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中村元の《龍樹》。。。。

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質問者

otuberu_and_elephantさん

2010/5/320:32:54

中村元の《龍樹》。。。。

中村元の《龍樹》を読まれた方がいらっしゃいましたらお願いします。

わたしはどっちかと言えば大乗仏教に否定的なのですが、この本はそういうことを含めても読んでおくべきものでしょうか?
最近、中村元の《原始仏教》という本を読んでっとても感動しでこの人のファンになってしまったのですが、やっぱり、大乗仏教の時代に生きる以上、これは読んで損はないものでしょうか?

このへんが良かった。龍樹のことを知るならこっちのほうを読んだほうがいいみたいな意見もお待ちしているので、どなたかお詳しい方がいればよろしくお願いしますm(_ _)m

補足大乗仏教に否定的、と書いてとても後悔したのですが、こんなに素晴らしい回答ばかり頂いてほんとにありがとうございます!
《スッタニパータ》は中村元の訳で読んで、大変感動しました!
それで少し、原典重視みたいな考え方になってしまったのですが最近禅宗が気になっていて禅宗も大乗仏教なのでできれば同じ釈迦の教えを伝えている宗派を否定したりしたくないなと思って、いろいろ学ぼうと思っていたところです!

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ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2010/5/323:51:06

質問者様は大乗仏教に否定的との事ですが、実は、龍樹の『中論』は『スッタニパータ』をその拠り所としています。そして、原始仏教と大乗仏教はこの『中論』を介して一直線に結ばれているのですね。そういう意味では、中村元氏の『龍樹』は是非読んでおいて損はないと思います。

お釈迦様と龍樹の涅槃のプロセスについて、過去に回答しました。よろしかったら御参照下さい。『中論』は龍樹とその弟子達の禅定のマニュアルでもあり、すべての煩悩を止滅した階梯の人(『スッタニパータ』に説かれる第一の清浄行を習得した者)を対象とした書でもあるのですが、『中論』と『スッタニパータ』の涅槃へのプロセスが同じであることがわかると思います。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1024841455

龍樹といえば、空の思想が有名ですね。空とは縁起の事ですが、縁起にもいろいろな見方があります。「これあれば、かれあり。これ生ずるがゆえに、かれ生ず。これ無ければ、かれなし。これ滅するがゆえに、かれ滅す。」という原始仏教に説かれた此縁性の縁起、あるいは、ひとつの生命は、時間的にも、空間的にも、他のあらゆる生命と存在との結びつき、相互依存的に存在しているという相依相即性の縁起もあります。

他にも華厳経の事々無擬法界等の縁起がありますが、龍樹の覚知した縁起は相依相即性の縁起思想であるということを前提に、中村元氏の『龍樹』は筆を進められています。ただし、龍樹の覚知した縁起は此縁性の縁起であったと主張する仏教学者もおられます。とにかく、中村氏は対立の根底には相互依存の縁起があり、そこにおいて一切の二元対立は解消しうるという中道の意義を明解に語っています。さらには、チャンドラキールティを介して華厳経の事々無擬法界の縁起への発展性も指摘しています。

ただし、龍樹の涅槃の境地の崇高さが描ききれていない憾みも感じます。私は、中村元氏の著作で感動したのは、『原始仏教の思想Ⅰ』で語られた次の文章です。

「修行を完成した人(如来)は、絶対の境地に到達しているのであるが、それは絶対の境地であるが故に、有・無などの対立を超えたものである。深遠無量にしてはかりがたいものである。<中略>絶対の実在は、われわれの認識能力を超えたものである。だから修行完成者の到達する死後の世界を、無量不可測なる絶対者として仰ぐことは永遠の真実であるといわねばならぬ。」

まさに龍樹の涅槃の境地です。

『中論』には「他のものを縁とするものでない、すでに寂滅している、諸戯論をもって戯論されない、分別を欠いている、〔かつ〕別異なる意味のないもの、これが実性の特質である」(18.9)とあるように、龍樹の涅槃の境地は縁起をも超越した境地ともいえますから。
rsd37264さんが推薦された奥住毅著書『中論註釈書の研究』(副題「チャンドラキルティー『プラサンナパダー』)においても、この龍樹の涅槃の境地が特に強調されていますね。

