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燕人太子平を立てて君と為す。是れを照王と為す。 死を弔ひ生を問ひ、乱を卑くし...

yumisaikinbb2さん

2008/12/2816:01:22

燕人太子平を立てて君と為す。是れを照王と為す。
死を弔ひ生を問ひ、乱を卑くし幣を、厚くして以つて賢者を招く。
郭隗に問ひて日はく、「斉孤の国乱るるに因りて襲燕を破る。

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bisibasiさん

2008/12/2816:14:43

照王(てるおう?)は、ねぇだろ、
昭王だね。
#「昭和の元号以前に”昭”の漢字は誰も知らなかった。」
#などという愚か者が多いが、王様のおくりなに多い漢字さ。

この、郭隗って人を、登用したから、
「まず隗より始めよ」
なんだね。

ちなみに、燕人の”人”は、ヒトないしピトと読むのが
お約束だよ。

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frogman03544さん

2008/12/2816:18:30

先 従 隗 始
(先づ隗より始めよ )

【本文】
燕人立太子平為君。是為昭王。
弔死問生、卑辞厚幣、以招賢者。

問郭隗曰、
「斉因孤之国乱、而襲破燕。
孤極知燕小不足以報。
誠得賢士与共国、以雪先王之恥、
孤之願也。
先生視可者。得身事之。」

隗曰、
「古之君、有以千金使涓人求千里馬者。
買死馬骨五百金而返。
君怒。
涓人曰、
『死馬且買之、況生者乎。
馬今至矣。』
不期年、千里馬至者三。
今王必欲致士、先従隗始。
況賢於隗者、豈遠千里哉。」

於是、昭王為隗改築宮、師事之。
於是、士争趨燕。

楽毅自魏往。
以為亜卿、任国政。
已而使毅伐斉、入臨淄。
斉王出走。
毅乗勝、六月之間、下斉七十余城。

【書き出し文】
燕人太子平を立てて君と為す。是れ昭王たり。
死を弔ひ生を問ひ、辞を卑くし幣を厚くして、以て賢者を招く。

郭隗に問ひて曰はく、
「斉孤の国乱るるに因りて、襲ひて燕を破る。
孤極めて燕の小にして以て報ずるに足らざるを知る。
誠に賢士を得て与に国を共にし、以て先王の恥を雪がんこと、
孤の願ひなり。
先生可なる者を視せ。身之に事ふることを得ん。」と。

隗曰はく、
「古の君に、千金を以て涓人をして千里の馬を求めしむる者有り。
死馬の骨を五百金に買ひて返る。
君怒る。
涓人曰はく、
『死馬すら且つ之を買ふ、況んや生ける者をや。
馬今に至らん。』と。
期年ならずして、千里の馬至る者三あり。
今王必ず士を致さんと欲せば、先づ隗より始めよ。
況んや隗より賢なる者、豈に千里を遠しとせんや。」

是に於いて、昭王隗の為に改めて宮を築き、之に師事せり。
是に於いて、士争ひて燕に趨く。

楽毅は魏より往く。
以て亜卿と為し、国政に任ず。
已にして毅をして斉を伐たしめ、臨淄に入る。
斉王出でて走る。
毅勝ちに乗じ、六月の間に、斉の七十余城を下す。

【訳】
燕の人は、太子平を即位させ君主とした。これが昭王である。
昭王は戦死者を弔い、生還者を見舞い、
へりくだった言葉を使うようにし、給料を上げ、
それによって賢者を招こうとした。

昭王は郭隗にこのように聞いた、
「斉はわたくしの国、燕の混乱に乗じてこの国を襲い、破りました。
わたくしは燕が小さく、この恨みに報いるのに
国力が足らないことをよくわかっています。
ぜひとも賢者を得て、その者たちと国を共同で治め、
それによって先王の恥をすすぎたい、
これがわたくしの願いです。
先生はいい人を紹介してください。
ぜひともその人に師事したいと思います。」

郭隗はこのように言った、
「昔の君主に、千金もの大金を持たせ、
宮中の雑用や清掃を行う涓人という役人に命じて、
一日に千里も走るというほどの名馬を買い求めようとした者がいました。
涓人は死んだ名馬の骨を五百金で買って帰りました。
その君主は怒りました。
涓人はこのように言いました。
『死んだ馬でさえ五百金もの大金で買うのです、
まして生きた馬はなおさら高く買うでしょう。
名馬はすぐに来るに違いありません。』
まる一年もしないうちに、
一日に千里も走るという名馬が三頭も来ました。
もし王が優れた人材を燕に招致したいと思うならば、
まず私、隗から優遇し始められよ。
まして、私より賢いものが、どうして千里を遠いとして、
燕に来ないでしょうか、いや来るにちがいありません。」

こうして、
昭王は郭隗の為に立派な御殿を改築し、彼に師事した。

こうして、天下の賢士は争って燕に向かった。
楽毅は魏から赴いた。
昭王は彼を亜卿として、国政を任せた。
まもなく、昭王は楽毅に命じて斉を攻撃させ、斉都臨淄を占領した。
斉王は臨淄から出て逃げた。
楽毅は勝ちに乗じて、半年の間に、斉の七十余りの城を攻め落とした。

訳せ、とのことと判断いたしました。

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