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司馬遼太郎の坂の上の雲の日本海海戦の描写についてですが

ess2101さん

司馬遼太郎の坂の上の雲の日本海海戦の描写についてですが

この作品のあと、様々な史実が明らかになったと、知恵袋で知りました。
具体的にいうと、どのような史実があきらかになったのでしょうか。

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kotori672007さん

司馬さんは、軍部の公式記録「明治三十七、八年戦史」と言う本を史料として書いているんですが、司馬さん自身も”あとがき”で、「我も我もと、軍人が手柄を誇ったので、シビアな批判や反省がない、凡庸な記録」と語っています。

実は軍部は日露戦争の真実の海戦の記録をまとめ、秘蔵していました。日露戦後、「東郷伝説」など真相をいうことがタブーになったため、ずっと隠されていたのです。
それが昭和52年(だったかな・・・?)に、「極秘海戦史」として公開され、伝説との相違が明らかになったのです。

例えば海軍は、機雷を束ねた「連繋機雷」と言う新兵器に期待を持っていたことなどですが、有名なのは「出撃判断」でしょう。

「坂の上の雲」には、「バルチック艦隊は対馬に来るか、青函海峡に来るか」と言うことに不安を持った幕僚が、東郷に聞きに行くと、「不思議そうな表情をして、『そりゃ、対馬よ』といった」と、書いてあります。「東郷は不思議な勘で、対馬だと信じていた」とありますが、実はこれはフィクションでした。

実は東郷も相当迷っていたのです。
もし、とつじょの変更を申し渡せねばならなくなったときのため、「命令あるまで開けるな」という「密封命令書」を各艦隊に配布していました。
本来なら、5月20日前後には来てもいいはずのバルチック艦隊が24日になっても来ず、東郷は迷いに迷ったのです。
幕僚会議が開かれ、秋山参謀が「もはや、敵は北へ行ったのだ」と主張します。
ところが、第3艦隊の参謀が「そんなことはない!対馬に来る」と言い張り、それに島村速雄も賛同、二人で東郷の部屋へ行き、強く「このまま待機」を進言、東郷もしぶしぶ受け入れたのです。

戦後、この参謀は「世間では東郷さんの神がかり的決断と言われているが、ホントは君の手柄じゃないか」と言われると、力なく笑い「これでいいんだよ」と、語ったと言うことです。

この「極秘海戦史」に関する研究は、講談社教養新書「日本海海戦の真実」(野村実・著)がありますし、中村彰彦の小説「海将伝」でも使われています。

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