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朝日新聞のこんな記事が紹介されました。

nyata0309さん

2016/2/2111:30:42

朝日新聞のこんな記事が紹介されました。

『朝日が「遺憾」としたのは、日本政府代表の外務審議官、杉山晋輔がジュネーブで開かれた16日の国連女子差別撤廃委員会で、慰安婦問題に関し朝日報道が「国際社会に大きな影響を与えた」と発言したこと。朝日は「根拠を示さない発言」と断じた。』


日本が、遅すぎるとは言え、国際舞台で漸く慰安婦の嘘を明言したその中で昨年の朝日新聞の謝罪に準じた内容説明を付与しただけなのにそれを否定するかの発言。
謝罪当時は、朝日新聞は自費で世界に過ちの訂正と誤解を流布させた謝罪を載せるべき、国連人権委員会でも明確な修正をするべきと言われたのにこの発言。
これは読者と国民をバカにしているとしか思えないのですが、一体何の意図でしょうか。

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fncowot24923さん

2016/2/2114:35:49

1990年代後半から2000年前後へかけて、元朝日新聞編集委員の「松井やより」(本名は松井耶依・故人)の活動は激しさを増していく。1998年(平成10年)に、通称で「バウネット・ジャパン」と呼ばれた「『戦争と女性への暴力』日本ネットワーク」という組織ができて、「松井やより」がその初代の代表となる。そして、その頃である。今「女たちの戦争と平和資料館」(wam)というところの館長をしていて、「松井やより」の年下の盟友の1人だったという元NHKディレクターの池田恵理子によると、こういうことがあった。

「バウネットの運営委員が集まった時だったんですけれど、『ふっと夜に思い付いたのよ』と彼女(「松井やより」)が話してくれたのが後の『女性国際戦犯法廷』のことだったんです。いいじゃない、とみんな賛成したんです。その時の彼女の大きなヒントになったのがこの絵で、これが彼女の背中を押したんですよ」

取材でwamを訪ねた目の前の私に池田恵理子が指し示した絵というのはこの資料館に飾られているもので、昭和天皇が木に縛り付けられて目隠しされ、そこに2挺の拳銃が向けられているという図で、韓国の元慰安婦が描いたのだという。

これが、2000年(平成12年)12月8日~10日、12日の4日間にわたり東京都内で開かれた「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」の発端だった。

「松井やより」と共にその「法廷」の立ち上げに取り組んだ1人のこの池田恵理子によると、全世界から95社約200人の報道陣が来たという。その報道結果は、池田恵理子によると、総じて大きな扱いだったようだが、日本の全国紙の場合で見ると、かなり以前からの予告から始まって終始追い続けた朝日新聞以外からは、ほとんど黙殺された。察するに「日本軍性奴隷制を裁くー」という修飾語そのものにそもそもメディアは嫌気がさしたのではないか。一方的な主張をするある種のグループの模擬裁判ごっこの宣伝に利用されまいという気持ちが働いたのかもしれない。加えて、朝日新聞社共催的な臭みを、そこの紙面の様子から感じ、では御免蒙るとなった向きもあるのだろう。

この「法廷」の国際実行委員会というものの代表3人の1人は「松井やより」だが、判事はアメリカなど4カ国から4人、検事はアメリカなど2カ国からの2人の首席を含めて韓国、北朝鮮など12カ国から50人、法律顧問がアメリカなど3カ国から4人、専門家証人というものが日本など3カ国から6人、法廷助言者が日本から3人という構成で、さらにフィリピンなど9カ国からの9人より成る国際諮問委員会というものまで設けられ、そして北朝鮮など9カ国から64人の被害証言者つまり元慰安婦が集まった。こうしたお膳立て自体は並々ならぬものではあった。

しかし、国際的な規模のこの大がかりな「法廷」を実現させ、支えた経費は一体どこから得られたのか。「法廷」の関係者は、「趣旨に賛同した人たちの寄付による」というが、どこのどういう人たちからそれは集まったのか。その収支の明細は明らかにされていない。

この「法廷」の関係者によると、「法廷」の準備のために「松井やより」は北朝鮮にも行っているが、すでに核兵器の開発も中学校1年生の横田めぐみさんなど多数の日本人の拉致も明白だったその北朝鮮側と「松井やより」はいかなる話し合いをしたのか、それも一切不明である。

