
多くの者はは納得するのに「肯定派が出してきた1万人という数字は根拠がない・・
だから、犠牲者はほとんどいない」などという、ぶっ飛んだ主張をするから
わけがわからなくなっている。
追記すれば、「軍命」も「個人の軍人が行った命令や誘導」も、住民にとっては区別がつかない。
軍人が出した命令や誘導は、民間人にとっては、それが公式の命令であるかどうかは関係ない。
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- 編集日時:2008/3/11 19:55:54
- 回答日時:2008/3/11 19:39:11
chanke66さん
沖縄ではないが、防衛研究所の太平洋戦争資料に、(数年前コピーを防衛研究所より入手)
「在島邦人一万五千名中16歳ヨリ45歳ノモノ全員三千五百名義勇隊ニ編成シ軍ニ全幅協力中残余ハ老幼婦女子ニテ・・
義勇隊ハ・・・皇国人トシテノ伝統ヲ遺憾ナク発揮シアリ・・・老幼婦女子ハ集結ノ上爆薬ニヨリ処決ス・・・」
昭和19年7月28日テニヤン陸海軍最高指揮官が陸海軍両大臣と大東亜大臣宛てに出した公式電報の一部分。
軍の関与は明らかだと思う。
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- 編集日時:2008/3/10 13:45:54
- 回答日時:2008/3/10 09:30:05
軍命令の文書は存在しない。
ただし、元沖縄知事の太田昌秀の『沖縄戦』(岩波新書)を推す。
この中には、怒り狂ったアメリカ軍が13歳以上の沖縄県民男子を不法にも虐殺する様子が書かれている。
だから、捕虜にもなれないのなら『自決』となったのであろう。
なお、裁判では、
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判 - Wikipedia
大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判 (おおえけんざぶろういわなみしょてんおきなわせんさいばん)別名:「集団自決」訴訟、沖縄戦「集団自決」裁判、大江氏賠償訴訟、または沖縄集団自決冤罪訴訟は、 大江健三郎 、 岩波書店 を元沖縄戦指揮官および遺族が ...
ja.wikipedia.org/wiki/大江健三郎・岩波書店沖縄...
shupla.w-jp.net/datas/Tokashiki.html
9月1日に大阪地方裁判所大法廷において 沖縄集団自決冤罪訴訟第5回口頭弁論が開かれた。原告側と被告側(岩波書店・大江健三郎氏)の双方の支援者や、この裁判に関心を持つ傍聴希望者が、80席の傍聴券を求め、開廷30分以上前に裁判所北側に150名を越える列を作った。
昭和20年の沖縄戦のさなかで起きた沖縄・座間味島と渡嘉敷島での住民の集団自決について、自決を命令したとする書物の誤った記述で名誉を傷つけられたとして、旧日本軍の梅沢裕・元少佐(89)と、故赤松嘉次・元大尉の弟、赤松秀一さん(73)が、岩波書店(東京)とノーベル賞作家の大江健三郎氏を相手取り、計2000万円の損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求めている訴訟だ。
対象の書物は、岩波書店が発行した大江健三郎氏の『沖縄ノート』、故家永三郎氏の『太平洋戦争』、故中野好夫氏らの『沖縄問題二十年』の3作品。
原告の梅沢元少佐は、沖縄戦当時、座間味島の守備隊長、赤松元大尉は渡嘉敷島の守備隊長を務めていた。両島の集団自決は、米軍の攻撃に伴い、20年3月25日から28日にかけて起きた。
訴状では『沖縄ノート』と『太平洋戦争』は名指しもしくは個人が特定できるような形で、座間味島の集団自決が梅沢元少佐の命令によるものだった、とし『沖縄ノート』と『沖縄問題二十年』は渡嘉敷島の集団自決が赤松元大尉の命令によるものだったとそれぞれ記載されている。
集団自決を「軍の命令」によるものと決めつけたのは昭和25年に沖縄タイムス社から出版された『鉄の暴風』という書籍である。その後、なんの具体的検証をされないまま「軍命令による集団自決」が一人歩きを始める。これに初めて疑問を呈したのが昭和48年5月に出版された曾野綾子氏の『ある神話の背景』だ。同書では曾野氏が渡嘉敷島の住民や元部隊関係者に聞き取り調査を行い、徹底的に検証された。
