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埼玉県毛呂山町の出雲伊波比神社は景行天皇の53年に日本武尊が東征を成し遂げた時...

k8877oさん

埼玉県毛呂山町の出雲伊波比神社は景行天皇の53年に日本武尊が東征を成し遂げた時に出雲のオオナムチノミコトを祀ったとされますが大和政権は天津神を祀らずに出雲の神を武蔵国に祀った目的は何でしょうか?。

補足 武蔵国は古くから出雲系の神社が多く、さいたま市の氷川神社は紀元前5.6百年前の創建(祭神はスサノウノミコト、クシナダヒメ、オオマムチノミコト)を筆頭に分社が280社、入間市には毛呂山町と同じ出雲伊波比神社が有り、この他に伊波比神社が4社有りますので武蔵国は出雲国との関係が深いと思われます皆さんはどう思いますか?。

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ベストアンサーに選ばれた回答

toshioitanekoさん

武蔵国造の
「国造本紀」に
成務朝に出雲臣の祖名二井羽宇迦諸忍之神狭命の十世孫の兄多毛比命を兂邪志国造に定めたたとあり、大宮の氷川神社を氏神とする集団が各地に移住し開拓をし定住して、新しい村の産土神として大宮の氷川神社を勧請したか、新しい村を開拓した出身地の鎮守を勧請したと考えられる。
社名の「氷川」については「出雲の肥の川上に鎮座する杵築大社を移したので氷川神社の神号を賜ったと伝える」荒川を肥河(斐伊川)になぞらえて「氷川」と呼んだことに由来する説が一般的。
出雲伊波比神社
日本武尊が東征凱旋の際の創建と伝わるが、本来出雲系の神を祀つたものが時代を経て勧請・合祀されて増加したものと考えられる。
参考「日本の神々」11 原島礼二


上代の各地首長の祭る農耕神は祖霊信仰をふまえた神であり、大国主命信仰と共通する信仰形態の「国魂」で大国主命信仰の流行があり融合して長期に渡って信仰していく上で、自家の系譜を出雲氏に結びつけた説が有力。

朝廷は大国主命神話の広がりにより、高天原神話に大国主命を祖先神に取り込むことが出来なかった。
参考「古代出雲王国の謎」武光誠

質問した人からのコメント

  • 回答有難う御座います、複数の回答も見てみたかったですが他に回答がないのでベストアンサーに選ばせていただきます。
  • コメント日時:2008/7/8 11:16:50

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