解決済みの質問
オセチアについてです。 今回の紛争で話題になりましたが、南オセチア自治州はグ...
tlactoneさん
オセチアについてです。
今回の紛争で話題になりましたが、南オセチア自治州はグルジアからの独立を望んでおり北オセチア共和国はロシア連邦に留まることを望んでいますよね?
1920年にザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の中に南オセチア自治州が設立され、1924年にロシア・ソビエト社会主義連邦共和国の中に北オセチア自治州(現北オセチア共和国)が成立したようですが、そもそも、オセット人が住むこの地域に、北と南の二つのオセチアが別々の連邦国の中にできたのは何故ですか?
以下のリンク内の説明にある、ロシア帝国に編入される以前、北はカバルダ人に支配され、南はグルジア人に支配されていたことが影響しているのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88%E...
北オセチアと南オセチアが、最初から分断された状態で成立した理由をご存知の方、教えてください。
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- 質問日時:
- 2008/8/28 23:36:10
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- 解決日時:
- 2008/9/12 03:53:57
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ベストアンサーに選ばれた回答
na_cochiさん
南北オセチアの住民であるオセット人は、元々スキタイ人の末裔と言われる北方イラン系の民族で、ロシア南部、ボルゴグラード周辺に住んでいました。
モンゴルの西征により、南方のカフカス地方に追われ、現在の北オセチア周辺に定住しました。
オセット人の故郷は、現在ロシア人やカルムイキア人の住む地域になっています。
オセット人が定住した地域は、カフカス系の諸民族の住んでいる地域に割り込む形で定住しました。
キリスト教を信仰するオセット人の影響で、イスラム教を信仰する人の多い北カフカスの諸民族の民族形成がすすみ、東方にチェチェン人が、西方にカバルダ人が形成されてゆきます。
オスマン・トルコの勢力が北カフカスに伸びてくると、チェチェン人は、オセット人の地に侵攻を開始し、その地を占領し、住民を追放してゆきました。
その時、カフカス山脈を越えて、同じキリスト教徒の多いグルジアに逃れた人達が住むようになった地が、南オセチアになります。
チェチェン人の侵攻のため、滅亡の危機に直面したオセット人は、ロシアに支援を求め、オセット人の居住地にロシア軍の駐屯を依頼します。
ロシア軍の駐屯地として発展したのが、現在の北オセチアの主都ウラジカフカス(カフカスを占領せよ)です。
トルコの衰退もあり、チェチェンはロシアに敗れ、占領されて現在に至っています。
チェチェン人は、同じカフカス系のイスラム教徒であるカバルダ人をチェチェン人の支配下におこうとしたため、カバルダ人とも敵対しており、チェチェン独立の過激派は、カバルダ人の住むカバルダ・バルカル自治共和国で、テロ行為をおこなったりしています。
南北オセチアが分断された状態であったのは、スターリンによる線引きのためです。
スターリン自身はグルジア人ですが、スターリン自身は、実質ロシア人として行動しました。
また、オセット人がカフカス南部に定住したころのグルジアは、トルコの支配下にあったため、同じキリスト教徒であるオセット人の定住をむしろ積極的に迎え入れたようです。
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- 回答日時:2008/8/29 02:19:10
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