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江戸時代の武士の頭はどうして丁髷(ちょんまげ)なんですか?

kaafs2536さん

2011/7/521:32:04

江戸時代の武士の頭はどうして丁髷(ちょんまげ)なんですか?

一説によると、兜を被ったときに蒸れるからなどとありますが、髪型に合わせて兜ができているんではないのですか?回答よろしくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2011/7/522:03:38

武士の髪型が「丁髷」になっていったのは
絵画資料からわかる範囲では「鎌倉時代」からです

それ以前は一般的に「烏帽子」を被るのが普通であり
その下の髪型で月代(髪の毛を剃った部分のこと)が
有るかどうかを絵画資料で見ることはできません

応仁の乱以降は「月代」の面積自体が大きくなり
(それ以前のは烏帽子で見えなくなる程度だった)
烏帽子を被ること自体が困難になったせいか
絵画資料でも普通に丁髷の男性が垣間見れます


源平合戦の頃の兜は
「烏帽子を被った上から兜を被る」という形で
兜の頂上に穴が開いていました
(烏帽子が外に出るようにです)


やはり頭頂部の防御を考えるようになり
次第に烏帽子を被らずに装着する兜へ換り
それと同時に月代の面積が広くなっていますので

やはり「頭が蒸れるから」が正解でしょう

命に係わる防具を「髪型に合わせて」なんてする
はずもなく
「防具に合わせて髪型が変化していった」と考える
のが自然だと考えます
(現代の軍隊でも「蒸れるから」と言う理由で
兵士たちは皆「坊主頭」になります
古今東西、変化しないものなのでしょう)

ちなみに
江戸時代以前までは「一般庶民」は丁髷など
しなかったり(髪を結っただけとか)
月代を剃らずに丁髷にしていたりしていましたし
女性も(大河ドラマのように)髪を長く伸ばして
いる人も多かったようです


江戸時代になり
「男性のファッションとして」月代のある丁髷が
町人にも流行して一般化しましたし

(禁止される前の)女性が歌舞伎を踊っていた
際に「男装の麗人」として
丁髷風に髪を結った「女性の役者」が女性たち
に大人気となり髪型をまねする女性が続出
その後の「島田髷」などの原型になっていきました

江戸時代にはすでに「実用」などから遠ざかり
ファッションでしかなくなっていったようです

参考までに…

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