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瀬島龍三氏の評価について

yu_sakura2001さん

瀬島龍三氏の評価について

私がかつて某保守系議員(総理経験者)の勉強会に誘われ出席したとき、瀬島龍三氏のの功績がたたえられていました。
内容は逮捕覚悟でワレシンスキー元帥に日本兵の助命嘆願、および民間人の安全の保証を依頼しにいったところ逮捕されそのままシベリア抑留になってしまった。他の関東軍将校が民間人をおいて逃げ出したのに対して大変立派な行為だ。
ということでした。

しかし、ここの過去ログをみるとかなり評判が悪いようです。どちらが本当の姿なのでしょうか。

補足
なるほど、皆様のご意見非常に参考になりました。さすがに、政治家の勉強会はご自身にとって都合のよい引用が多いですね。主観を入れないためBAは投票にしたいと思います。

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samu04raiさん

瀬島はあらゆる意味で過大評価された人物だと思います。
彼の罪は戦中、戦後に分けて述べると分かりやすいので以下を
参考までに…

(戦中)
・参謀本部の勤務で実戦を知らず、現実離れした作戦を立案した。
→机上の空論であったため、当然多くの戦死者を出した
・悪評高き服部卓四郎の部下であり、作文の能力に長けていた。
→負け戦を美文で誤魔化す、軍人というより官僚であった
・台湾沖航空戦の戦果報告が過大であると指摘した電報を握りつぶした。
→事後の作戦計画について重大なる判断ミスを招いた

(戦後)
・ワシレフスキーとの会談時、日本兵の保護を交渉したと大嘘をついた。
→たかが中佐に過ぎない瀬島にそのような権限なし
・シベリア抑留時、赤化思想で洗脳される中、保身のために言を左右させた。
→裁判に証人として召喚されたが、責任逃れのため自身の経歴を誤魔化した
・ソ連軍の公文書や日本人が編纂したシベリア抑留に関する資料を改ざんした。
→「校正する」と称して都合の悪い部分は削り、自身を美化することに腐心

(伊藤忠時代)
・日本の戦後賠償ビジネスに関与し、税金でボロ儲けの商売に励んだ。
→賠償相手国の首脳にリベートを渡し、政治家との間にコネクションを作った
・自民党に食い込み、政商兼フィクサーとして外交にも関与した。
→中曽根康弘に重用され、金で韓国との関係改善を図った
・「昭和史の生き証人」、「政財界の大物」を気取り、税金を浪費した。
→しかし自分の虚飾が剥がれることを極端に恐れていた


戦後彼の名を高めたのは「大本営参謀」の肩書きです。今から10年前までの政
財界の中心を占めていた老人連中にとって、この肩書きは比類なきトップエリート
を意味しました。戦後、多くの元軍人が口をつぐんだのに対し、このペテン師はあり
もしない功績を作り上げ、かつ前述のように平気で嘘を重ね、戦争による犠牲者
を踏み台にし、政治経済の重鎮を気取ったのです。

軍官僚としての罪だけでも万死に値する輩ですが、許せないのは戦後の生き方
です。伊藤忠に潜り込み、会長にまで上り詰めた原動力は戦後賠償に関与し、
税金を食い物にしたことによるものです。戦時中は作戦担当として多くの人を犠
牲にし、それだけでなく敗戦責任を感じることもなくぬけぬけと賠償をビジネスと出
世の道具にした。ここまで恥知らずな男はいないでしょう。真偽は分かりませんが
昭和天皇も彼の生き方を批判したそうです。

私は「瀬島龍三とは何か?」と問われたら、確信をもって答えます。
「あいつは混迷の時代に生まれたペテン師ですよ」

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vxnnn2007さん

戦時の失敗が有るにせよ、高級参謀になるぐらいだから当時としては有能な人材で及び軍時代に培ったコネクション、組織管理、作戦立案、部門折衝の経験は戦後の経済界、政界には有為な人材だったんではないでしょうか。この方の評判が悪いのはやたらに著作を書きすぎていて自身が兵士ではなく高級参謀という敗戦の責を担う重い立場にいながら余りにも自己顕示欲が強い=自省の雰囲気が感じられないその(上から目線のえらそうな)態度が原因でしょう。

scull4999さん

私が知っているところでは「台湾航空戦の戦果報告で、実数とは異なる数字を大本営に報告し、その後の大本営発表が実数より誇張した数字になるきっかけを作ったこと」があります。

保守系議員は「実態以上に旧軍人を賛美する傾向がある」ので、話半分以下で聞いておく必要があると思いますが。

guinesu_pさん

半藤一利の「昭和の名将・愚将」という本では、瀬島龍三を愚将としてますね。
現場(戦争)を知らない参謀…処世術には長けているが、信念のない人…「私」ばかりで「公」のない人…責任をとらなかった人…とのことです。
また、ソ連関係の美談に関しては後々、勝手に自分で書き足し、都合の悪い部分を消去したというようなことも書いてありました。また、昭和天皇も、一節によると、戦後の瀬島のことを快く思っていない発言があったと聞きます。

天皇「先の大戦において私の命令だというので、戦線の第一線に立って戦った将兵たちを咎めるわけにはいかない。しかし許しがたいのは、この戦争を計画し、開戦を促し、全部に渡ってそれを行い、なおかつ敗戦の後も引き続き日本の国家権力の有力な立場にあって、指導的役割を果たし戦争責任の回避を行っている者である。瀬島のような者がそれだ」

瀬島龍三の行為の裏には、常に自分の立場をよく持っていく意図、時代の権力におもねるところがあったのではないでしょうか。

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  • 編集日時:2009/3/31 17:22:12
  • 回答日時:2009/3/31 14:15:27

toxin0120さん

大本営参謀としての作戦指揮では、戦力差があり作戦能力を活かせず、抑留で、兵士を賠償に提供しソ連と取引した疑惑がある。戦後も全く答えようせず疑惑が深まった。戦後伊藤忠が引き取り軍需で活躍、自衛隊内の知人の情報握り商談を有利にしたと言われる。保守系政治家にはかつての中国利権者に支援される者が多く不気味な存在として一目置かれる間に食い込み、利益還元で抱え込んだとも。支配者にとり有用だが国民には不評とも。
保阪正康氏がインタビューした折、肝心の質問事項ははぐらかし、都合の悪いところは「私の友人が何をするかわかりません」
などの幼稚な脅迫を行ったといわれています。こういうところが評価を下げるところなんでしょう。
伊藤忠では航空機売り込みに名参謀としての一面をみせ瀬島軍団を結成、忠誠心厚い部下たちをリードして商談を成功
させました。しかしその商戦はロッキード事件に結びつきます。田中角栄が多くの高官、財界人をかばったといわれる中に
岸信介、瀬島龍三の名が噂されました。のちにt中の支援した中曽根康弘が総理になった折、ブレーンとして土光敏雄と
ともに瀬島の名があったことは偶然ではないでしょう。伊藤忠会長にもなりました。
「ジジイ殺し」「売国奴」「政商」「不屈の男」、毀誉褒貶の多い数奇な一生だったといえます。

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  • 編集日時:2009/4/3 06:56:43
  • 回答日時:2009/3/31 12:51:40

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