「法廷」の被告は、検事の共同起訴状というものによると、昭和天皇(起訴状では「天皇裕仁」、そして、起訴状で挙げられている経歴のうちの主なものを各人に1つだけ付けると中支那方面軍司令官の松井石根、支那派遣軍総司令官の畑俊六、南方軍総司令官の寺内寿一、陸相の板垣征四郎、首相の東條英機、参謀総長の梅津美治郎、台湾総督の小林躋造、台湾軍司令官の安藤利吉、あの戦争末期のフィリピン戦の第14方面軍の司令官山下奉文の合わせて10人であるが、全員が死者で自分の弁護ができない。うち、松井、板垣、東條の3人は勝者側の極東国際軍事裁判(東京裁判)で、慰安所設置のこととは関係ないが、死刑になっている。

それでもこの東京都内での「法廷」は2000年12月12日に、強姦と性奴隷制について日本政府の責任と昭和天皇の有罪を認める仮判決を、翌2001年12月4日に今度はわざわざ国際司法裁判所のオランダ・ハーグで「法廷」を再開し、前年に加えて前出の9軍人の刑事責任も認める最終判決をそれぞれ下したが、東京・ハーグのこの性奴隷制「法廷」には、模擬裁判とは言え弁護人も弁護人証人もおらず、被害証言者(元慰安婦)の話の真偽の究明もなかった。日本軍の慰安所を性奴隷制、その元凶を昭和天皇と裁判形式で内外に向け宣伝する。実質的には「松井やより」の運動の国際的集会だったと私は考える。東京都内の判決で昭和天皇の有罪が決まると、「法廷」は熱狂的な大歓声に包まれたようだ。

しかし、日本のメディアに関する限り、「松井やより」と朝日新聞社内の応援団のほぼ1人相撲に終った。

終戦後の日本各地に進駐軍対策として設置された多数の慰安所も、第二次大戦中に戦地に出現したそれも、将兵らの性犯行、性暴虐を防ぐというその性格に変わりはない。日本を占領した進駐軍将兵らをそれぞれ相手にした日本人、朝鮮人その他の慰安婦には様々な種類の人がいたことも各種の文献が明らかにしている。騙されたりした場合もあるのだろうが、うまい稼ぎ場と思って応募した人たちも大勢いる。騙しなど慰安婦業者らの犯罪は断じて防ぎ、処罰しなければならないが、慰安所の設置そのことを私は褒めることも性奴隷制だと喚くこともしない。人間の性への対処そのことなら、それに絡む犯罪は論外だが、私は、「松井やより」の「法廷」のように善悪、正邪では捉えない。

慰安所、慰安婦の存在を憤り、その関係の記事も書いていた朝日新聞社内の「ある人」が、しばしば東京都心部の妓生(キーセン)クラブという所に通っていたことを、取材の中で私は知らされた。その「ある人」は知己に「あそこはいいぞ」と一緒にいわば登楼することを勧めたようだが、知己は断った。東京都内のその種の場所の女性にも様々な境遇の人がいるようだ。それでも、慰安所を糾弾しつつ都心部のそこを愛用した、朝日新聞社のその「ある人」を私は非難しない。人間とは、人間の性とはそういうものだと思っているからだ。

朝日新聞を除く新聞はほとんど取り上げず、「法廷」を記録番組にするというので撮影に全面協力したその相手のNHKも、同番組を大きく改変する結果になったりして、その点では「松井やより」自身は画龍点睛を欠いた気持に陥ったかもしれないが、しかし、あれだけの「法廷」を実演し、強姦と性奴隷制の犯人として昭和天皇を「法廷」で断罪させ得たし、しかも、この問題に関する限り、日本を、韓国、中国に限らず米欧を含めて世界的に包囲できたのだから、ともかく自己満足しつつ他界したのではないか。とりわけ古巣の応援団を働かせて朝日新聞紙面を、自分のためにだいぶ用立てさせることができたのだから。

「松井やより」の朝日新聞紙面の死亡記事は記者のそれとしては、写真入りの異例な、目立つ扱いでもあった。他界の翌日の2002年(平成14年)12月28日付の朝日新聞「私の視点」欄には、彼女の写真と共に「女たちの戦争と平和資料館」を建設するという「私の夢」が彼女の遺稿として大きく掲載されている。この資料館は実現し、前出の池田恵理子が館長をしているのがそれである。朝日新聞東京本社内は、社内との摩擦も珍しくなかった彼女を最優的にはその紙面で厚く処遇した。