最近になって元琉球政府職員の照屋昇雄さん(82)が「赤松さんは、自ら十字架を背負ってくれた」と証言した。それによると敗戦後、疲弊していた渡嘉敷島の島民達に、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の適用を受け、遺族年金や弔慰金を国から支給されるためには準軍属扱いにならないと無理であると旧厚生省援護課の職員から言われ、故赤松元大尉に頼み、了解してもらった経緯が明らかになった。
www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000000666
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- 回答日時:2008/3/10 08:37:57
戦場における性的虐待は、米軍でも日本軍でも「戦争犯罪」なので、もしもその事実が明白になれば「軍法会議」で処罰されます。もちろん、戦闘直後には強姦事件が多数発生したことを否定するわけではありません。生死の境をくぐると「種の保存本能」が作用するためでしょうか、悲しい事件はいっぱいあったことでしょう。実際に戦争体験者の話を聞くと、虐殺や強姦を平気でやっていた兵隊は少数派だったとわかります(アホはどこにでもいる、ということですね。先日もあったでしょ、校長が教え子に手を出して、やらせなきゃバラすと脅してたでしょ?あんなのは極めて異常な少数派ですからね)。食料の略奪は日常茶飯事だったようで、このことに関しては犯罪意識が低いようです。まあね、輜重部隊なんて名ばかりで、食料や武器弾薬の補給すらままならない無茶な戦闘指揮をとっていたんだからこれは仕方がないんじゃないかな。
集団自決に軍の関与があったか、という問題は、かなり微妙です。軍には徹底抗戦の命令が出ていたため、非戦闘員である住民は、軍からは見放されていたことは確かです。壕から外に出て激しい艦砲射撃の中へ身をさらせ、という命令はあったでしょうが、非戦闘員に集団自決せよ、という命令は「軍」としては出していないでしょう。ただ、前線の指揮官が「足手まといだから降伏するくらいなら死を選べ」というようなことを言ったこともあったことでしょう。帝国軍人はそうするように教育されていましたからね。でも、それが「軍命」であると直ちには言えないのではないでしょうか。絶望的な状況下で、どうせ生き延びられないなら自決しようとした住民もいたのは当然でしょう。
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- 回答日時:2008/3/10 02:40:02
「文書化されたルールのない組織」というものは本当にいい加減なもので、
日常の会話の中でなんとなく方針やルールが決まっていきます。
酒の席で、偉い人が「こうあるべきだ!」とか持論を述べたことが
その組織の意思ととられたりするのです。
当時の日本軍もそうだったに違いありません。
軍の上層部は集団自決しろとなどとは言わなかったと思います。
意味がないからです。
しかし、軍の将校は毎日議論してたと思います。
例えば、「捕まって捕虜になるくらいなら自決するぞ。」と・・・
それを受け取る将兵たちもいろんな解釈をしたと思います。
あるものは、「軍人は捕虜になるくらいなら、自決するんだ。」
またあるものは「みんな捕虜になるくらいなら、自決するんだ。」
そして、いよいよその時が来たとき、ある一人の軍人が伝えます。
「みんな捕虜になるくらいなら、自決するんだ。これは軍で決めたことである!」
私はこれが最も真相に近いと推測してます。
「文書化されたルールのない組織」というものが、
いかにいい加減が私自身がいつも経験していることだからです。
ようやく最近になって、現代の企業もルールの文書化ということに躍起なっています。
コーポレートガバナス、内部統制、最近の経済新聞を賑わせているこの言葉がそれを現しています。
そんなことが頭の片隅にもなかった当時の日本軍。押して知るべしです。
結論として、軍としての意思はなかったが命令は出た。
それは内部統制のなさから出た混乱によるものだと思ってます。
- 違反報告
- 回答日時:2008/3/10 02:31:09

