ここから本文です

日蓮=久遠元初自受用報身如来・日蓮本仏論・も唯受一人血脈相承という大石寺歴の...

このエントリーをはてなブックマークに追加

質問者

zvn02303さん

2012/4/1014:00:03

日蓮=久遠元初自受用報身如来・日蓮本仏論・も唯受一人血脈相承という大石寺歴の法主が正嫡とする根拠・文証を示してください
ただし、見延相承書、池上相承書、は同時代の他の資料からは全く痕跡が認められない

写本とと伝わるものも、その経緯があいまいである、そうですのでそれ以外で教えてください。

補足http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1180772976以前の質問です。したがって二箇相承書以外でと言いました。

閲覧数:
503
回答数:
2
お礼:
100枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

編集あり2012/4/1305:08:45

まず、日蓮本仏論は大石寺だけの主張ではありません。 見延相承書、池上相承書も現在の北山本門寺に伝わっていたとされている書状です。これを正統の証拠と認めているのは大石寺だけでなく、西山本門寺、北山本門寺、保田妙本寺、京都要法寺(日蓮本宗)なども同じだと思います。

日興門流にも正統問題で論争があるので、難しい問題です。字数も限られているので、日蓮本仏論について主に意見を述べさせてもらいます。


「自受用報身」や「内証」と言う意味が理解出来ないと、日蓮本仏論の意味もわかりにくいと思います。 以前にも文証を上げたつもりですが、意味がわかりにくかったそうですので、今度はいくつかの文だけに絞って再度提示します。

以下の文は私には文字通りに読める文ですが、他門流では別解釈があるそうですので、どう受け止めるかは個人の考えによるようです。


「法華経と申す御経は別の事も候はず我は過去五百塵点劫より先の仏なり」 (清澄寺大衆中)

「寿量品に我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なりと説き給う 」(法蓮抄)

これは久遠元初と言う概念の根拠です。「五百塵点劫より前の仏が寿量品に説かれている」と言う事が明示されています。

「仏世尊は実語の人なり故に聖人大人と号す」 (開目抄)
「当世には日本第一の大人なり」 (撰時抄)
「世尊をば大人とは申すぞかし」 (開目抄)
「今日本国の高僧等も南無日蓮聖人ととなえんとすとも」 (撰時抄)
「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」 (聖人知三世事)

「大人」「聖人」は仏の事です。 ここでは宗祖自身もそれを確認しています。 そしてさらに自身を「世界一の聖人」「今の時代には日本で一番の大人だ」と述べています。

天台大師の「法華文句」には上行菩薩の本地について、「法性之淵底、玄宗之極地」と述べられていて、上行の本地が仏である事が説明されています。

これだけでも上行菩薩の本地が法華経本門の久遠の本仏である。宗祖の内証が本仏である事を示すには十分だと思います。

迹化の菩薩とされる文殊菩薩でさえ過去世は仏です。自身をその文殊菩薩よりも勝れた本化の上行菩薩だと宣言するだけでも仏教界の常識からすれば驚きだと思います。

それから、身延山の二世は日興上人で日向師はその元で学頭になっていたはずですが、どちらも宗祖御影を漫荼羅の前に安置していたようです。 これも日蓮本仏論の根拠になると思います。

以下は明確な根拠というよりも従来無視されていた事実を日興上人の正統を信じる者として考察した結果ですが、興味があったらどうぞ。

聖人御難事にあきらかに弘安二年に宗祖が出世の本懐を遂げるという事が書かれています。

そして、弘安二年前後にだけ日興門流に伝わる「若悩乱者頭破七分」と言う文が宗祖の本尊に登場します。 現存の本尊ではこの文が入った本尊を受けたのは、後に日興上人の元に行った六老僧の日頂師、大石寺の三祖の日目師、六老僧の日向師、日法師、日徳、不明の授与者がひとり、在家が2人のみです。