だが、慰安所を糾弾する彼女の記事からは、少なくとも私には何の感動も伝わってこない。中華人民共和国に主婦として滞在し、そこの実相を綴った、著書『人民の沈黙』からはなお、鼓動のように響いてきた「松井やより」の探究心が、慰安婦問題を巡る後年の記事からは消えてしまっている。いずれも型通りの、そして私には、元慰安婦の証言にも非常に不審を感じさせられる類の中身なのである。なぜ慰安所があるのか、そこに需要も供給もなぜ生じるのか、人間の性とは何なのか。慰安所を取り上げるなら、そこへの、かつての彼女らしい筆の試みが欠かせなかったはずだ。

つまるところは、日本の過去そのものを条件反射的に単に「悪」と見るだけの、GHQ支配の戦後に、それに迎合して突然掌を返した朝日新聞的類型思考の罠に「松井やより」も、ある時期からおそらく、自覚した社内処世術としてかどうかは分からないが、はまってしまったのであろう。エネルギーに満ちた彼女のことである、その朝日新聞的条件反射の一直線を、後年はひたすらに突き進んだのであろう。あの「法廷」も含めて。ただ、自身の錯誤に気付かずに他界していたとすれば、「松井やより」にとっては幸せだったのか不幸だったのか、判断に苦しむところである。

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ckjfwn36468さん

2016/2/2114:37:19

2015年末の慰安婦問題に関する日韓合意には衝撃が走った。

多くの人が、慰安婦問題の真実を広めようと一生懸命にやってきたのに、日本政府による謝罪や新たな資金提供などはこれまでの活動を否定する内容だ。

2016.2.21 09:30
【歴史戦 第15部 日韓合意の波紋(中)】
韓国系団体が売春婦の「真実」隠す 慰安婦プロパガンダ冊子
http://www.sankei.com/politics/news/160221/plt1602210010-n1.html

国連などで韓国系によって配布されてきた英語の小冊子がある。韓国政府系の反日政策研究・推進機関「東北アジア歴史財団」がまとめた『日本軍“慰安婦”の真実』。全ページカラー刷りの立派な装丁だ。

その中に、ビルマ(現ミャンマー)で米軍が捕らえた朝鮮人慰安婦からの聞き取り調査内容をまとめた報告書(1944年作成)の写真が掲載されている。

この報告書は「慰安婦イコール性奴隷」説を否定する“証拠”として扱われることが多い。なぜそんな資料が韓国系団体の作成した小冊子に掲載されたのか。

報告書には「慰安婦は売春婦もしくは(兵士のためについてくる)プロのキャンプフォロワー以外の何者でもない…」と明記されているが、よく見ると「売春婦」であることを記述した文章の上に米兵が慰安婦を聴取する場面の写真が置かれている。

「真実」を告発する小冊子なのに韓国系団体にとって都合の悪い部分は隠されていたわけだ。

平成4(92)年1月11日付の朝日新聞1面に掲載された「慰安所軍関与示す資料」の写真も掲載。「中央大学教授の吉見義明は、日本軍が慰安婦募集に直接関与していたことを示す文書を発見した」と英語で説明している。しかし、吉見が発見したという文書は実際には悪質な業者には気をつけろという通達で、少なくとも、強制連行とは何の関係もない。

慰安婦問題についてそれほど知識のない外国人は“工作”に気づくはずもないし、立派な小冊子を受け取れば書かれている内容を事実であると受け止めるのは想像に難くない。

小冊子を入手したのは近現代史研究家の細谷清。昨年3月にニューヨークで開催された女性の地位委員会で韓国側が開催した行事で受け取った。

これに対抗して、細谷と反日活動の阻止を目指す民間グループ「なでしこアクション」代表の山本優美子は「From misunderstandings to SOLUTION(誤解から解決に向けて)」と題するカラー刷りの英語の小冊子を作成。今月中旬にジュネーブで開かれた国連女子差別撤廃委員会で委員に配布した。

東北アジア歴史財団の小冊子と同じサイズで、「慰安婦狩り」の捏造などを写真やデータ入りで説明した。「慰安婦問題の真実を外国の人に少しでも理解してもらいたい」と山本は話す。

× × ×

ジュネーブの国連欧州本部で16日に開かれた女子差別撤廃委員会の対日審査。会議の合間に慰安婦問題を担当する中国出身の女性委員、鄒暁巧と懇談する男性の姿があった。男性は15日に行われた委員会と非政府組織(NGO)との非公式会合で注目された人物だ。