八千頌般若経には『清く輝くこころ』と説かれています。この涅槃の境地がどこまでも清浄なものなら如来蔵思想、仏性の教えにもまっすぐに繋がります。

中村元著作集22『空の論理』は『龍樹』の増補版というものですが、「空はいかにして慈悲を基礎づけ得るか?」という先生の興味深い論説があります。
大乗仏教への新たな視点が開かれると思います。

問題は、多様な言語世界の名称(戯論)なのです。無明ですね。私たちのこころの奥底にあるニ元分裂を引き起こす微細な原初的生命活動です。

最初期の仏教徒は虎や大蛇が出没する岩山や死体埋葬所で独り禅定を組み「不死の境地」=解脱を獲得したのですが、果たして、私たちが、飛騨の山中で、最初期の仏教徒のように意識を極限まで集中させる四禅という禅定を1年間実行して、果たしてどうなるか?こころの奥底にあるニ元分裂を引き起こす微細な原初的生命活動を止滅させ、縁起を超越した龍樹の境地を獲得できるかという問いが残ることになります。

★★★
あとお勧めは6月頃に出版される予定の石飛道子さんの3冊目の龍樹の本です。これは絶対にお勧めです。


同じく石飛道子さんの『ブッダと龍樹の論理学 縁起と中道』(サンガ)もお勧めです。
http://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=010000000000003238...

中村元氏の『龍樹』は縁起=中道の論理を中心に語られており、涅槃へのプロセスが見えてこないのも残念です。そういう意味で、はじめて読むと今ひとつピントこないかもしれません。

最初に石飛道子さんの著作をお読みになり、それからの方がよいと思いますよ。

奥住毅著書『中論註釈書の研究』の奥住毅氏の素晴らしい解題は、機会があれば図書館等で是非読んでみてください(なんせ3万3千六百円なので)。

総論的で掘り下げがないのは『人類の知的遺産』の1冊だからと思います。

質問した人からのコメント

2010/5/4 06:03:02

抱きしめる 皆さん全員のご回答が素晴らしすぎて選びようがなかったのですが、bougainvillea1207さんの過去回に衝撃を受けたのでBAにさせて頂きました!
龍樹に対するわたしの偏見を振り払うためにもこれは読むことを避けられそうになさそうです!
ほんとうに皆さん感謝しています!また仏教関連で質問しますので、よろしくお願いします!

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ベストアンサー以外の回答
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2010/5/322:47:52

仏教学者です。
この本は仏教学の知識を持っていないと、かなり難しいのではないでしょうか。

この本では仏教諸派の見解の相違や、長年論争となっている論点を取り上げているのですが、仏教学やっている人間にとっては当たり前のことも、一般の人にとってはトピックが見えてこない可能性もあります。仏教学者の間でも、この本はあまり評価しない…もとい、話題にしない傾向があります。なぜでしょうかねぇ。

はじめの「伝記」の部分だけを読んで、「こういう人だったんだぁ」と参考にされるとよいでしょう。
ただし、この本に収録されている「中論」の翻訳はいいですね。

聖龍樹についてお知りになりたいなら、以下を読むべきでしょう:

中公文庫『大乗仏典14 龍樹論集』(梶山・瓜生津 訳)

聖龍樹の主要な著作である5部経典のうち、4つが収められています(残り1つは、『中論』です)。

聖龍樹はとてつもなくラディカルな仏教学者であり、修行者でした。このお方がいらっしゃらなければ、今日の大乗仏教は存在していないといっても過言ではないでしょう。聖龍樹のラディカルでリアルで斬新な部分は、やはり聖龍樹の著作をもって知るべきです。

