解決済みの質問
小学生の国語の俳句の問題で、季語と季節を答える問題です。 例えば、『小春日や石...
小学生の国語の俳句の問題で、季語と季節を答える問題です。
例えば、『小春日や石をかみ居る赤とんぼ』の場合、『小春日ー冬』が正解ですが『赤とんぼー秋』はなぜ違うのですか。
他にも 『行水の捨所なし虫の声』の場合、『虫ー秋』が正解で『行水ー夏』はなぜ違うのでしょうか?
一つの俳句に違う季節の季語が二つはいっている場合、どちらを選べばいいのかわかりません。
親としてよい説明がしてやれなくて困っています。どなたかお知恵をお貸し下さい。
-
- 質問日時:
- 2008/7/18 22:45:23
-
- 解決日時:
- 2008/8/2 03:45:34
-
- 回答数:
- 3
-
- お礼:
- 知恵コイン
- 500枚
-
- 閲覧数:
- 4,809
-
- ソーシャルブックマークへ投稿:
- Yahoo!ブックマークへ投稿
- はてなブックマークへ投稿
- (ソーシャルブックマークとは)
ベストアンサーに選ばれた回答
ka04zuさん
一句の中に季語にあたる言葉が複数個入っていること、あるいは
その句のことを、季重なりといいます。
季重なりの場合にどちらの季語を採用すべきかについては、残念
ながら明確な基準はありません。
上島鬼貫の句
各種俳句辞典によると、「行水」という語は、鬼貫の時代(江戸
初期~中期)には雑(「ぞう」。季語でない言葉)であったそうです。
しかし、今の学生生徒にそんなこと覚えさせることは無意味であり、
無理です。(というより、職業的俳人でもなければ〔であっても〕、
そんなこと知るはずがありません。)
村上鬼城の句
この句について、俳句辞典では「『赤蜻蛉』は秋季の動物の項に
入るが、この場合は『小春』が主になる」とあります。しかし、この
記述もなぜ「赤蜻蛉」ではなく「小春」なのかという肝心のについて、
いわゆる技法の点からは何の説明にもなっていません。
このように、”季重なりの場合、~の理由で…の方が採用される”
と定式化することは、季語という技法自体からは説明できません。
法則や暗記では対応できないということです。
しかし、だからといって全く手がかりがないかといえば、そうともいえま
せん。その事情は、技法から一歩進んで鑑賞の段階で明らかにな
ります。
まず鬼貫の句について。この句の中心に詠まれているのは「行水」、
「虫の声」のどちらでしょうか。「行水の湯を捨てようとしたが、辺り
一面、美しい虫の声でいっぱいで、うっかり水を捨てると虫が鳴くの
をやめさせてしまう。さてどうしたものか。」という大意からわかるように、
「虫の声」を愛でる気持ちがまずあって、その道具立てとして「行水」
が使われているのに過ぎません。つまり主役(感動の中心)は「虫
の声」にあるのであり、従って、季語も「虫の声」の方だ、ということ
になります。
また、この句は、「行水」の季節だと思っていたが、今ふと気づいたら、
「虫」の季節になっていたのだ、という季節の変化への気づきを詠ん
だものともとれます。その場合の”今”は、いうまでもなく「虫の季節
=秋」ですね。
次に鬼城の句。この句も、季節の変化を主題とした作品です。「小
春」だというのに、その日の中でまだけなげにも赤蜻蛉は石にかじりつ
いているよ、というのです。確かに作者の共感は、はかない命を必死に
守ろうとしている赤蜻蛉に向けられていますが、それは秋の主役として
の姿ではなく、冬の季節外れのあわれな姿です。
このように、内容を吟味すると、季重なりの場合に、どちらを季語に選
ぶべきかについて何らかの根拠はある、ということがいえます。作者や専
門家が全く恣意的に決めているばかりではない(そうとしかいえない句も
あるかもしれませんが)のです。
以前、秋桜子の「啄木鳥や落葉を急ぐ牧の木々」という季重なりの
句(季語は「啄木鳥=秋」。冬の「落葉」とはとらない。)が教科書
に採られたことがあります。この場合は単純に、高原は寒さの訪れが
早いので秋なのに「落葉」が舞うのだ、と説明していたと記憶しています。
このような前例があるとはいえ、小学生に季重なりを教えるのはどうか
と思います。(中学受験をするならば別ですが。)
- 違反報告
- 編集日時:2008/7/19 00:10:07
- 回答日時:2008/7/19 00:04:42
この質問は投票によってベストアンサーが選ばれました!
- この質問・回答は役に立ちましたか?
- 役に立った!
お役立ち度:
2人が役に立つと評価しています。
ベストアンサー以外の回答
(2件中1〜2件)
- 並べ替え:回答日時の
- 新しい順
- |
- 古い順
no_881さん
一般に、季語が二つ以上ある句は、「季重なり」と言って、嫌われます。
例外的な句ですので、そういうのを問題に出す方もどうかと思いますが・・・。
さて、例に出された二句は、どちらも、句中に「切れ」があります。
一句目で言うと、
小春日や/石をかみ居る赤とんぼ
という風に切れています。
切れの前と後では、前が、この一句全体の「環境」で、後が「中心となる景」です。
石を噛んでいるような赤とんぼがいるよ、どんな環境でいるかというと、それは小春日和の中だよ、
という風になります。
この中で、季節を示しているのは、「環境」を示す部分の「小春日」です。
二句目は、
行水の捨所なし/虫の声
で、行水を捨てる場所がないよ、あたり一面虫の声がしているから。
ということになり、今度は、切れの後が「環境」をあらわしています。
そちらが、季節をあらわす部分、ということです。
繰り返しますが、これは、小学生には、あまり適切でない問題だと思いますよ。
- 違反報告
- 回答日時:2008/7/18 23:46:45