「キム」と名乗る男性は英語で「戦時性奴隷の被害者に代わって何年たっても日本が包括的な解決を図らないことに深刻な懸念を表明する」と切り出し、「委員会には、遅くなる前に被害者に正義をもたらすよう強く求める」と訴えた。

翌日、対日審査の会場で「キム」に産経新聞の名刺を差し出した。渋々交換に応じた名刺には手書きで「KINAM KIM」とあった。韓国人の弁護士という。所属は「民主社会のための弁護士集団(MINBYUN)」とある。この団体は親北朝鮮系のNGOとして知られる。2000年の女性国際戦犯法廷で昭和天皇を有罪とした検事役を務めた現ソウル市長、朴元淳は創設メンバーだ。

キムは「被害者の声を伝える必要がある」と繰り返した。「強制連行はなかった」と主張する日本のNGOの発言をどう思うかと聞くと、苦々しげな表情でこう返答した。

「彼らは言論の自由を行使しているんだろう。でもこれはゲームじゃない」
× × ×

非公式会合は日本のほかアイスランド、スウェーデン、モンゴルの4カ国が対象だったが会場はほぼ日本人で埋まった。大半は左派系の日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク(JNNC)の約80人だった。

1時間半の非公式会合の後、日本からのNGOのメンバーは一斉に委員への働きかけを始めた。彼女たちの手元にあるのは各委員の顔写真や担当テーマなどが書かれたリスト。テーマによって働きかける委員を振り分けていたとみられる。

委員会には日本出身の委員もいる。委員長を務める弁護士の林陽子だ。多くのJNCCのメンバーとは顔見知りのようだが、保守系メンバーが小冊子を渡そうとしたが、受け取ってもらえなかった。

慰安婦問題を人権問題としてとらえる国連機関と、長年にわたって国連側に情報提供などを続けてきた左派系の関係は簡単には変わらない。

× × ×

15日の会合では最も参加者の多い日本から8人が計15分発言し、5人が慰安婦問題に言及した。このうち元衆院議員、杉田水脈と「なでしこアクション」の山本優美子は委員会に対し慰安婦問題で日本政府に事実関係をただすよう求めた。2人は昨年7月の同委員会準備会合でも、強制連行を示す資料の存在が確認されていない点や「慰安婦狩り」の虚偽の証言を行った吉田清治の存在などを説明している。

このときの2人の発言に委員からは「慰安婦問題に関するこれまでの(強制連行説などを唱える)意見とは異なる内容だ」との感想があった。今回の日本政府への質問にも反映されたとみられる。

強制連行について政府が国連の場で説明を迫られる結果となったことに保守系は勢いづいたものの、昨年末の慰安婦問題に関する日韓合意には衝撃が走った。

「多くの人が、慰安婦問題の真実を広めようと一生懸命にやってきたのに、謝罪や新たな資金提供などはこれまでの活動を否定する内容だとがっくりしていた」と山本は明かす。

しかし、山本らは落胆する仲間たちを鼓舞した。その結果、保守系の8団体が委員会に対して慰安婦問題の事実関係を伝える報告書を提出した。

山本たちは対日審査で日本政府が日韓合意にかかわらず、強制連行説や20万人説を否定したことを「大きな進歩」と評価した。

「この説明が国際社会に浸透するためには、日本にとどまらず海外での発信がますます重要になる」

左派の牙城である国連の会合に挑んだ保守系メンバーたちの総括だ。

(敬称略)

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2016/2/2114:35:23

朝日新聞を今ご定期購読している人の気持ちが理解できません
国賊朝日新聞不買運動を全国展開しましょう

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exowig69497さん

2016/2/2114:34:00

あれは、1990年代後半の何時頃だったか、はっきりとは憶えていないが、東京都心の地下鉄銀座駅のホームで、ばったり「松井やより」と出会った。築地の朝日新聞東京本社に近いので、何かの用が古巣にあって、その帰りだったのだろうか。互いに朝日新聞社を定年退社してすでに何年か経っていた。しばらく顔を合わせてもいなかった。笑いながら、懐かしそうに彼女は近況を尋ねてきた。偶然同じ方向の電車に乗ったところ、彼女が突然、大きな声で早口に「クマラスワミ報告が通ったのよ、勝ったのよ。大勝利よ」と言った。

