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大島、中島、川中島、小島新田など川崎区には「島」の付く地名が多いですが、 多摩...
大島、中島、川中島、小島新田など川崎区には「島」の付く地名が多いですが、
多摩川と鶴見川が下流で合流したできた中州が川崎区なんですか?
川崎大師平間寺創建の頃(平安時代後期)には中州は治水工事しなくても安定していた(氾濫することが無かった)のですか?
それとも治水土木工事のために真言宗を呼び寄せたのですか?
中州だから肥沃な農業に適した土地だったのですか?
川崎区一帯が川崎大師平間寺を本所とする、多摩川や鶴見川の水を利用した水田だったのですか?
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- 質問日時:
- 2009/7/5 21:09:22
- ケータイからの投稿
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- 解決日時:
- 2009/7/20 06:33:43
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ベストアンサーに選ばれた回答
いつの時代を、どのように説明していいのか分かりませんが、
川崎の歴史は、Wikipediaに簡潔に書いてあります。
抜粋させていただくと、
>7世紀に律令体制の整備により武蔵国の一部となり、
>奈良時代には現在の高津区に橘樹郡衙が置かれ、
>地域行政の中心になったと推定される。
>平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。
>稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。
また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、
>門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては
>小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。
多摩川はたびたび氾濫があったようで、日枝神社などの
古文書には、氾濫によって川筋が変わったことによる
領地争いの文書が残っているようです。
川崎大師は呼び寄せた・・とかではなく、臨海部に「夜光」という
地名がありますが、ある武士が、このあたりの海に
夜光るものがあったのでそれを拾い上げてみると仏様だった、
それを祀り、そこに立ち寄った高僧と共に寺を建立したところからが
川崎大師の始まりなので、特に治水とは何の関係もないと思います。
また川崎区は農業地帯ではなく、近世はどちらかというと
遠浅の海に恵まれた漁村といった地域だったようですよ。
海苔や貝などが名産でした。
農作物は、主に果物など。肥沃な土地ではないし、水もあまり
よくなかったようで、農業に向く土地ではなかったようですよ。
ちなみに「長十郎梨」は川崎区が原産地です。
川崎区に農地はほとんどなくなりましたが、北部の方には
畑がたくさん残っています。
>大島、中島、川中島、小島新田
このあたりは、その昔は大師河原と呼ばれている地域ですね。
なぜ島が付くのか、今度調べておきます。
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- 回答日時:2009/7/7 16:01:02
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