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rsd37264さん

編集あり2010/5/323:40:51

中村元先生が東京大学印度哲学梵文学科を卒業されるにあたって手掛けられた卒業論文が龍樹の『中論』についてであり、『中論』研究は中村先生のライフワークの一つだっただけに、『龍樹』が出版せられたことを知った時、多少の縁の有った末学の一人として感慨深いものがあり、早速に購入して読ませていただきました。

先生とは出身大学こそ異なりますが、佛教と心理学についての模索をしていた私にとっては中村先生の学術論文は闇夜の燈明の如く、行く手を示す善知識の如く、かけがえのない導き手であられました。

『中論』に説かれる「大乗独自の縁起観」が、実はゴータマ・ブツダ本来の思想の正統な発展形態であった事などがインド佛教史を踏まえつつ平易に述べられている事には感動を禁じ得ません。

この著作は、中村先生の永年のインド中観派なかんずく『中論』の思想を、出来るだけ解り易く平易な言葉で丁寧に解説がなされていて、先生の意図に則して読めば、ある程度の佛教知識のある方なら、概ね理解できるように書かれています。

中村元先生の一般向けの著作に対する基本的態度は、飽く迄も私達一般人の理解に適い、現実生活に少しでも資するという事を以下の先生の言葉に知る事ができます。

「一般に、わかりやすく説くのが通俗的で、わけのわからないようなしかたで説くのが学術的であるかのように思われているが、これはまちがいで、わかりやすく説くのが学術的で、あいまいなままににしておくのは非学術的であろう。」
(中村元 現代語訳 大乗佛典〈はしがき〉 東京書籍)

〈貴方の質問に対する回答〉

「これは読んで損はないものでしょうか?」

私は「善知識」ではありませんが、損どころか、貴女は大乗佛教に対する正しい眼を開眼したと思いますよ。

この書は「八宗の祖師」と東洋の大乗佛教の諸宗から仰がれた龍樹の思想を明らかにすることにより、それが私達に馴染み深い中国佛教由来の日本の大乗佛教の思想との相違を明らかに知ることができ、また、初学者(初心者)にはインド由来の大乗佛教の本来の有り方を有りの侭に理解する縁(よすが)になろうと思います。

内容については貴女が既に読まれていますので、ここで再度申し上げる必要を認めません。

さて、『龍樹』に於いて中村先生は論理的脈絡の明確なチャンドラキルティーの『プラサンナパダー』をテクストとして使用されています。
本書(『龍樹』)のP320~P395にかけて『中論頌』は『プラサンナパダー』の中より抜粋してサンスクリット語より現代語訳したものであってとても貴重なものです。
どうか、とても難解な箇所もありますが、何度も「Ⅱナーガルジュナの思想」に述べられている中村先生の解説を手引きとして読まれることを御勧めします。
読み込むほどに、回数を重ねるほどに理解が深まると思います。

あと、『プラサンナパダー』の註釈書としては奥住毅氏の著書である『中論註釈書の研究』(副題「チャンドラキルティー『プラサンナパダー』和訳)〈大蔵出版〉が御勧め書籍です。

この書籍には龍樹に始まる中観派(プラーサンギカ派)のチャンドラキルティーの『プラサンナパダー』の全文和訳が掲載されており、より深くインド大乗佛教の本質を知る上で役立ちます。

初期インド大乗佛教の最大の論師にして、「八宗の祖師」と讃えられた龍樹の思想の本質を理解することは、とりもなおさず中国佛教の影響下にある我が国の大乗佛教との「縁起」(空・仮設・中道)についての捉え方の相違を知ることにもなるのです。

とても素晴しい質問でした。

今後とも理解を深められることを願っています。

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2010/5/321:53:30

中村元は、偉大な仏教学者です。仏典の翻訳もたくさんあります。歴史的な仏陀について研究するために、姿勢は「原理主義的」にはなります。
竜樹については、さまざまありますけれど、日本の僧侶で、竜樹から「お告げ」を受けて一人インドに渡り、そこで下層階級の人などに仏教を広めている人を知っていますか?インド国籍もとって、徹底しています。宗教は、それを生きなければ理解できないものです。器械体操の技をいくら知っていても、できなければ実感はないのに似ているでしょう。

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