車内での大声なので私はとまどったし、それにクマラスワミ報告とは、そういう活字を新聞か何かで目にしていたようにも思ったが、何のことか知らなかった。

しかし、彼女はさらに「今度はもっと凄いのが出るのよ。マクドゥーガル報告よ。これ通さないと。これ成功させたい。協力してよ」といったことを言い続けた。彼女は意気軒昂だった。電車に乗ってからの私の鈍い反応に気付いてか、彼女は「知らないの」と怪訝そうだったが、終始機嫌がよかった。

その時は多少気にはなったが、クマラスワミもマクドゥーガルもすぐ頭から消えてしまった。私も色々な課題を抱えていた。それから、ほんの何年か後の2000年12月に、「日本軍性奴隷を裁く女性国際戦犯法廷」なるものが東京都内で開かれた。後に、これが事実上、「松井やより」主催だと分かるが、その時はその「法廷」について何の知識も関心もなかった。

私が残念でならないのは、「松井やより」が2002年12月27日に他界したことだ。ずっと後にクマラスワミ報告書、マクドゥーガル報告書の内容を、さらには、この「日本軍性奴隷を裁く女性国際戦犯法廷」というものの実相を知り、彼女が存命だったら時間を費やしても彼女に詰問したと思う。ことと次第では怒鳴り合いになったかもしれないが、そうしたと思う。

クマラスワミ報告書とは、1993年(平成5年)に、当時の国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会の決議によって国連がスリランカ人ラディカ・クマラスワミという人を特別報告者に任命し、その彼女が1996年初めにこの国連人権委員会に報告した「女性に対する暴力に関する特別報告書」のことだが、「大勝利よ」と「松井やより」が電車の中で声を上げたのは、おそらくこの報告書の付属文書1を指したのだろう。それは「戦時における軍の性奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書」というもので、組織的、強制的に性奴隷制を日本軍が実施したというものだ(付属文書1は財団法人「女性のためのアジア平和国民基金」の訳文による)。

この付属文書1について、1996年4月に国連人権委員会はその内容を「留意(takes note of her report)」すると決議した。「留意」が勝利かどうかは判断が分かれると思うが、この性奴隷制報告の全文を私は読み、国連の名を辱める文書と思わざるを得なかった。クマラスワミ特別報告者は北朝鮮の首都平壌で4人、韓国のソウルで9人の元慰安婦(「Former "comfort women"」)から聴き取りをしているが、その証言内容が事実かどうかの裏付けの調査をしたのか否か、それについては何の言及もない。それは不必要と考えたのか不可能だったのか。いずれであっても、裏付け調査の有無と、不必要とみたのならその理由、不可能だったのなら、その事情を明記すべきではなかったか。これは、報告そのものの価値を支える最低限の措置と思われるが、それすらもない報告書はそれとしては通用し得ない、無価値かつ有害な文書と私は考える。

例えば、平壌で元慰安婦の1人は、鴨緑江源流の朝鮮側の町のある部隊での13歳の時に体験をこう証言したという。

「(略)私たちと一緒にいた朝鮮人の少女の一人が、なぜ一日に40人も相手にしなければならないのかと聞いたことがあります。彼女を懲らしめるために、中隊長ヤマモトは剣で打てと命じました。私たちの目の前で彼女を裸にして手足を縛り、釘の出た板の上にころがし、釘が彼女の血や肉片でおおわれるまでやめませんでした。最後に、彼女の首を切り落としました。もう一人の日本人ヤマモトは私たちに向かって、『お前ら全員を殺すのなんかわけはない。犬を殺すより簡単だ』と言いました。『朝鮮人の女たちが泣いているのは食べるものがないからだ。この人間の肉を煮て食べさせてやれ』とも言いました。ある朝鮮人の少女はあまりに何度もレイプされたため性病にかかり、その結果、50人以上の日本兵が性病に感染しました。性病が広がるのを止め、少女を『殺菌消毒』するため、彼女の局部に熱した鉄の棒を突っ込みました。その守備隊にいた少女の半数以上が殺されたと思います(略)」

こういう事実が、当時は日本だった朝鮮の中であろうと、いかなる海外であろうと実際にあり得るか。繰り返すが、証言の裏付けが何もないことについての説明が欠けている報告書は、「松井やより」が「勝った。大勝利」と叫ぼうと、流言蜚語にも価しないということである。