本尊書写も日向師は身延山に日興上人と居たので、本尊書写形式共通点が多いですが、他の門流には後期の宗祖の本尊とは似ても似つかない本尊も多いです。

日興上人が身延山の住職だった事を考えても、日興上人が正統だったからその周囲の人々だけが同じ流儀を知っていたとしても不思議がないと考えます。 日目上人、日頂師、日向師等みな日興上人の影響がある人物です。 日法師も板漫荼羅の彫刻の伝説に登場する人物です。

実際に日興上人が身延山を離山してからすぐに日向師は身延山の御影堂に板漫荼羅を造立して安置した記録があります。 元々あった板本尊が日興上人の離山でなくなったしまったので、造立したのでしょう。

大石寺で日行上人の時代にはすでに中山にも身延山にも板本尊が確立されています。 私は板本尊と宗祖の御影が安置されている形式が宗祖滅後直後の身延山の正式な安置形式で、日興門流に伝えられている「弘安式」と呼ばれる本尊書写形式が宗祖の正意だと思います。

私は本尊の書写形式や本堂の安置形式がきちんと伝わっているのは法灯が受けつがれている証左の一つだと考えます。

上の方の回答へ、 法蓮抄と清澄寺大衆中は「五百塵点劫のそのかみ」つまり「久遠元初」なんてあり得ないと言う一部の日蓮宗僧侶の批判をよく聞くので、あげているだけです。 その二つの文だけでそのまま日蓮大聖人が御本仏の根拠だとは述べていません。念のため。 しかも他の部分で「大人」「聖人」と宣言しているのは否定できません。

質問した人からのコメント

2012/4/15 00:19:12

おふた方ともありがとうございました。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
簡単にみんなで作るショート動画アプリ Yahoo!Chocotle for Android(無料)
ベストアンサー以外の回答
1〜1件/1件中

2012/4/1114:19:58

質問者さんごめんなさい。

回答者さんの御書のこの引用は、字数制限があるとは言え、このような引用は
危険だと思います。

(清澄寺大衆中)にはこうあります。

法華経と申す御経は別の事も候はず。我は過去五百塵点劫より先の仏なり。
又舎利弗等は未来に仏になるべしと。
これを信ぜざらん者は無間地獄に堕つべし。我のみかう申すにはあらず、


法華経というお経には久遠実成の釈尊、つまり自分は実に過去五百億塵点劫の
昔にすでに成仏していた仏であることと、二乗作仏、つまり諸経では成仏でき

ないとされていた舎利弗らの二乗も、未来には必ず仏になれるということが
説かれています。このことを信じない者は、無間地獄に堕ちるでありましょう。

これは日蓮がいうのではなく、多宝如来も十方の諸仏も真実であることを証明
されています・・・・と続くのであって、これは、「開目抄」の迹門所顕の

二乗作仏と本門所顕の久遠実成とを法華経における「二箇の大事」を書いてい
るのであって、とても、日蓮本仏の根拠にはならないでしょう。


(法蓮抄)には、こうです。
寿量品に「我は過去五百塵点劫のそのかみの仏なり」と説き給ふ。
我等は凡夫なり。過ぎにし方は、生れてより已来(このかた)すら

なをおぼへず。況んや一生・二生をや。況んや五百塵点劫の事をば争(いか)
でか信ずべきや。

又舎利弗等に記(き)して云く、〔「汝、未来世(みらいせ)において無量無
辺不可思議劫を過ぎ、乃至、まさに作仏(さぶつ)することを得(う)べし。

号(な)を華光如来(けこうによらい)と曰(い)はん」〕云云。


これも同じで、法華経には迹門にて、二乗作仏が、そして本門にて、
久遠実成との法華経における「二箇の大事」を書いてあるのであって、

これらを日蓮を本仏との根拠にする事はまず無理でしょう。

横レス、失礼致しました。

ちょい足しを取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

ID/ニックネームを選択し、「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問や知恵ノートは選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

ほかのID/ニックネームで利用登録する