「まず最初に、本特別報告者は勇気を持って語り、証言してくれたすべての女性被害者に心からの感謝を表したい。それが彼女たちの人生でもっとも屈辱的かつ苦痛に満ちた日々を蘇らせることになったのは間違いない。非常に大きな感情的な緊張の下で、自分の体験を語った女性たちと出会い、本特別報告者は深く心を揺さぶられた。
本報告書の分量に制限があるため、特別報告者が3カ国で会った16人の証言の内のいくつかを要約するほかない。だが、特別報告者はこうした証言をすべて聞くことで当時の状況を想像できるようになったのであり、その重要性をとくに強調しておきたい。以下は軍性奴隷という現象のさまざまな側面を明かにするために選んだ証言であり、これらによって本特別報告者は軍性奴隷制が日本帝国陸軍の指導部により、また指導部の承知の上で、組織的かつ強制的に行われたと信じるに至ったのである」

そして、クマラスワミはこの付属文書1で、慰安所の制度化に関与した者の処罰など6項目の対処を日本政府に勧告している。

ここで、さらに見落とせないのは、この付属文書1は、詐話師だった吉田清治の『私の戦争犯罪ー朝鮮人強制連行』とか、吉田清治のこの本も参考にしたオーストラリア人の日本軍慰安婦本からも話を引用していることだ。

では、マクドゥーガル報告書とは何か。クマラスワミに続いて、やはり国連人権委員会の差別防止・少数者保護小委員会の決議により国連から任命された特別報告者のアメリカ人ゲイ・マクドゥーガルが作成し、1998年8月に同小委員会から「歓迎」と決議されたもので、その付属文書で日本軍の慰安所は「強姦センター」とみなされ、慰安婦は性奴隷であり、日本軍のこの性奴隷制は戦争犯罪と糾弾されている。そして、報告書は日本政府に対し、政府・軍の責任者を訴追し、「強姦センター」を使った個々の兵士を裁くことも求めている。

このクマラスワミ、マクドゥーガル報告書は、やがて「松井やより」の他界後に、従軍慰安婦に対する日本政府の謝罪を要求する決議をアメリカ下院本会議が2007年7月31日に満場一致で採決する事態へと繋がり、オランダ、カナダ、欧州議会でも同様な決議が続いた。その因果関係は調べ得ていないが、米欧でこのような反日決議が続出した背景にはこれらの国連決議のほかに、事実上の主催者が「松井やより」の「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」も然るべき影響を与えていたと見て不自然ではないだろう。この「法廷」は海外で大きく報じられたという。

クマラスワミ、マクドゥーガル両報告書の内容もさることながら、数十年前の戦中のことについて1990年代に国連人権委員会という機関がこのように日本を繰り返し弾劾した裏には、日本の一部の弁護士などが強力にこの機関に日本糾弾を働き掛けていた経緯があるが、定年退職していた「松井やより」が少なくともその運動に密着した応援団、ことによったらこの対国連活動の当事者の1人だったのではないか。前述の地下鉄での私との会話が何よりそのことを推定させる。現代史家の秦郁彦が吉田清治の正体を辿っていたところ、吉田清治は秦郁彦に「そのうち国連で大騒ぎになりますよ」と告げていたという。この関係の日本の活動家と詐話師吉田清治の繋がりも、そこには示唆されている。

戦時における軍の性奴隷制度問題に関して、朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国及び日本への訪問調査に基づく報告書
http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf
9ページ
元慰安婦の多くは、連行される過程で暴力や強制が広く行われていたことを証言している。さらに、強制連行を行った一人である吉田清治は戦時中の体験を書いた中で、国家総動員法の一部である国民勤労報国会の下で、他の朝鮮人とともに1000人もの女性を「慰安婦」として連行した奴隷狩りに加わっていたことを告白している。(10)

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djaifek24927さん

2016/2/2114:32:31

これが論説委員の評論か

全六巻の歴史書である室町期の『神皇正統記』の作者北畠親房の一族の子孫とも言われる朝日新聞論説委員北畠清泰は、1992年1月23日付夕刊と同年3月3日付夕刊の、論説委員が書く「窓」で吉田清治証言についてこう書いた。論説委員といういかめしい肩書によって吉田清治証言に御墨付が与えられているのだ。まず1月23日付から要点を見てみる。

「(筆者註 吉田清治が)記憶のなかで、特に心が痛むのは従軍慰安婦の強制連行だ。吉田さんと部下、十人か十五人が朝鮮半島に出張する。総督府の五十人、あるいは百人の警官といっしょになって村を包囲し、女性を道路に追い出す。木剣を振るって若い女性を殴り、けり、トラックに詰め込む。
一つの村から三人、十人と連行して警察の留置所に入れておき、予定の百人、二百人になれば、下関に運ぶ。女性たちは陸軍の営庭で軍属の手に渡り、前線へ送られていった。吉田さんらが連行した女性は、少なくみても九百五十人はいた。
『国家権力が警察を使い、植民地の女性を絶対に逃げられない状態で誘拐し、戦場に運ぶ、一年二年と監禁し、集団強姦し、そして日本軍が退却する時には戦場に放置した。私が強制連行した朝鮮人のうち、男性の半分、女性の全部が死んだと思います』
(略)
マスコミに吉田さんの名前が出れば迷惑がかかるのではないか。それが心配になってたずねると、吉田さんは腹がすわっているのだろう、明るい声で『いえいえ、もうかまいません』といった。

次に、3月3日はどうか。

「従軍慰安婦を強制連行した吉田清治さんの告白が、この欄(1月23日付)で紹介された。その後、たくさんの投書をいただいた。
去年、本紙と朝日放送が協力して進めた年間企画『女たちの太平洋戦争』にも、投書が相次いだ。担当者と話していて気づいたことがある。それは、日本軍の残虐行為はなかったとか、公表するなという人の論拠には、共通する型がある、ということだ。
①そんなことは見たことも聞いたこともない。軍律、兵隊の心情にてらしても、それはありえない。もし事実だとしても、それは例外で、一般化するのは不当である。なかには自己顕示欲や誇張癖のために、ゆがめられた話もあるだろう。
②自虐的に自国の歴史を語るな。子孫たちが祖国への誇りを失ってしまう。それに、戦争が庶民を犠牲にすることは分かりきっている。過去を語っても無益。早く忘れよう。
③日本軍の残虐行為を知ったら、遺族は、我が父、兄弟も加わったかと苦しむだろう。そのつらさを考えよ。(略)
以上のように主張したい人々の気持ちはよくわかる。だれにも理屈だけでは動きたくない情というものがある。しかし、それだけでいいのか。
(略)
知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」

私は恥ずべきコラムと思う。北畠は和歌山市内の県立高校を卒業しているが、その高校の同級生で無二の親友だった者が、このコラム掲載の時から何年も経ってからではあるが、東京・新宿の紀伊国屋書店の裏の喫茶店で
「済州島ならすぐ行ける所じゃないか。なんで裏付けの取材もしないで、ああいうことを書くのか」
との意味のことを北畠に言ったら、急に本人は不機嫌になり、ほぼその時を境に10代からの密な交友関係は消えてしまったという。

1月23日付の最初のコラムは、吉田清治に直接会ったのか電話で聞いたのか、そのコラムに書くために話を交わしたのか、以前の会話をこのコラムで利用したのか不明だが、いずれにしても、吉田清治の話を北畠はそのまま鵜呑みにしたようだ。

それだけではない。3月3日のコラムは、吉田清治証言の内容そのものに疑問を抱いた投書者を、根拠もなく馬鹿扱いし、叱りつけている。

私は赤面する。おそらく北畠は、吉田清治の口から自分でも聞いてみて、旧日本軍、あるいは戦前戦中の日本についての何かの固定観念にぴたりとはまるので、そのまま条件反射的にコラムに頂載したのだろうが、その経緯、そしてこの論説委員は、慰安婦報道を超えた朝日新聞社内の、「パブロフの犬」としての惨状を見事に象徴している。

ただ、それにしても腑に落ちないことがある。

論説委員として北畠がそのコラムを書いた少し前まで彼は大阪本社企画報道室長で、3月3日のコラムでも書いているように、朝日新聞大阪本社と大阪市に本社のある朝日放送の年間共同企画の「女たちの太平洋戦争」という連載の出稿部の長だった。この連載では1991年に吉田清治証言を2度にわたり、比較的詳しく取り上げている。吉田清治証言のあの内容なのだから、北畠が言う「女たちの太平洋戦争」への多数の投書の中には吉田清治証言への批判もけっこう含まれていたとみて差し支えないだろう。吉田清治証言についてだけ、批判がほとんどなかったとは思えない。

しかし、その時点になっても、大阪本社企画報道室も大阪本社社会部も済州島に記者を派遣していないと聞く。この段階ででも現地での裏付け取材をしていれば、朝日新聞社の醜態はその時に止まった可能性があるが、やはり、自ら事実を究明するのではなく、ある固定観念に照らした取材、執筆、紙面作成をする体質であれば、わざわざ経費をかけて現地を調べる必要もなくなってくるのだろう。しかし、これはもはや新聞ではない。新聞社ではない。

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bpqhlsn66422さん

2016/2/2114:30:50

朝日新聞は責任逃ればかり考えて、本心では全く反省していない。

朝日「慰安婦」で申し入れ 国連説明 外務省「問題ない」 2016年2月20日

*杉山外務審議官の国連での発言
慰安婦が強制連行されたとの見方が広く流布された原因は、1983年に吉田清治氏が「私の戦争犯罪」という書物で、日本軍の命令により、韓国の済州島で大勢の女性狩りをしたという虚偽の事実を捏造して発表したことにある。
この内容は朝日新聞社により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず国際社会にも大きな影響を与えた。
この書物の内容は後に複数の研究者により、完全に想像の産物であったことが証明されている。朝日新聞も事実関係の誤りを認め、正式に謝罪している。20万人という数字も具体的な裏付けはない。
朝日新聞も、通常の戦時労働に動員された勤労挺身隊と慰安婦を誤って混同したと認めている。

朝日新聞社は、2016年2月18日、外務省の杉山晋輔外務審議官が国連女子差別撤廃委員会の対日審査で、慰安婦問題について、朝日新聞の報道が国際社会に大きな影響を与えたと発言したことに関し、「根拠を示さない発言」で遺憾だとして、外務省に文書で申し入れた。

外務省の川村泰久外務報道官は2016年2月19日、「詳細について精査しているが、杉山氏の発言内容に問題があるとは考えていない」とコメントした。

杉山氏は2016年2月16日の対日審査で、慰安婦が強制連行されたとの見方が流布された原因は、吉田清治氏(故人)が著書で虚偽の事実を捏造して発表したことにあると指摘した。その上で、「この内容は朝日新聞により事実であるかのように大きく報道され、日本、韓国の世論のみならず、国際社会にも大きな影響を与えた」「朝日新聞も戦時労働に動員された女子勤労挺身隊と慰安婦を誤って混同したと認めている」などと述べた。

朝日新聞社広報部によると、同社の慰安婦報道を検証する第三者委員会では、過去の慰安婦問題の報道が韓国に与えた影響について見解が分かれたことなどを申し入れた、という。

■朝日報道 韓国で引用

朝日新聞は、宮沢元首相による訪韓を控えた1992年1月11日の朝刊で、慰安所への軍の関与が明らかになったと報じた。慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」との説明記事も付けた。この報道は韓国内の新聞などでも引用された。

朝日新聞は、1994年1月25日朝刊(東京版)の「政治動かした調査報道」などの見出しを付けた特集記事で、吉田清治氏証言の報道への反響などにも触れながら、慰安婦問題について「(慰安婦問題など)戦後補償問題に、朝日新聞の通信網は精力的に取り組み、その実像を発掘してきた」「(平成3年に)韓国から名乗り出た元慰安婦三人が個人補償を求めて東京地裁に提訴すると、その証言を詳しく紹介した。年明けには宮沢(喜一)首相(当時)が韓国を訪問して公式に謝罪し、国連人権委員会が取り上げるに至る」

河野談話につながる一連の政治の動きに、自社が大きく関与してきたことを誇らしげに宣言している。

韓国政府が1992年(平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。

自己弁護と論点すり替え…朝日がまた反省もなく慰安婦特集
2014年08月29日 | 報道・ニュース
http://blog.goo.ne.jp/irukanoutada/e/cbc5190bdbf5de5b48053013691022...

朝日新聞の問題の1992年1月11日の軍関与報道の紙面には、小さな囲み記事がありました。従軍慰安婦の説明が書かれていますが、その内容もひどいものでした。
http://hiroshimagic.com/asahi/19920111a.html

<<従軍慰安婦> 一九三〇年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万とも二十万ともいわれる>

慰安婦の数は、秦郁彦さんなどの研究でもせいぜい2万人、それもほとんどが日本人で、朝鮮人は2割程度です。

たった数行の記事の中に、事実と異なることが3つも4つも出てくる。2014年8月5日・6日の検証記事では
<慰安婦の人数に関しても議論があるが、公式記録はなく、研究者の推計しかない>
と書いていますが、このような明らかな間違いすら訂正していません。

朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会
http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokurits...

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